クラスで頑張るあなたへ。

石を投げれば、波紋が生じる。生じた波紋を、邪魔者扱いし、面倒臭がる者もいるけれど、それを待っている人もいる。誰かが何かを言わなければならない時がある。それは気がついた人の使命なのだと僕は思う。それを僕は舞い降りてきたものと表現する。

舞い降りてきたものは、貴重なものだと思う。

その舞い降りてきたものが、独りよがりなものではないかと不安になることもある。的を射ているものか、不安になることもある。そういうとき、人に相談するという行動を思い浮かべると思うが、中でも、理解してくれるかどうか、自分と同じ思考の人かどうかで選ばず、「信頼できる人」に相談するといい。

目的が何であるか。

自分の気持ちをわかってもらえる人が居て欲しい、自分に同調する人を作りたいという目的であれば、理解してくれる人、同じ思考の人が良い。それはとても大切なことだ。人は生きていく上で、そういう存在は絶対的に必要だと思う。

一方、物事を成り立たせるということが目的であれば、話は違う。集団において物事を成り立たせるには、自分とは異質の者たちと手を組まねばならない場面が出てくる。

そのとき、自分とは違う質の人たちのものの見方もできたらいい。自分とは異質であっても「信頼できる人」というのは、そのヒントを与えてくれるものだと僕は経験上そう思う。

人に相談するということ、それは自信のなさでも、弱さでもない。それは、確認をするという大切な行動だと僕は思う。そうして、修正も含めて行っていく行動は、大切であるからこそ。行動と思考はその証明である。僕はそう思う。だから、とても尊いことをしているのだと思う。

相談すると迷うこともあるだろう。けれど、結構な確率でどこかで舞い降りてくるものがある。ギリギリのギリギリまで迷い続けることもあるけれど、最後に下した判断、それがある意味、これまで思考や行動を積み上げてきた自分の意志だ。だから、それを大切にしてほしい。

そのとき、どっちを向くかで人は変わる。待っている人の方を向くことができるかどうか。そこを信じることができるかどうか。

ひとつの勇気も必要になるだろう。恐れもあるだろう。苛立ちもあるだろう。たくさんの負の感情が生まれることだろう。波紋は混乱も生む。その混乱も含めて、自分の意志との向き合いである。

そう、大丈夫。向き合っているのは他の誰かじゃない。自分と向き合っているのだと僕は思う。恐れることはないと思う。それは大切な自分と向き合っているだけだと思う。待っている人とともに協力し、あるいは反対側にいる人をも受け入れつつ、一定の形となっていく。


その波紋は、最後、きっと良い方向に行く。

期待。

期待されるって、嬉しいと思う瞬間があります。その期待に応えられそうな自分がいたとき、その嬉しいに気持ちが素直に反応するものです。けれど、応えられなさそうな期待をかけられたとき、少しだけ苦しく感じる自分がいる。応えたいけれど、応えられないもどかしさ。無理をしたって先は見えている。そもそも無理をするつもりもないし、その期待の存在しない関係でありたいと願うときがある。そんなとき、どうしたものかなぁ、と。

かけられる期待というのは、自分と相手の関係において、そもそも、相手が見ている世界。期待されて、嬉しいと感じる瞬間があるのは、相手が相手の世界において、自分をそう見てくれているということに反応するのであって、しかし、次の瞬間、自分がよく知っている自分を見つめ、「相手の世界の自分」と「自分」に乖離がありすぎるとき、相手が待っていることに応えられないことへの自責の念が生まれるものなのだと思います。

期待をかけてもらえるだけありがたいこと、喜びなさいよ。

そんな言葉をよく聞くけれど、これは期待をかけられた側が自発的に思うことであって、かけた側が言ってはならない言葉なのだと思います。ありがたくないなんて一言も言っていない。喜んでないとは言っていない。かけられた相手が、その先のことで、困ってしまうのかもしれないという想像を、期待をかける側はすべきだろうと思うのです。

期待というのは、自分と他者との関係があるから生まれるわけですが、性質として、その人の主観的なものの見方であるという要素を濃くもっていて。一方、人と人との関係というのは一方の思いだけでつくれるものではないわけで。だから、期待をする側は、それが至って自分の世界を見ているのであって、その強烈な思い故に、相手をおろそかにしていやしないか、相手を見落としていやしないか、苦しめていやしないかを振り返る必要があるのだと思います。

あなたにとって大切な相手だから、期待をかけているのでしょう。大切な相手のであれば、まず、相手をしっかりと見つめて、掬うことが先なのではないのでしょうか。それとも、あなたは、あなたの世界の中の相手という像を追いかけているだけなのでしょうか。あなたは、あなたの世界に、あなたの思い描く通りに、相手を取り込みたいだけなのでしょうか。「そうじゃない」というのであれば、まず相手を見てあげて欲しいと強く思います。

そして、僕は、相手のかけてくる期待に丁寧に向き合っていきたいと思います。その期待に応えられないことも、丁寧に伝えていきたいと思います。その相手との関係を大切にしようと思える限り、何度でも。きっと、いつかどこかで伝わってくれるかもしれないと思いながら。思える限り、何度でも。

不登校を予防すること

とある行政の方に「いじめにあった、教師に心ない言葉を言われたという明確な理由による不登校は別として、なんでかよくわからないけれど、不登校になってしまったという子どもが多い。これをなくすにはどうしたら良いと思うか」と質問された。

「すごい質問をされるなぁ」と思いながら、よくわかるその人の思いを受け止める。不登校に陥った子どもも親も悩み苦しむ。「そんなもの、世の中からなくなってしまえ!!」という祈りからくるんだろうと思う。その祈り、理解はできる。

質問した方は、不登校を経験した子どもたちを沢山受け入れて来た経験のある北星余市の教員だから、何か魔法のような解決方法があると思ってくれたのかな。でも、そんなものがあれば、全国で10万人以上いる不登校問題はとっくに解決している。

「不登校を予防するにはどうしたらいいか?」という問いを考えると、端的に「予め行きたくないと思う出来事をなくし、行きたいと思う学校にする」という答えになる。

けど、そんな単純な話でもない。

そもそも学校に行かないという選択をする子、行きたくても行けなくなる子には、その子独自の様々な要素が絡んで、そういう状況が生まれている。学校教育制度、学校教育環境、社会状況、地域の特性もあるし、その子の生育歴、育って来た環境、偶発的な出来後、、、そういった様々な要素が絡んで不登校が生まれている。そういったことを考えたとき「よくわからない理由で学校に来ないという現象をどうすれば予防できるか」という問いに具体性をもちつつ一般論として応えること、マニュアル化することは難しい。

まずは、そういう自覚を持つことから。そこからスタートなんじゃないかな。

いうことをきかない子どもたち。そもそも、いうことをきかそうというのが間違っている?

ふとノートを見返していたら、気になるメモを見つけました。「非行」を考える全国交流集会でのメモです。「非行」を考える、、、っていうか、人ってものを考えさせてもらえます。毎度のことながら。

今日は「なんとかしようとすればするほど、自分の首を絞めてしまう」というお話。

この集会では、子どもが「非行」をしていて、悩んでいる真っ最中の親御さんたちだけでなく、その悩みがある一定解消されて、悩まれている親御さんたちを当事者の立場から支えようとされている方たちも多く参加されているんですね。

そんな先輩ともいえる方たちがこんな発言をされていたんですよ。

  • 子どもがやりたくないと思っていることを続けさせてしまっていた。
  • 自分が学歴主義に捕らわれてしまっていた。その路線に子どもを乗せようとしてしまっていた。
  • 「この人はこういう人だ」「あの人はこういう人だ」と自分の生きてきた価値観で人を決めつけて見てしまっていた。「あなたはこう生きねばならない」と子どもに自分の価値観を押し付けてしまっていた。今となってはその価値観はとても狭いものだったと思う。
  • 子どもは子ども、私は私。でも、家族だから見捨てない。そう思えるようになってから、子どもとの関係性が変わっていった気がする。

そして、その話を聞いていた、山梨県笛吹市で不登校の親の会「ぶどうの会」をされている鈴木さんがこんな感想を話されたんです。

「なんとかできないか、なんとかする方法はないか…と足掻いているうちは良い方向にいかず、子どもは子ども…私は私…と親自身が変わると、意外となんとかなることが多いのは不登校も一緒。ああ、やっぱり共通しているんだなぁ、、、って思いました」

これって価値観の違いからくる話なんだろうなと思うんです。親と子の。というか、人と人の。

自分では何もできず、判断基準もなくて、与えられたものを享受しながら、感じ、考え、成長していくのが人の育ちのはじまりですよね。そうして生きていけば、自分の感性や価値観が育って考えるようになる。そうすると自分の意見を持つようになる。おかしいものをおかしいと思うようになる。自分が正しいと考えるものができる。実際に正しいかどうかは別として。

これって、子供に限らず、大人もそうですよね。誰もが新人の頃は上司の指示を受けたり、先輩のアドバイスを受けて、不安も抱えつつ、考えながら、一つ一つをこなしながら前に進んでいく。一つクリアするごとに、感じるものがあるし、考えることが出てくる。一生懸命そこに向き合えば向き合うほど、気がつけば「自分」を持つようになってる。それに似ている気がします。っていうか、人の育ちってそういうもんなんだろうと思います。

そう考えた時「親だから子どもにいうことをきかそう」っていう、つまり無条件に「従わせようとすること」は、自ら感じ、考え、行動する人間に対しては、不可能なことなんだと思います。自分が感じて、考えて、納得が得られないと行動はしないし、行動を止めないでしょう。

一概には言えない色々な理由で、このような状態になってしまったら、それはもう相手の価値観を尊重する以外はないのかもしれません。「じゃぁ、やってみなよ」っていう。

ただ、何もしないで「やってみなよ」じゃない。一方で「僕はこう思うけどね・・・」という姿勢も保つ必要があって、これがあるから、失敗しても気づきがあるというか。はじめての道、目的地までたどり着くのに、自分が決めた道を進んだけどそこが行き止まりだったとき、「そういえば、あの交差点にたったとき、「こっちだと思うよ」と言ってくれた人がいたっけ・・・」という出来事があったかなかったかは、大きな違いになると思うんですよね。









「教え子に私的メールやLINEダメ?…15県教委で禁止」これやられたら、うちの学校では教育はできませんね。

全く意味がわからない。驚き桃の木山椒の木、ブリキにタヌキに洗濯機並みの支離滅裂さ。
教え子に私的メールやLINEダメ?…15県教委で禁止 
教え子へのわいせつ行為で処分される教員が後を絶たない中、生徒との私的なメールのやりとりを禁止する教育委員会が相次いでいる。47都道府県のうち、15県教委が禁止していることが朝日新聞の調べでわかった。
 調査は2月、教員と生徒間のメールや、「LINE」などのサービスを使った私的なやりとりを禁止しているかを、都道府県教委に尋ねた。3割強の15県教委が、通知などで原則禁止していると回答したほか、20以上の教委で私的なメールをしないよう研修で指導したり、注意を呼びかけたりしていた。
 各教委が私的メールに神経をとがらせるのは、やりとりが続くと、女子生徒に対するわいせつ行為に発展する場合があるからだ。http://www.asahi.com/articles/ASH2S7GR6H2SOHGB01K.htmlより

2002年あたりからわいせつ行為で処分を受けた教員は150名から200名の間を行ったり来たりすれ違い。もうかれこれ10年以上経っている。私的なやりとりを禁止したからって防げるものでなかろうに。

というか、そもそも「私的」ってなんだ?個人的に関わることか?公でないことか?プライベートか?てか、個人的ってなんだ?公って、プライベートってなんだ?子供の人生に関わる営みにおいて、そんなこと考えたこともない。

自分が子どもたちに向き合うときを考えると、個人的に関わることだって、公でない場での公でないこと、プライベートでのやりとりだって、山ほどあるぞ?僕も含めてだけど北星余市の先生達なんて、生徒の寮下宿を訪問して、生徒の部屋で一対一で『お話しホーダイ』ですよ。制限を設けた環境において解決される問題ではなく、教師としての資質の問題でしょう。しつこいようだけど、逆に生徒との信頼関係を作る上で、公的だとか私的だとか考えたこともない。そんなこと関係なく人として関係を築き上げていかないと信頼関係なんてできないもの。そんな制限作られてしまったら、たまったもんじゃない。なまくらで戦えっこない。

問題は公的か私的かの区別ではなく、メールやLINEという手段の問題でもなく、教え子へのわいせつ行為をはたら人格であって、それをどうするかが問題でしょう。そもそも、教え子を性の対象としてみること自体、教育をなんと心得ているか、、、って問題だと思うんですよ。自分の一挙手一投足が、一人の人間の人生を左右する可能性があるのだという自覚が足りない。個人的なやり取りを禁止するとか、LINEやメールはダメ!とかいうのもいいけれど、そんな教育者としての「いろは」の「い」を普段から教師集団として共有することから始めた方が良いのではないでしょうか。






5年ぶりの再会。

「非行」を考える全国交流集会が終わって、帰ろうとしていた時、会場から出たところで一人の若者に声をかけられた。

「北星余市の田中先生ですよね?」

は?はぁ、いかにも?だが、、、ん、、、あなたはだれ?

わからないので率直に聞いてみたら、なんとその若者、5年ほど前に北星余市に学校見学に来たことがあって、僕が対応していたのだそう。

当時は自由奔放な生活を送っていて、親にもいろんな人にも迷惑をかけていたらしい。地元には置いとけないと思った親御さんが、必死の思いで北星余市に連れてきたんだって。本人は「旅行に行こう」とだけ誘われてついていったら、学校にいたとか、笑。

その学校見学の際に、僕が対応したことを覚えてくれていて、なんだか嬉しい。なんで覚えてたんだろう。

その頃はまだ遊ぶのが楽しくって入学にはつながらなかったけれど、それから2年くらい自由奔放な生活を続けて、失敗もして「ああ、これじゃあかんな」と一念発起して、勉強したんだと。今は、早稲田大学に入って、大学生やっていると。なんと、やっぱりエネルギーあるよな、そういう子って。やるときゃやる根性があるんだよね。すごいと思う。

今は少しでも自分の経験が役に立てられれば・・・と思ってforpassっていう、自身の経験を書いたサイトを開いたり、こういう場に出てきているんだとか。その考えもまた立派。

なんか、そういうどこで縁があるかわからない、こういうのっていいよね。

なんて思った「非行」を考える全国交流集会の終わりでした。

教育活動は、わからないことだらけだけど、わかりやすいたったひとつのことがある。

教育という営みは、本当によくわかりません。今、ここでやっていることが、いったい何になるの?って感じです。教師やって15年経ちますが、未だにその感覚は抜けません。

「教育」を大辞林で引っ張ってみると、
「他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、家庭教育・学校教育・社会教育に大別される。」
 って書いています。

この「望ましい方向」とはいったいなんなの?これを見定めるのは本当に大変なこと。

そして、例え「これが望ましい方向だ」と定めたとしても、その方向へ導く際の方法に、正解というものがない。

「この言葉をかけてあげたら、この子は、必ずこの方向に進んでいく」そんなマニュアルのような、公式のようなものはない。

「意図的な働きかけを行うことによって」と書いてあるけど、例えば、応援することを意図として「がんばれよ」と言葉をかけても、その時の状況や、それまでに育ってきた環境や経験、その言葉を発する人間との関係はもちろん、その言葉を発する人間のそのときの口調や場合によっては天気によっても、言われた側がどう受け取り、それがその後、どう影響していくかなんて言うのは、大きく変わってくる。

もっといえば、「がんばれよ」と言われた人間が、例えばそのとき気分を害したとしても、その次の瞬間に、何かがひらめいたりして、前向きに考えることだってある。

自分の身に置き換えて考えたとき、だれでも体験した事があることだと思います。

「なんだかわからないけど、小学校から学校に行っていなかった子供がこんなに輝くようになった」

「あれだけ世の中に背を向けていた子供がこんなに世の中に向き合うようになった」

私の学校にはそんな事例は腐るほどあるけど「何をしたら、そうなったの?」と聞かれると、ひとつひとつは説明できない。

一人の人間が、高校時代の24時間365日×3年をどう過ごしたか、もっといえば、うちの学校にたどり着くまでの十数年、二十年近くの時間をどう過ごしたかが複雑に絡み合っていることなので当然ですよね。

いつどこで誰とどんな出来事があって、それまでの過程はこうで、どんな些細な言葉だって、場面だって、人を変える可能性がある。その一つ一つ積み重ねられたものの上に、その人の今があるわけで、それを具体的に説明しきることは、不可能と言っても過言じゃない。

そう考えたら、教育という営みは、すべてを言葉で説明しきることのできない、いや、むしろそのほとんどを言葉で説明することが困難なものなのかもしれないなぁ、と思います。

ただね、ひとつ間違いなくいえるのは「人の思いというのは必ずいつかどこかで花開く」ということ。

とふと思った今日でした。

子どもを支える立場の人間が結んだらいい関係

「私は、子どもがなにか問題を起こしたとき、学校が子どもに理不尽と思える対応をしていても、言いたいことが言えなかったんです」とおっしゃっている親御さんがいました。

いやぁ、親は、そりゃそうなるよね・・・と思うと同時に、なんなんだ?その仕組みは・・・と思ったわけです。

どうも、学校の先生って上からになりがちだよね。いや、学校の先生だけじゃないかな。

親御さんや本人が「いやー、悪いのはこっちだけどさぁ、だからってそれ理不尽じゃね?」って思うことって、意外と要求している側は理不尽だと思っていないんだよね。本気で「おまえ、それくらいしろよ!」って思ってる。「悪いことしたんだからさ」って。

そういう状態って、結局、何も生まないことが多い。だって、理解し合えていないもの。「しゃーねーから、こなすわ」ってなるか「こっちも問題だけど、そっちも問題だろ?」くらいにしかならない。

たぶん、教員、、、いや、子どもの育ちに関わることを生業としている人間は、「立場」という役割分担をしながら、ともに育てていくんだという感覚を持つべきなんだろうな。

「母さん、困ったね〜、どうしようか〜」って一緒に頭付き合わせて悩めるくらいの姿勢。「専門性」っていう武器をもってして、自分が指導すべき立場って奢ってしまうと、見過ごしちゃいそう。

教師のそれが「専門性」だとすれば、10数年子どもを育ててきた親御さんのそれだって「専門性」だわな、親っていう。その他の「業」として子どもに関わる人もそう。でも、どれもその立場によったもので、片手落ちなんだよ。狭い世界でしかない。

僕らは、自分以外の教師たち、親、寮の管理人さん、その子の友達、先輩、後輩が、その子をどう見ているかってことを僕らは知りながら「じゃぁ、どうしようか?」って考えている。

だから、親御さんに要求するというより、一緒に「また、やっちゃいましたねぇ〜、いやぁ、、、どうしましょ?僕らは、学校で見てたら、こうだと思うんですよ」って考える事が多い気がするな。そうやって、理解しあって、協力しあって、一人の子どもを見ていくっていう感覚って、大切なんだなぁ、と。

「悪さ」をしているという感覚はない 〜 「非行」を考える全国交流集会

それと、昨日の分散会でNOCA!のアリーさんが言っていた言葉。

「悪さをしているときも、悪さ感がないんですよね」

これ、とても興味深い発言だと思うんですよ。

実はこんなことは、アリーさんだけじゃなくて、僕らの知っているセカンドチャンス!のみなさんも同じようなこと言ってたんですね。全く、別の場で。ってか、飲み会で。

セカンドチャンス!の方達は、
「遊びの延長でしかないんですよ」ともいってました。
「楽しいか楽しくないかなんですよねー」って。

そう考えると、とても納得のいくことがあるんです。
それは「僕は悪いことをしたので、悪いことはもうしません」といってその行動をやめる子ってほとんどいないんですよ。実は。

そうすると反省させると犯罪者になります/岡本茂樹 これは子育てのバイブルだと思う。で書いたこと、この書籍に書いていることも俄然真理的なことをいっているんじゃないかって思えてきます。

  • 嫁さんができたから
  • 子どもができたから
  • 周りが真面目に働き出したから
  • 親がとても悲しんでいる姿を見たから
  • 自分を心配してくれる人に出会ったから
  • 何回も少年院に入っている時間が勿体無いと思ったから
  • 別の楽しみを見つけたから
  • その世界に疲れたから
  • 新しい生き方が見つかったから

などなどなど

僕が学校で出会った子どもたちも、こうしてつながりで出会った人たちも、よく考えてみたら誰一人として「悪いことをしたから」そういうことをやめたという人はいない。

人に迷惑をかけておいて、悪いことをしたと感じていないなんて、けしからん!

と怒るのは勝手ですけど、ひょっとしてそれはその人の価値観でしかなくて、そういう行動をする人はそうは感じていないものは感じていないので、いつまでもそんなことを言っていても(いってもいいですけど)、仕方がないような気がします。

僕らの学校でも問題が起きた時に「おまえ、そんな悪いことをしてどう考えているんだ?」「悪いことをしたんだから、反省しろ」と迫っても、「すみませんでした」という言葉はひねり出させることができても、本質的な部分に迫ることはできないですもんね。だって、感じ方が違うんだから。「こんな良いもの、なんでわからんのだ?」「え、だって良いと思わないもん、僕」ってのと質的には一緒。感じているもんが違うんですよ。

「悪い」ということを理解させようとばかりして、本質的な部分に迫ることができなければ、人は結局同じ行動をする。

「悪いことをして!」という発想から脱却することは、我々にとって大きな一歩なのかもしれないです。


「立ち直る」という感覚 〜 「非行」を考える全国交流集会にて

今日は千葉県柏市で開催されている「非行」を考える全国交流集会に参加しています。
これで4度目でしょうかね。

16:00頃からの分散会で、NOCA!のアリーさんとご一緒することができました。

司会の方の「立ち直ったきっかけはなんですか?」という問いに、アリーさんは「立ち直ったという感覚はない」という。うんうん、やっぱりそういう感じ方ですよね。


  • 「非行」(そもそも「非行」ってなんなの?)をしなくなること
  • 周りに迷惑をかけなくなること
  • 人の気持ちを考えられるようになること


例えばこんなことをもって、「立ち直った」とか我々は表現しがちだけど、ちょっと違うと思うんですよ。感覚が。

これ「もともとはいい子だった。世間の流れに乗っていた子だった。けれど、何かのきっかけで道を外れてしまった。悪い子になってしまった。けれど、良い子に戻った。流れに戻った」という発想だと思うんですよね。

もちろん、そういう子もいると思うんだけど、大半は人が変わるわけではないので「そういう自分」も含めた今の自分という結果でしかないんじゃないかと。

そうそう、そう考えてみたら、僕らの学校でも「あの子、成長したね!」ということはあっても、「あの子、立ち直ったね!」という言い方はしないもんな。

過去の自分があって、今の自分がある。生きるって、そういうことだと思うんだよな。

「非行」をしている子を抱えている親御さんが悩むのは当然なんだけど、その悩みを増大させている一つの要素は「この子を元に戻さなければならない」という発想なんじゃないかな、と考えてみた今日の分散会でした。



コミ茶で「居場所」を考える会 〜 幅の広さをもつ

今日は夕方からNPO法人余市教育福祉村の宮井さんのお誘いで「居場所」を考える集りに参加してきた。

場所はコミュニティ茶屋
漂流教室の山田さんやひね塾の伊藤さんなど10名くらい集まってとりとめもなく「居場所」談義。

発端は小樽でフリースクールを始めたらどうかなぁ、、、と思っていらっしゃる方や、インターネット上でフリースクール的なことできないかなぁ、、、と考えていらっしゃる方を囲んで語れたらなぁ、、ということだったけど、集まったら結果的には「こういう集り、またやりたいね」という感じの会になった。

集りとは全然関係ないけど、ほんと、漂流教室の相馬さんもそうだし、山田さんも、面白いものの見方をしている人で大好き。

さておき。

今日ぼんやりと感じたのは、実は何をやっているのか明確だけど、一見明確じゃないような「人が集う場所」というのは、実は世の中の困りに対して、救いの要素を含んでいる場所なんだろうということ。

フリースクール、障害者支援、若者支援、親の会、さまざまな困難を抱えている方たちが集まって、それを解決しようと努力されている場所がたくさんあるけれど、そこに特化すればするほど、実は子どもも親も支援者も、その枠からなかなか抜け出せずにいる現状があるような気がする。

困難な状態を「支えて!理解して!」と言っているだけの人や場所、または困難な状態を世の中に合わせる方向でしか考えていない人や場所は、限界があるなぁ、、と。

「困難な状態」から「ハッピーな状態」になれるような仕組みを持っているところって、またはそういう人って、その状態を受け止めてもらう多様性を相手に持ってもらうこと、その状態を世の中のどこに組み込んでいくかということ、世の中に受け入れてもらえないその状態をどう変えていくかを、バランスよく見極めて関係を築いていると思う。

そういう人やところって、大方、なにやっているか、なんとなくわかるけど、「具体的に説明しろ」と言われると説明できないことが多いような気もする。「だって、あれもこれもそれもどれもやってるんです」っていう。

「はぁ、いろいろ、、、ですか。それで、あなたたちの達成目標はなに?」と聞かれても、明確な答えはなかなか帰ってこない。聞いた側は「え?」となったり、「ん?ずらされた?」と思えてしまったりする。でも、それは「これです!」なんて単純化できる話では、実はなかったりするだけで。

かといって、別になんでもいいわけでなく、話を聞いていると理念というか思想というか方向性というか、そういった柱になるようなものを持っている。

上の3つをバランス良く見極めて関係を築くためには、そのくらいの幅広さというか柔軟さというかが必要だということなのかもしれない。

自民党と教育政策ー教育委員任命制から臨教審までー / 山崎政人




1986年に出版された本書。戦後から当時までの自民党の教育政策を中心に学校教育界の歴史を追っているのですが、読んでいてとても数十年前の出来事とは思えない感覚をおぼえました。

日教組対策、経済界の要望に応える教育政策、教育によって愛国心を植え付けようと試みていること、能力主義にもとづいた教育政策展開、そのためにいかに国が教育を管理しようと試みて来たかが、ずらーっと書かれている。日教組対策は1950年代には始まっているし、そのほかも1960年代から自民党は同じ方向で進んでいますね。

底流に流れているのは
自民党は結党大会で等の政策の基本方針を示す六項目の「政綱」を決定した。その第一項目は「国民道議の確立と教育の改革」で
「正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道議を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。体育を奨励し、芸術を育成し、娯楽の健全化をはかって、国民上層の純化向上につとめる」とうたった。
まず第一に教育改革をかかげたことについて、自民党の正史『自由民主党二十年の歩み』は「占領政策是正のための一つの重要課題が教育を刷新改革し、とくに政治的に著しく偏向しつつある教育を正常な姿に戻し、教育水準を高めることにあるというのが、自由民主党立党答辞の強い信念であった」
「自由民主党が立党後まず第一に取り組んだ課題は、占領下における教育政策の誤りに乗じて勢力を伸ばした左翼日教組指導層の政治的偏向によって政治的中立性が失われつつある教育を正常な形に戻すことであった」と書いている。
という自民党の政策と日教組との対峙。

1945年の戦後教育改革がなされてから、70年弱。徐々に徐々に自民党が『自由民主党二十年の歩み』に書かれている「強い信念」を実現していく過程が描かれています。そして、それらは今も続けて展開されていることに驚きました。その70年を憶うと、このままでは、今の教育行政の問題、教育現場における課題や教育という側面からのぞいたときに垣間見える社会問題、それらに伴った今横たわっている閉塞感がこれからも変わらずに居座ることへの危機感を覚えました。

集団的自衛権の行使容認とそれにともなう憲法解釈の変更を閣議決定し、改憲論議が今後も展開されることが予想される今の日本で、自民党・安倍政権がかかげる国づくり、その国づくりの元となる教育政策が、戦後の教育政策のどういった延長線上にあるものかを今一度確認するのにふさわしい良書だと思います。

政党が口を挟むことができずに、GHQ主導で進められた戦後教育改革を本書から最後に抜粋します。自民党は国を強くするために、教育政策を進めたいのでしょうね。
戦後の教育改革は、政党とはほとんど無関係に進められた。占領という状況下で連合軍総司令部(GHQ)の指令、覚書、さらにはGHQの要請で来日した米国教育使節団の報告などは絶対的な権威をもっていた。わが国の側で改革の具体策策定に当たったのは、学者、文化人を中心に構成された教育刷新委員会(のち審議会)であり、その答申にもとづいて、戦後教育の骨格を定めた「教育基本法」や「学校教育法」が制定(四七年三月)されたがその論議に政党が口をはさむ余地はなかった。
戦後の教育改革は、大よそ次のようにまとめることができよう。
一、平和と民主主義 − 教育基本法は前文で「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献」するという理想の実現は「根本において教育の力にまつべきもの」といい、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期」す、とうたった。それが戦前の軍国主義、超国家主義教育に対するきびしい反省から出たものであることはいうまでもない。平和と民主主義こそが戦後教育の原点だった。
二、国家の教育権から国民の教育権へ − 戦前、教育は国家が富国強兵を実現するために国民に課した義務だった。憲法は第二六条で「すべて国民は…教育を受ける権利を有する」と教育が国民にとって権利であることを明示した。この権利、義務関係の一八〇度の転換が、戦後改革の核心であり、教育は国のためでも、経済発展のためでもなく、どこまでも個人の「人格の完成」(教育基本法第一条)を目指すべきものとされた。
三、教育の機会均等 − 「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」(教育基本法第三条)とされ、教育上の差別はすべて否定された。義務(子どもの学習権を保障するために親に課せられた就学させる義務)教育は九年間に延長された。また高校も、義務制ではないものの、「入学希望者をできるだけ多く」収容することが望ましく、「選抜をしなければならない場合も、これはそれ自体として望ましいことでなく、やむをえない害悪であって、経済が復興して新制高等学校で学びたい者に適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきもの」(文部省、『新制中学校・新制高等学校、望ましい運営の指針』−一九四九年)とされた。男女共学が原則とされ、女子に対してすべての高等教育の門が開かれた。
四、単線型学校体系 − 戦前は小学校を終えると中学校、高等女学校、職業学校、高等小学校と複数コースに分かれ、中学以外のコースは上級学校への進学が困難な閉鎖回路になっていた。高等教育も高校(旧制)−大学と高等専門学校に複線化され、このような複線型学校体系が人材振り分け、階層分化の機能を果たしてきた。戦後の学校体系は小学校—中学校—高校—大学と単線化され、すべての学校で上級学校進学が保障されることになった。
五、教育の自由—戦前、学校で教える内容は教育勅語と国定教科書によってきびしいワクがはめられていた。教師がこれから一歩でも外れることは許されなかった。一九四七年に文部省が発行した学習指導要領一般編(試案)は「いまわが国の教育はこれまでとちがった方向にむかって進んでいる」という書き出しで始まり、「これまでとかく上の方からきめて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行するといった傾きのあったのが、こんどはむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと、作りあげて行くようになって来たということ」といい、「直接に児童に接してその育成の任に当たる教師は、よくそれぞれの地域の社会の特性を見てとり、児童を知って、たえず教育の内容についても、方法についても工夫をこらして、これを適切なものにして、教育の目的を達するように努めなくてはなるまい」と書いている。
また、教科書は出版社が自由に出版し、それが基準に合っているかどうかだけをチエックする検定制がとられた。検定は都道府県教育委員会の権限とされた(一九五三年の法改正で文部省の権限となる)
六、教育の住民自治、地方分権 — 教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行なわれ」(教育基本法第一〇条)なければならないとされた。そして「公正な民意により、地方の実情に即した教育行政」(教育委員会法第一条)を行うために教育委員会がつくられた。行政に直接、民意を反映させるため、委員は選挙で選ぶ(公選)こととされた。これらの改革が教育刷新委員会・同審議会の建議にもとづいて精力的に実施に移されていった。



憲法の「空語」を充たすために/内田樹



2014年5月3日の憲法記念日に神戸市で行われた兵庫県憲法会議主催の集会で行われた内田樹さんの講演にご自身が加筆されたもの。

相変わらずの内田さんの語りで分かりやすく、憲法とは何か、今その憲法がどういう流れで変えられようとしているのかが書かれています。

私たちの教育の世界のみならず、政治の世界も市場原理の発想で動いていることがよくわかるな。

改憲論議はこれからも続くわけで、そのとき、憲法改正案を作る人がどういう意図で、どういう国づくりをしたいか、そのためにどういう手段でそれを達成するのか、我々国民はそこにどう組み込まれていくのかを注視する必要がある。

憲法が確定された一九四六年の段階では、「日本国民」という実態はありませんでした。(中略)「だから改憲すべきだ」という声が出てくる理路は僕には理解できます。でも、問題はそのときの改憲の主体は誰なのか、ということです。「改憲したい」という人たちが、「主語が空語だから困る、中身のある言葉を主語にして憲法を改正したい」というのは、ロジカルには正しい。では、あなたがたは誰を憲法制定の主体にもってくるのか、何を主語にもってくるつもりなのか。
そして、内田さん「日本は法治国家ではなく、人治国家になってしまった」とおっしゃっています。
政局が流動化すれば、離合集散して予見不能の行動をとる。それが政治家です。ですから、政治家に長期的な首尾一貫性を求めることはできません。でも、そのつどの短期的な状況に最適化していると、長期的には不利益をもたらすこともあります。ですから、短期的な猫の目のようにくるくる代わる政策決定とは別の水準に、「これだけは変えてはならない」政体の構えがなくては済まされない。憲法はそのためのものです。(中略)立憲主義というのは、「法律ではこうきまっているのだから、それに従ってやりなさい。それがいやだったら法律を変えなさい」ということです。人治というのは、法律条文を権力者が自己都合で恣意的に解釈運用することです。もちろん法治と人治は截然と分離できるものではありません。ある部分までは法治、ある部分においては人治というのはどのような政体でもなされている。ソリッドな、勝手にいじってはいけない深層の骨格部分と、状況に応じて変化してよい表層の部分がある。問題はその境界線をどう引くのかの「さじ加減」です。今勧められている解釈改憲の動きは「法治から人治へのシフト」のプロセスだと言ってよいと思います。安倍首相は繰り返し、「総理大臣が最終決定者である」ということを強調していますが、それは「憲法や法律が想定していな局面において迅速に最適な政策決定を行う必要がある場合には、総理大臣に憲法や法律を超える権限を賦与するべきだ」というロジックに基づいています。
まさにそうだなぁ、という感想。僕らは、その「さじ加減」、そしてその人がどういう思想に基づいているかを見極めねばならない。そういうこともあって、内閣支持率は下がり続けているんでしょうが、それでもまだ43%もある。そこでこういう問いをたてて論じています。
なぜ、日本人は自分たちを主権者に見立ててくれている民主制と立憲主義を打ち捨ててまで、総理大臣に気前よい権限委譲をしたい気分になっているのでしょう。
僕はこのトレンドを「国民国家の株式会社化」という枠組みでとらえています。(中略)政治イデオロギーの適否判断よりも「経済成長」が優先的に配慮されている。最優先に問われるべきことは、その統治システムが「金儲けしやすい」かどうかであって、政体としての適否には副次的な重要性しか無い。そう考えている人達が国政をコントロールしている。
まさに安倍首相は「経済成長」という言葉をよく発していますしね。そして、長引く不況の中で、自分たちの苦しみを救ってくれるのは、経済成長だと思っている国民も多いのだと思います。政治ではなく、経済が救ってくれると思っている国民が多いのでしょうね。

長々、ダラダラとイデオロギー合戦を繰り広げた時代、結党解党を繰り返し、利権に囚われ、政策も法案も骨抜きの妥協案にしかならず、いっこうに変わらない世の中。閉塞感漂う中で、新しい道を見いだせず懐古的になっている。

そういう道もあるのだとは思いますが、僕は戦後一貫して経済成長に豊かさを求めて来た我々はそろそろ次の段階に移る時期なんじゃないのかなぁ、と漠然と考えています。明治から昭和初期にかけての欧米列強に支配されない国づくりから、追いつけ追い越せの道を歩む中で第二次世界大戦に突入し敗戦。焦土と化した国を復興させるべく、経済成長の道を歩む中、いきついたバブル崩壊。それから20年。様々な社会問題が山積し続ける中で「あの時代をもう一度」というところなんでしょう。国民は。それとグローバリゼーションの波に乗りたい政治家の意気投合なのかな。政治の世界にもイノベーションが必要なんじゃないのかな。

内田さんは

憲法の脆弱性は、その起源において「私が憲法を制定する」と名乗る主体が生身の人間として存在しないという原事実にある、と先ほど申し上げました。ということはつまり、起源に戻って憲法を堅く基礎づけるということはできないということです。であるとすれば、残された道は論理的には一つしかない。その起源においての主体の欠如を補填するために、「空文であった憲法を私たちが現実化した」と名乗り得る主体を立ち上げること、それしかない。

と語っていますが、今こそ、そうした「空語を充たす」道もあるのになぁ…と僕は思います。そのためには、復古主義的思想や経済最優先といった考え方を改める必要がある気がします。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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