【イベント情報】発達障害と少年非行を考える 発達障害と少年非行を考える 講師:藤川洋子(京都ノートルダム女子大学教授・元家庭裁判所調査官、臨床心理士) 日時:2011年1月22日(土)13:30~17:00 会場:日本教育会館・中会議室(千代田区一ツ橋2-6-2) ※他に体験報告があります 参加費:800円 主催:NPO非行克服支援センター
東京、「東京シューレ」「雨あがりの会」「フリースペースコスモ」「不登校支援協会」さんを訪問。 今日も盛りだくさんな出会いでした。東京シューレさんとフリースペースコスモさんは、私個人的に2回目の訪問。東京シューレでは、中村さんと精神医療が現在の教育の現場に及ぼしている影響や不登校生の安易な進路選択について盛り上がる。フリースペースコスモさんでは、その子どもたちの居場所がとても明るく生き生きしているのを感じながら、四万十川を歩く冒険旅行の活動や、ベトナムツアーなどの話を聞きながら、スタッフの馬場さんと交流しました。 雨あがりの会さんは、「非行」と向き合う親たちの会で、代表は「ブリキの勲章」で知られる能重真作先生。つい先日も北星余市高校のPTAの会「山親爺(オヤジ)の会」の例会に来ていただいてお話をいただいたり、毎年行われる全国大会に本校教員が参加するなど、ここ数年さまざまな形で交流を持たせていただいています。 ブリキの勲章―非行をのりこえた45人の中学生と教師の記録 (1979年)/能重 真作 ¥1 Amazon.co.jp 「不登校支援協会」さんとは、こちらの時間の都合上、短い時間でしかお会いできなかったのですが、こちらも毎年国分寺で開かれている不登校生のための進路相談会に参加させていただいていて、そういった会以外の機会にお会いするのが初めてでしたので、有意義な時間でした。今度はゆっくりお奈々氏がしたいと思いました。 今日の雑感です。
今日は山梨県と千葉県を訪問。親たちの会「ぶどうの会」や「ひだまり」さんなどを訪れました。 昨日の夜、訪問を終わってから山梨に飛びました。途中首都高の渋滞にはまりながら3時間の移動。ナビでは2時間で作っていってたのに…。 山梨県ではスキルアップスクールさんや中央市福祉課の方、不登校の子どもを持つ親の会「ぶどうの会」さんにお会いしてきました。 スキルアップスクールさんでは、パソコン操作の技術習得を通じて障害者の就労移行支援を行っている施設です。「単純にパソコンの技術を身につけて就労に導くだけでは意味がないと思っています。あいさつ、コミュニケーションのとりかた、そういったことを学ぶことが何よりも大事」と担当された方がおっしゃってました。大切な考え方だと思います。 その後「ぶどうの会」を訪問。鈴木正洋さん、はつみさんご夫妻にお会いし、お昼ごはんまでごちそうになりました。1時間半もおじゃまし、教育談義。子どもたちにとって本当に必要な「学び」とは何か、不登校に陥った子どもにとって必要な経験は何か、そんなことを話しながら意気投合。本当に素敵な出会いでした。鈴木さん一家が経験したことをもとに出版された本、「不登校だったボクと島の物語」を買わせていただきました。ほ!鳩間島!!ふむふむ!! 不登校だったボクと島の物語/鈴木 正輝 ¥1,575 Amazon.co.jp その後、千葉県に飛び、「ひだまり」さんを訪問。情報交換をさせていただきながら、「先日、北星余市の親御さんがここの進路相談会でお話ししてくださったんです」とのこと。「熱心な親御さんで…」とおっしゃってくださいました。 これを機にみなさんといろいろ関わりを持てたら嬉しいと思う出会いばかりでした。
エルムアカデミーさんを訪問しました。 昨日から関東のいつもお世話になっている方々の所を回っていますが、今日は品川区にありますエルムアカデミーさんを訪問。生徒が3名きていて、みんな元気に頑張っているのでご報告に。 もともとこちらは1984年に学習塾としてスタート。この間、日本の知識詰め込み型競争教育とは一線を画した教育実践をされている塾です。 「私たちは、ただ知識を詰め込むだけで、子どもが“育つ”とは考えません。“学ぶ”ということの意味をともに考え、悩み、“いかに生きるか”を子どもたちとつむぎだしていきます。そうしてはじめて子どもたちのなかで“学ぶ”ということと“育つ”ということがしっかりと結びつくのだと考えます。」(エルムアカデミーホームページより) ふーむ。 1時間ほどお時間をいただいて、教育談義。東京都の不登校教育事情に関するお話も頂きました。私が訪問させていただいたのは2回目。そのときも個人的に感じたのですが、北星余市との考え方に近いものを感じます。夏には1週間の合宿をされるとか。毎年8月頭に自由の森学園さんの校舎をお借りして行われているみたいです。先生と生徒でつくり上げる合宿。今度訪問させていただくときには、ぜひ私も一泊体験してみたいです。 エルムアカデミー
来週は関東での生活 今日から関東での生活が1週間。ホテル暮らしは疲れるんだよなぁ。 明日は栃木県で教育相談会、そして明後日は埼玉で同じく相談会。その後、月曜から金曜まで、埼玉・東京・山梨・栃木・茨城を訪問する。良い出会いがあることを願って。
気がついたら、こんなところまで来ていた件 なんか、気がついたらこんなところにいる。自分はこれからどこにいくのだろう…と考えても仕方のないことなんぞを考え込む。 聖書には預言者ヨナの話がある。そういうものなのか。私にはわからないが、与えられたことはせねばなるまい。
「公共性」と「痩我慢」 繰り返し言うが、発生的に国家は私事にすぎない。 だが、誰かが「治国平天下」のために生きるということをおのれの規矩として引き受けるとき、その個人の実存によって、「私事としての国家」に一抹の公共性が点灯する。 国家というのは成立したはじめから公共的であるのではなく、その存続のために「痩我慢」をする人間が出てきたときにはじめて公共的なものに「繰り上がる」。 国家は即自的に公共的であるのではない。 私事としての国家のために、身銭を切る個人が出てきたときに公共的なものになるのである。 公共性を構築するのは個人の主体的な参与なのだ。 誤解して欲しくないが、「だからみんな国家のために滅私奉公しろ」というような偏差値の低い結論を導くために私はこんなことを書いているのではない。 「だからみんな・・・」というような恫喝をする人間は「国家が本質的には私事である」という福沢の前提をまったく理解できていない。 彼らは自分が何の関与もしなくても、公共物としての国家は存在し、存在し続けると思っている。 それは「誰か」が自分の手持ちのクレジットを吐き出して、公共性のために供与することによってしか動き出さないのである。 そのような「痩我慢」は純粋に自発的な、主体的な参与によってしか果たされない。 痩我慢というのは、徹底的に個人的なものである。 そして、福沢は行間においてさらににべもないことを言っている。 そのような「痩我慢」を担いうるのは例外的な傑物だけである。凡人にはそんな困難な仕事は要求してはならない。 というのは、凡人に我慢をさせるためには強制によるしかないからだ。 政治的恫喝であれ、イデオロギー的洗脳であれ、そのような外的強制による我慢には何の価値もない。 そのような不純なものによって「私事としての国家」が公共性を獲得するということはありえない。 現に、北朝鮮では国民的な規模で「我慢」が演じられている。だが、外的強制による「我慢」が全体化するほど、この国はますます公共性を失い、「私物」化している。 「こんなこと、ほんとうはしたくないのだけれど、やらないと罰されるからやる」というのはただの「我慢」である。 それは何も生み出さない。 「こんなこと、ほんとうはしたくないのだが、俺がやらないと誰もやらないようだから、俺がやるしかないか」という理由でやるのが「痩我慢」である。 それは「選ばれた人間」だけが引き受ける公共的責務である。 内田樹の研究室「公共性と痩我慢について」より