「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」雑誌『風の旅人』編集長・佐伯剛さんをお招きして。



2013年11月17日、品川区中小企業センターで北星余市の教育講演・相談会を開催した。その講演・相談会に先立って午前中に「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」というトークイベントを開催した。トークイベントを企画した意図は、風の旅人編集長・佐伯剛さんを訪問。を見てほしい。発案した時から時間が立つにつれ、色々な意図の色合いが濃くなったり薄くなったりした感があるが、最終的には佐伯さんのお話を通じて、3年間の子供たちの高校生活において大切なことが、ひとつ言語化できた。

佐伯さんは話の最後の方で子供たちに「強靭さ」を身につけることの必要性を言われていた。僕のアンテナにそこがピピッと触れた。

昨年から北星余市は進路教育の充実を考え始めていたところで、若者の就労の実態、就労支援の現状を見聞きするたび、彼らに何を育ててあげることが大切なのか…ということをずっと考えて来ていた。同じ不登校を経験して来ている子どもでも、北星余市で過ごした子どもたちでも、高校時代の後、強く生きている子とそうでない子の違いは一体なんなんだろう…どういうものを身につけさせてあげれば良いのだろうか…と考えて来ていた。それを僕は「人間関係で生きる力」のあるなし、、、という形で表現をしていただが、実はなんだかちょっと狭さと違和感を感じていたところだった。そして、今回の「強靭さ」という、しっくり来る言葉に出会うことができた。

「強靭さ」。まだ、自分の頭の中で十分整理は出来ていないけれど、別にそれは強い肉体と精神を持つとか、我慢に耐えうる忍耐強さをつけるとか、そんな単純な話ではない。人は生きていると辛いことが山ほどある。これに直面したときに、どういう考えをしてどういう行動をとるのか…といったことは、意外と生きて行く道の中で鍵となることが多かったりする。そこに耐えうる強靭さ。きっと、自分を振り返ればわかるだろう。僕も日々、学校で働いていて苦しみ、悩み、逃げ出してしまいたい、投げ出してしまいたいと思う局面はある。年に1度や2度は、自分の力ではどうしようもない大きな問題に打ち当たりその立ちはだかる壁の前で、足をわなわな震わせながら立ちすくむしかないような出来事だってある。けれど、それに負けないのは、僕の中で大切な物があるからである。こんなところで負けて入られないというものがある。守りたいものといったっていいかもしれない。僕は「強靭さ」といったって、肉体的にも精神的にも弱い人間だと自分で思っているけれど、それでもこうして頑張っていられるのは、そういうものがあるからである。そういう「強靭さ」を身につけることが生きる上では大切なんだろうと思う。この「強靭さ」は人によって違う。

そして、もうひとつ感じたこと。この時代の流れは早く5年後すらどうなるのかがわからないという認識をもってもいいんだ…ということ。

教師は学校という狭い世界にいて、(誰もが多忙の中そういう情報を集めているのだと思いますが)なかなかそういった情報に目を向ける機会がないし、本当に今は変化のはやい時代だ。そんな種々の状況を踏まえてみても、未来を見据えることの困難さを覚えていた。けれど、進路教育は子どもたちの10年後20年後のためにあると思ってもいる。単なる出口指導、つまり進学先や就職先を選ぶというそんな話ではない。そこの未来を見据える困難さと進路指導の目的のアンバランスさに、どうしたらいいのかとても迷っていた。

そして、今日佐伯さんの言葉をお聞きして「先のことはわからない、、、ああ、そう思っていていいんだ」と思った。いました。だからといって、先のことを考える必要がないとは思っていないし、社会の流れは当然知る必要があると思っている。しかし、間違いなく、そんな「こういう時代だから、こう育たなければならない」という感じで、時代と社会に合わせた画一的な教育ではなく、いつの時代もどういう変化がおきても、一人の人間が社会で生きていくために、人の根本的なこと、生きる土台となるものを育むことが大切だし、その内容的にそれがどういったものなのかを少し整理することができた。

先週、進路教育を考えるシンポジウムがあり、そこで司会をしていたが、法政大学の児美川先生が「キャリアンカーを育む」ことが進路教育では重要ではないかといっていた。世の中の風潮として「やりたいことをみつけなさい」といったり、キャリア教育の一環で職場体験なんか中心となっていて、それを通じてなりたい職業を探すという動きは強いが、そんなことをやっても意味がない、、、と。自分にあった、自分がしたいと思うこと、アンテナに触れる事柄に出会うことが大切だと。

保育所にボランティアに行くうちに、子どもたちが可愛いと感じ、子どもたちを育てたい、ふれあいたいという気持ちを抱く。そういう錨、アンカーが大切であって、職業はなんでもいいんだ…くらいの気持ちがちょうど良いんじゃないのか…という趣旨のことを言っていた。端的に言えば、そのためには色々な経験をさせることが大切なんだろう…と思う。きっと、そういうアンカーは、多少の時代・社会の変化に耐えうる強靭さのひとつなんだろうと思う。

「イキイキと生きる進路をひらくために」 ~親・学校・地域にできること~ に参加してきました。


さて、昨日のダンスフェスティバルの余韻を引きずりながら、今日は東京へ。「イキイキと生きる進路をひらくために」 ~親・学校・地域にできること~ というイベントで司会。

北星余市と懇意にさせていただいている、エルムアカデミー自由の森学園との共催。

コーディネーターは児美川孝一郎先生( 法政大学キャリアデザイン学部教授 )。

同企画の趣旨は下記の通り。
2013 年 1 月に開催され 100 名が参加した「イキイキと生きるための進路教育」シンポジウムの第 2 弾企画。今回は、じっくりと児美川先生のお話を聞きながら、事例報告では、各地域や学校が取り組んでいる様々な進路教育の実践や子ども・若者の状況、そして父母の話を聞きます。高校でやり直しを遂げた若者や社会に出た後、自ら起業した卒業生などの生の声をお届けします。
今回も大きなテーマは高校・大学・職業選択だけの進路指導ではなく、若者たちがこの社会で「どのように生きていくのか」ということ。 小・中・高校時代(あるいはそれ以後も)悩みを抱えて生きつつ、その後、社会人としてどう生きていくのか、そのための親や学校や地域はどうあるべきなのか。参加者を小グループに分けてグループ討論もおこない、より論議を深めていきたいと思っています。
進路教育なんて、どうあるべきか、自分の中でまとまっていない、ぜーんぜんまとまる気配すらないのに、司会だとか発表だとか。「ちょっといいの?」とか思いながら。

だいたい、進路教育なんて、とてつもなく遠大なテーマだと思う。個人の資質と社会の状況とご縁をベースに、どんな考え方をしてどんな選択をするか。単純化すれば、生きるってそういうことだと思うし、いわゆる学校における進路教育なんていうのはそのほんの一端を担っているだけで、生まれてから社会で自立するまでの家庭教育、学校教育、社会教育、出来事・経験、それら全てが進路教育なんだろうと思う。ローマは一日にしてならず、みたいな。

それを考えよう!というのだから、僕らも含めてエルムさんも自森さんもチャレンジャーだと思う、笑。でも、そういう姿勢が好きだし、大切だと思う。

進路教育に対して、自分の考えが定まっていないとはいえ、考えるところはある。

が、まぁ、それは今はいいとして、今日、児美川先生のお話から学び感じたことを一つ。

学校の先生になりたい、医者になりたい、弁護士になりたい、パイロットになりたい、大工になりたい…幼稚園や小学校の卒業誌には、決まって「将来の夢」のような欄があり、そこには職業が書かれている。けれど、中学生や高校生になると途端にそこが見えなくなる。それは子供たちが現実社会の厳しさを実感したからだと見ることもできるかもしれないが、僕が児美川先生の話から僕が感じたのは、それを大人がつぶしている可能性は大きいということだった。

子供たちが、将来の夢としてなりたい職業をあげていったとき、「おお、さすが我が子よ!」と両手を叩いて喜び、「さぁ、じゃぁ、それになるには何をしなければならないか考えなければならない」「そのためには勉強しなければならない」と考えるかもしれない。塾に通わせる親がいて、何かの専門的なスクールに通わせる親もいるだろう。「そんなものなれっこない」とはなっから流す人もいるだろう。

しかし、大切なことはそういうことではなく「この子がなぜ「学校の先生」に惹かれているのか、なぜ「医者」に惹かれているのかと考えること」なんだと。

そうしたとき、子供たちの興味が見えてくる。人に物ごとを教えること、自らの伝えることによって人がより良い人生を歩んでくれること、病気で困っている人を健康で幸せな生活へと導くこと、心の悩みに寄り添うこと、物を創ること、自分の創った物が社会の役に立っているという喜びを感じること。子供は言語化はしないしできないが、「なりたい!」というその職業の魅力を、きっと感じている。そこを大切にしてあげることが、きっと大切なことなのだと思う。

これらの『ある人物が自らのキャリアを選択する際に、最も大切な(どうしても犠牲にしたくない)価値観や欲求のこと』(Wikipediaより)をキャリア・アンカーという。

「やりたいことをみつけなさい」「なりたい職業を探しなさい」というヤリタイコト神話が、もはや強迫に近いレベルで子供たちの周りに押し寄せていると僕も思う。ずっと「なんか、違うんだよなぁ」と感じていたことが見えた気がした。

いつしか、医者になること、教師になること、アーティストになること、「なること」事態が目的となってしまう。なりたいものを見つけたって、それになれるのは実際は一部の人間でしかない。その目的が達成できないと察した途端に、自分はその点で負け組になり、努力が足りない、頭が悪い、自分は結局そんなもんだ…という意識になってしまう。いつしか、それでも社会で生きて行くためには、お金を稼ぎ飯を食って行かねばならないという現実が押し寄せて来て、そのことが働く目的となってしまう。夢は遠い彼方。

学校の先生にならなくたって、人に物を教える職業はいくらでもある。医者にならなくたって、人の健康に携わる職業はいくらでもある。大切なのは、その職業に就くことではなく、自分の中にある最も大切な価値観や欲求をいかにして実現していくのかということなのだろう。きっと、そこに基づいて生きている人というのは、イキイキとした生き方をしているに違いないと思う。

そして、もうひとつ。小さい頃に感じた興味や関心や使命を、大切に温めながら、大人になって実現する人も一部いるだろう。けれど、大半の人は、行ったり来たりしながら、それを見つけるものなのだということ。そうした価値観や欲求は、探しなさいといって見つかる物では、おそらくないのだろうということ。これは天からの贈り物のように、ふとした瞬間に舞い降りてくる物なのだと思う。ある日「あれ?なんか、オレ、こういうことに興味あるかも」と気がつく人もいれば、雷に打たれたような出来事に遭遇してそんな自分を見つける人もいるだろう。

そのためには、やはり、沢山の出来事、沢山の経験、それを生んでくれる沢山の人との出会いが、もっとも大切なことだと思う。職業人として働いている人で、今の自分のしていることに誇りを持っている人の中には、「最初はそのつもりはなかったんだけど…」という人は多いはず。そういうものなんだろうな…と児美川先生の話を聞いて思った。

うん、でも、だからといって「じゃ、沢山の出来事を経験させないと!沢山の人とふれあわせないと!」となってしまうことも、また違うような気がする。こういうことって「○○のためには、〜しなければならない」ということを強く意識された状態で、次の人に手渡された時点で、もはや強迫でしかなくなっていることが多い。

道端で見かけた猫は、人が意識をすると一目散に逃げ隠れてしまう。いくら猫がかわいらしくても、そばにいてほしいのなら、あえて興味がない雰囲気を醸し出しながら、見て見ぬ振りをするくらいの芸当ができないといけないのに似ていると思う。








SOPRATICO DANCE SCHOOL FESTIVAL VOL.14。


卒業生が株式会社ソプラティコ(http://www.sopratico.com)さんという会社のダンススクールでインストラクターをしている。ソプラティコさんには、北星余市の総合講座に協力してもらって、ダンス講座を開いてもらっている。

今日はそのダンススクールのイベント、SOPRATICO DANCE SCHOOL FESTIVAL VOL.14が小樽市のマリンホールで開催された。

きっと彼はこんなことを書かれてはいやがるだろうが、入学時の彼は本当に手の焼ける子だった。1年生のとき、僕は担任をもっていた。あまりに生生しい出来事なのでここには書かないが、♪おもいでぇ〜がぁ、いぃーっぱーい!♪である。

当時は本当に僕自身、どうしたらわかってくれるか悩みに悩んだ。が、こうして北星余市を卒業し、北星余市でした経験、学んだこと、身体と心ですーーーーっと吸収してくれたこと(それが全てではないだろうが)をもって、生きてくれているのが本当に嬉しい。

彼は北星余市でダンスに目覚めた。ド素人の私には彼も言われたくないだろうが、卒業するまで、お世辞にも上手いとは思えないダンスだった。あんなに練習していたのに、ぎこちない。しかし、その彼が、卒業後の進路はダンスの専門学校に行くという。3年生の時は僕の担任ではなかったので、うーん???と思いながらだったが、好きこそものの上手なれ…か、今は当時の面影もない。流れるように滑らかで、リズムが身体の動きに合わせているような気にさえなる。


今の彼はあのときの彼とは違うのはわかっているが、どうしても僕の中ではあのときの彼が見える。その彼の周りにこんなに沢山の人達が集っている。彼を慕い、彼からダンスを学び、またきっとダンス以外のことも学んでいる人達がいる。彼がそういうたくさんの人達の中で支えられながら生き、自分の好きなダンスを通じて生きている。北星余市での経験も含めた人生経験を、また下の世代へ伝えていっている姿に、少し目が霞んだ。ありがとう。

うん、でも、やっぱり、あいつと敬語で会話をするのは気持ちが悪い、笑。

子ども・若者支援地域ネットワーク形成のための研修会で講演。



静岡県立大学公認のサークル、若者エンパワメント委員会(以下、YEC)が主催する子ども・若者支援地域ネットワーク形成のための研修会の講師として依頼を受けて静岡県沼津市にお邪魔してきた。

YECとは…講演依頼を受けた担当者からのメールを抜粋。
YECは社会の流れに委ねてしまっている若者に対して、若者自身の「可能性」を発揮する機会や場づくりの手助けをするために発足された静岡県立大学公認サークルです。
http://ameblo.jp/youth-empowerment/
このYECは内閣府の講演事業の委託を受けたのだとか。
この講演会は、平成25年「子ども・若者支援地域ネットワーク形成のための研修会事業」という内閣府の研修会事業です。社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者への総合的な支援を、社会全体で重層的に実施していく必要があり、研修の実施を通じて、子ども・若者支援に関わる様々な関係者の資質向上を図り、子ども・若者地域支援ネットワークの形成に資することを目的としています。
その中で「学校教育における社会参加〜シティズンシップ教育と学校民主主義」というテーマでお話をさせていただいた。まぁ、話したことは、北星余市における生徒会執行部の思いと動き、それを学校としてどう考えているのか…といういつものお話。

学校という場での経験が、子供たちにその後の社会生活で大きな影響を及ぼすとするならば、その学校生活創りというものも、もちろん、社会の一構成員としての在り方に大きく影響することになる。これは、子供たちが社会に出たときに、どういう社会を創っていくかについて、非常に重要な要素である。YECの団体説明にもあるように「社会の流れに委ねてしまっている若者」は多い。自らが自立し、社会に参画し、住み良い社会を作り上げて行くのだということを学ぶことは、学校の存在意義の一つであると思う。

北星余市では、基本的に学校行事や日常の取組を生徒たちに取り組ませている。ひとつひとつの行事も、生徒会執行部が夜遅くまで残り議論をして、原案を立てる。それをクラス役員の集まる評議員会におろして、各クラスで議論して、意見集約をし成案とする。そして、ひとつの行事に向かって取組を始める。私たち教員は小間使いであって、時折、考える材料を適度にさらっと提供する程度の役割である。「先生、これってどうなの?」なんて質問に「ん?わからん、執行部に聞け」ということもしばしば(もちろん、臨機応変に)。だって、先生たちの取組じゃないもん。「わからないことをなんでも先生に聞くんじゃない」「自分たちで直接主催者に聞きなさい」「自分たちで考えなさい」そんな感じ。失敗?多いに結構。問題?それまた結構。教師にとっては面倒くさいことだけれど、そういう出来事が起これば、またみんなで考えればいいじゃないか。そうやって社会は創られていく。

他の高校の生徒会執行部と合同で行事を進めるときに、生徒が先生の顔色をうかがいながら発言をしていたり、生徒同士の話し合いでまとまりかけていたものを、教員の一言でひっくり返し教員がまとめてしまうという場面をみかけるが、そんなことは「社会の流れに委ねてしまっている若者」を生むだけだよな…と思う。

そんなことを思いながら、北星余市の生徒会執行部の動き、それを受けた各クラス、そしてそのクラスの中での各生徒たちの動きについて、話をさせてもらった。

しかし、この取組を大学生が行っていることが僕はすごいと思う。つい、こういう大学生を見ると、自分の大学時代が少し恥ずかしく思うくらい。実直に、でも楽しみながら、こういうことについて、真剣に取り組んでいる。いい刺激をうけた。

最後の全国のつどいin北海道の実行委員会。

今日は2013年8月に行われた登校拒否・不登校問題全国のつどいin北海道(http://zenkokunotudoi2013.jimdo.com)の最後の実行委員会だった。昨年の12月からほぼ毎月のように帯広に日帰りで通った。実行委員会といっても実際はほとんど準備はしていない。実行委員会は、現地で事務局をされていた不登校登校拒否と向き合う親の会・はるにれの会皆さんを中心に、帯広地域の皆さんが準備してきたものに対して、全国から集まる皆さんにとってそれが良い物となるかどうか、意見を出し合う時間がメインだった。事務局の皆さんにとっては、さぞかし大変な1年だったと思う。北星余市からは10名の教員が当日参加して、世話人という形でお手伝いをした。各分科会の司会や書記、連絡係などを担当し、全国から集まる方、不登校で悩んでいる方、そういった方たちを支援されている方達と有意義な時間を過ごさせてもらった。

深夜1時過ぎても事務局の皆さんが本部で笑いながら今日を振り返り、明日のためにニュースを書いていたことが、今でも思い出される。何かを決めるわけではない「つどい」。つどって、思い思いの時を過ごす。それは心地よい時間だった。


今日はそのつどいの最後の実行委員会。まぁ、企画をたくさんの人で運営するということは、それぞれの思い、まして全国で思いの集まっている人達ばかりだから、その強さもあって、そして文化もあって、それぞれ思ったことはあっただろう。けど、本当にいい集まりだったんじゃないかって思う。

今までは実行委員会が日曜日に開かれ、翌月曜日は学校があったので日帰りして懇親会に出席しなかったが、今回は最後ということで懇親会に参加させてもらった。実行委員会に参加したり、世話人をしていたとはいえ、こういう懇親会のような場で話すのとはまた違う。もう少し、近い距離で話すことができる懇親会は楽しい。

その中でとある方からありがたい言葉をいただいた。「私も色々あったけど、北星余市はやっぱり、ちょっと違う学校だって思った。不登校で悩んで苦しんでいるまっただ中の親の気持ちを理解しようとしてくれている『学校』はそうそうない。というか、他には見たことがない。唯一つながることができる学校だと思った」と。

北星余市はこれまで29年間、不登校や非行、高校中退で苦しい経験をしてきた子供たちを受け入れて来た。その多くの子供や保護者から、北星余市につながる前は、人生の道を外れ出口のない暗闇をさまよい続けているようなものだったと聞く。

安定した給料と職に就くこと、欲しい物を不自由無く買い求めることができる生活が幸せな生活で、そういう生活を送る者が成功者とされる価値観。そのためにお勉強をし、テストの点数をとり、部活に精を出し、いい高校に入り、いい大学に入ること、そういう価値観を一般的に植え付けられている人達が多い。そういう価値観を持っている人達からすると、不登校や非行というものは人生の道をはずれ、しかもそれは戻ることのできない失敗であるととらえるのもわかる。私も北星余市で教員を務めなければそう思い続けていただろう。

しかし、北星余市の生徒たち、卒業生たちを見ていて、不登校や非行、それ自体はなんの問題もないことだということがわかった。そういう経験をしている人達が、そのままの流れの中で、自分を否定し、世の中に受け入れられないままにいることで苦しい生を送っている傾向があることはある。しかし、それはそういう経験をした後に、適切な考え方ができなかっただけのことであって、不登校や非行をしたから人生が終わったわけではない。大丈夫、人生終わったわけではない。闇でもがいている苦しみを感じているかもしれないが、希望は必ずある。

長崎、奈良と過去2年間、このつどいに参加して来た。自らの土地、北海道で開催されるにあたって、僕はそういうことを、今不登校や非行で悩んでいる子供、それを支える家族の方たちに少しでも感じてほしいと思った。このつどいには沢山悩みを抱えてくる方もいるが、一方でそういった価値観を口で説教するとかそんなのではなく、出会い、語り合い、笑顔でふれあうことで、悩みを抱えている方達が、自然とそういうことを心と身体で感じて帰って行かれることの素晴らしさを感じていた。だから、そういう場で自分たち北星余市ができることはないか…ということを考えていた。

僕のそういう思いを、誰がどう感じてくれたかはわからない。けれど、飲み会も終盤、最後に酔っぱらった、半ばべらんめぇ口調で、温かい言葉を私に投げかけてくれたことで、僕のその思いを感じてくれていた人がいたのだと知った。その言葉が僕が心をとても温めてくれた。僕もまた元気と勇気をもらった、そんな素敵なつどいだった。

PTAOBが余市に。ありがたい余市町への思い。

今日は45期PTAOBがはるばる余市までやって来てくれた。2013年11月10日(日)に東京で開催される「イキイキと生きる進路をひらくために」~親・学校・地域にできること~というイベントで、余市町の果物などの物産を販売するために、余市町や農協を回って打合せ。そのためにきてくれた。わざわざ、北海道まで。

北星余市のPTAは、北星余市を愛してくれている。北星余市のみならず、3年間、子供たちを育んでくれた余市町という町まで愛してくれている。今回のイベントでの物産販売も、利益抜きでイベントに来てくれる人達に、余市の味覚を堪能してほしいという思いで動いてくれている。なんとありがたいことか。

不登校や非行を経験したり、そうでなくても進学校での勉強に疲れたり、部活動で故障してしまったり、一旦入った高校で目的が見つからず中退したりといった挫折を味わってから、やり直しをかけて来る子供たちの多い学校だが、そういった子供たちを育むには、地域の包容力なしにはなし得ない物がある。生徒減に悩まされる北星余市を思って「札幌等の都市部でこの教育をやってはどうか?」と提案してくれる人もいるが、この教育はこの土地だからできる面が大きい。そんな余市町で3年間の高校生活をし、子供たちの成長を与えてくれる土地への感謝と敬愛の念がこもっている。本州の百貨店やイベントなどの物産展で「余市」の文字をみるだけで、ついその商品を買ってしまうほどらしい。

夜は先日のブログで紹介した11月のイベントの打合せと称した飲み会。校長と松本さんも余市に合流して。楽しい時間だった。

風の旅人編集長・佐伯剛さんを訪問。

先週の土曜日、2013年9月14日、東京に行って来た。目的は11月17日(日)に開く「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」というイベントの打合せ。

上記イベントは、北星余市に長年広報物作成のために写真撮影に入ってくれている松本さんと本校PTAOBの武原さんからの提案で実施することになった。PTAOBからは長年写真撮影に入ってくれている松本さん、そしてTsunagaru Project開始後撮影に入ってくれている佑木瞬さんが、子供たちをどのような視点で撮影しているのか、北星余市の子供たちをどのように見ているのかを知りたいという思いからスタート。それであれば、せっかくだから…と松本さんの提案で、雑誌『風の旅人』の編集長・佐伯剛さんに来ていただいて、自分たちの思いを語りつつ、外の方がどう感じるのかも聞いてみたいということで、企画が成立した。ちょうど11月17日の期間に、松本さん、佑木さん、そしてマカオ出身の写真家、ラオ・シーズンさんで昨年の学校祭に撮影に入った時の写真を使った合同写真展を開いていることもあり、それにぶつけた企画ともなった。

企画詳細
http://www.hokusei-y-h.ed.jp/information/?c=1&s=14753#14753

その前打ち合わせで、佐伯さんの事務所を訪問させていただいた。目的は企画の打合せと事前に佑木さんとラオさんの写真を見ていただくことだったが、企画の打合せなどほとんどなく、佐伯さんの素敵な話が繰り広げられた。打合せにはなっていなかった気がするが、これはとても面白いお話が聞けそうな予感がした。

伝えるとは何かをとても考えさせられた。そして、これからの社会や教育の在り方なども考えさせられた。

学校は、今の基準や価値観、下手をすれば過去のそれらに基づいて動きがちだ。しかし、それでは限界が来ていることは社会が証明してくれている。我々教師はその困難な未来を見据えて、または未来が見据えることができなくとも、人が社会で生きていく上でどのような環境であろうとも必要であり、またそれがあれば自ら作り上げることのできる、そういう力を育んでいってあげるべきだと思っている。ただ、学校という閉鎖的な場所に日常的にいる教師は、過去や今に縛られがちであると自覚をすべきだと思っていて、そう自覚している私からすると、佐伯さんのおっしゃっていたことは子どもたちにとても必要な要素をたくさん含んだ事柄であると感じた。

佐伯さんのブログ、とても刺激を受けます。
風の旅人〜放浪のすすめ〜:http://kazetabi.weblogs.jp

その後、夜はPTAの方たちと。これまた、打合せと称した飲み会。



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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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