3秒の動画に300枚の絵。

今日、帰宅したら「笑ってこらえて」が映っていた。スタジオジブリの最新作『かぐや姫の物語』の特集がやっていた。夕食をとりながら、ついつい見入ってしまう。

この映画の製作には8年の歳月がかかっている。3秒の動画に300枚の絵が使われているシーンがあった。やってきたことがたかだか3年でしかなく、ゴールが見えないことに焦りを覚えている自分に何かが落ちた感じがした。そういうものなんだろうな。精一杯、取り組むしかないという。

3秒の動画に300枚の絵。知らない人は、きっと同じような絵を何枚も描いている姿、しかも1枚1枚妥協せず、タッチの繊細な違いを嗅ぎ分け、書き直しを加えながら作業を進めている姿をみて「その行為に意味はあるのか?」と見えるはず。やっと300枚書き上がって、「よし、できた!」って繋げたって、たったの3秒だもんな。「えええ、、、たった、これだけのために?」「先が思いやられるな」って感じかな。それをあーだーこーだーいう人もいるけれど、きっと、いいものを創るにはそういうことしかないんだろうな。

それが積み重なって8年。8年。…8年か。
ま、やるしかないからなぁ。

その後のフレデリック・バック氏とのエピソードに涙した。

内容は、だいたいこんな感じ。

にんじ報告さんより:http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/35688106.html

高畑勲監督は、1981年に渡米したとき偶然に「クラック!」を映画館で鑑賞。高畑監督はその作品のストーリーや独自の優しいタッチに強い影響を受けて自分の作品に取り組んだということです。そして、高畑監督は新作「かぐや姫の物語」をフレデリック・バックさんに鑑賞してもらうためカナダへ行ったということです(他にも目的があったが、フレデリック・バックさんに会うのが最大の目的だった)。
高畑監督は「バックさんに啓発されて作った作品なんだから、彼に観ていただきたいとずっと言ってきた」「喜んでいただけるんじゃないかと、信じてるんですけどね」と語っていました。フレデリック・バックさんは重い病気(癌)を患っていたのですが、高畑監督が訪問した日は小康状態で、高畑監督の訪問を心待ちにしていたということです。
フレデリック・バックさんに会った高畑監督は「会えて本当に嬉しいです。無理を言いまして」「どうしても観ていただきたくて」などと感動した様子で話しかけ、フレデリック・バックさんも「長生きしてよかった。作品を見られるんだから」と応じ、高畑監督へのプレゼントとして「クラック!」の中から選んだという原画をプレゼントしていました。
当初、フレデリックさんの体調を考慮して6分間の予告編を観てもらう予定だったのですが、予告編を観たフレデリックさんは「綺麗だ。素晴らしい」「デッサンの軽やかさ、そして 描かれていない空間の素晴らしさ」と拍手、「できればもう少し観たいな」と希望し、予定になかった本編を上映することになりました。
本編の上映中、高畑監督とフレデリックさんは二人きりで、同じソファーに並んで座り、手を握り合っていました。
上映を終え、フレデリックさんは「観られて嬉しいよ。この作品は、私の長年の夢がかなったようなものだ」などと高畑監督に言葉を贈り、高畑監督は「どうもありがとうございました」と涙ながらに応じていました。
フレデリックさんは最後に「あなたは才能ある人たち恵まれている」「大好きな高畑さん、心からありがとう」「特別なお土産になりました。私にとっても世の中にとっても」と賛辞を贈り、そして「ブラボー」と言って拍手をしていました。
この二人きりの鑑賞会の8日後、フレデリック・バックさんは永眠されたということです。(享年89) 


なんていうのかな。こういうことってあるんだね。映像を観て8日後に亡くなった。8年の歳月をかけてつくったということは、ちょっとしたタイミングで『かぐや姫の物語』を観てもらうことが出来なかった可能性があるもんね。なんか、ギリギリの奇跡っていうのかな、そういうのって、あるのかもしれないな。思い続けていれば。そういうものかもしれないな。



やっぱり「発達障害」は取扱注意だなぁ。

今年の北星余市の冬の教師研修会1日目は、発達障害に関する学習会。

2011年8月に北星学園大学・障害児教育夏季セミナーに参加してきました。で覚えた同じ感想が頭に浮かぶ。ん〜、どっかで感じたなぁ〜と振り返るとブログに書いてた。

今回は親しくさせてもらっているエルムアカデミーの中塚先生に来てもらっての学習会。中塚先生は教育サポートセンターNIREの代表でもあり、日本LD学会員でもある。僕らとも何度も付き合いがあり、信頼のおける先生。発達障害についても、バランスよく広い視野をお持ちだった。

話を聞いていてやっぱり思うのは、安易に断定することの危険さ。教育はその子の可能性を追求する営みであることを考えたとき、安易に「発達障害である」と断定することで、その子の可能性を狭めてしまう場合がある。まして、昨今の「この子、ちょっと、おかしい?」「原因は?」「発達障害かも?」「ああ、その傾向ありますね?」「検査?」「ああ、その傾向が出ています」「じゃ、特別支援学級かしら?」なんて潮流にのってしまったらなおさら。

北星余市で面接試験をしていると「過去に発達障害と診断されたんです」「その可能性があると言われたんです」というかなりの人数の親御さんに出くわす。確かに落ち着きなかったり、表現をストレートに受け取りがちで例え話なんかが通用しなかったり、感情のコントロールが苦手だったり、授業内容が理解できなかったり…。まぁ、過去にそう言われて来たそれなりの理由はあるんだけど、3年たったら「前のおまえはなんだったの?」っていうほど、成長することが多い。もちろん、僕ら教師を始め、親御さんや寮下宿の管理人さん、他の生徒の力が必要だけど。多くは変わる。発達障害は基本的に脳の機能障害だから回復することはない…と言われてたりするけれど、「じゃぁ、僕の目の前にあるのはなんじゃらほい?」と思う。

大切なのは見立てだ!と改めて考えさせてもらった一日。


北海教区通信・第189号に北星余市を応援してくれる温かいメッセージ。

北海教区通信に北星余市のことが書かれていた。後志地区、余市教会の小西牧師からのメッセージ。地域の方に支えれて存在しうる北星余市。地域の方の温かい思いに感謝。
北星デーの取り組み
余市教会では、2012年度から北星余市高校の働きをおぼえ、地域の皆さんに知っていただく日として、5月と10月に「北星デー」を開催しています。毎回、北星余市高校の教員や学生の皆さんに、北星余市高校が目指す教育、学校生活などについての話をしていただいています。10月20日に開催した今回の北星デーには27名の方々が来てくださり、3年生の上野幸星さん(余市教会員)、坪島真也さんが、今夏に出かけたフィリピンでのボランティア活動についてのお話をしてくださいました。余市教会は、北星余市高校の創立に深くかかわった教会として、今できる最大限のことをして支えたいとの祈りを持っています。余市教会は現在、「地域に必要とされる教会として」との標語をかかげて歩む中で、わたしたちは今、北星余市高校について2つの願いを持っています。
①北星余市の学生たちが集える場所になりたい。
②余市教会を会場にして、地域に向けて、北星余市高校の学校説明会を開催したい。
これらの働きをおぼえて、お祈りください。
北海教区通信 第189号より

チョークアートのLOVEIさんと飲む。

先日「北星余市で自分ができることはないだろうか」とつながりを求めて来校してくれたLOVEIさん。そのときに「飲みに行きましょ」といって、本当にいってきた。

Lovei Labo:http://ameblo.jp/loveilab/

余市のいっ徳さん。牛カットステーキサラダが美味しかった。もつ鍋・塩味も。僕はもつは食べたくないものなんだけど、もつ鍋のスープと野菜は大好きだったりする。

せっかくだから、他の教員、やっさん、堀さん、小野澤先生、本間ちゃんと北星余市を使って地域の英会話塾(という表現は適切ではないと思うけど…)を開いてくれているひねさんも誘って。なんか、おもしろーい組み合わせ。好きなメンバーが集まってる。

ひね塾
ホームページ:http://hinejyuku.jimdo.com
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/hineyoko

18:30から20:30まで。みんなであーでもない、こーでもないと。僕はとても楽しい時間だった。みんなで何か面白いことができればいいと思う。


この15年。

昨日は学期ごとの教員の慰労会だった。北星余市では学期が終わるごとに各学年部会(担任・副担任)で慰労会を行う。ここでは今学期にあった嬉しかった出来事もつらかった出来事も、おいしい料理とともにみんなテーブルに上がる。あのとき、あーすればよかった。あの子は成長した。次の学期はどうするのか。といった生徒の話から、学校の運営に関わる話、プライベートな話まで何でもありの時間。そんな話をしながら、お互いの労をねぎらい「何はともあれお疲れさん、また来学期も頑張ろうね」という時間を過ごす。ここ数年、教員が減ったことで、各学年部会の人数が6人とか7人とかでちょっと寂しい。来年度からは学年関係なくみんなで飲めばいいのに。たかだか20名程度なんだし。

今回も余市のやす幸さんで開催。ちょっと遅れてお店に入ると、我々のグループとは別に、懐かしの面々がそろっていた。入ってすぐ、右手のテーブル席には、往年の退職された先生たちがずらりと並んでいた。どうやら退職教員の会というのがあって、忘年会というか先日無くなられた先生を偲ぶ会というか、そんな様相を呈している。懐かしの面々。在職当時は考え方や意見が合わず、半ばけんか腰に言い合いをしていた先生同士も、笑顔で集っている。お互い、生徒を思うが故のこと。目指すべきは子どもの成長と幸せだった…という空気が流れている、、、と若造は勝手に感じ取る。まるで、ウルトラマンファミリーがならんでいるかのよう。なんと圧巻だったことか。

と同時に、寂しさも感じた。あのテーブルには、総勢15人はいただろう。これだけの先生たちが私の在職している14年間に退職されている。この場にいない数名の退職や転勤をされた先生を考えると20名弱になる。一方、私よりあとに入って来た教員は4名。つまり、15名ほどのマンパワーがそがれてしまっているということだ。15名分の仕事が現在20名の教員にのしかかっている。もっというと、北星余市は、担任は生徒に向かい合うことのみに専念させるという体制を貫いており、分掌等の仕事は副担任ですべて担っているため、この15人分が10人の上にのしかかっているといってもいいかもしれない。

当時は北星余市の時間の流れは優雅だったな…ととても思う。ああいう、優雅な時間の流れは、教育の現場には本当に必要だと思う。担任を持っていないとはいえ、北星余市の教育は担任だけが子どもを見るのではなく、全教員が見ることが大切。生徒指導上、担任や担任団では見えないところ、担えないことも多く、それを副担任が担っている。教材準備に終われ、分掌等の事務作業、書類に追われている中では、子どもたちに向き合う時間は取れない。無理をしてとっても、心に余裕がないと、真っ正面から向き合えない。子どもたちは全力でぶつかって来る。教員が頭の片隅で事務作業のことを考え、片手間でやっていることなど見抜く。本当に良くない。言葉は悪いが、片手間で分掌の仕事をこなし、メインは子どもに向き合うこと、そういう風土がかつての北星余市にはあった。

子どもに向き合うためには、そういう余裕は間違いなく必要である。どうすればいいものか。

ステンドグラス風の装飾を職員室の窓に。


クリスマス時期になると、教会にあるステンドグラスは、また普段とは違う魂の存在を放つように感じられる。寒々しい気候に彩りを与え、暖かみを感じさせてくれる。

北星余市高校は、キリスト教の学校である。私はクリスチャンではないけれど、14年キリスト教主義の学校に勤めていて、人を包み込む柔らかく温かなキリスト教の存在を偉大なものと感じるようになった。

商業的なクリスマスの雰囲気も嫌いじゃないけれど、それとはまた違った、キリストの生誕を祝い、それを機に人とのつながり、温かさを振り返る、そういう空気がある。せっかくだから子どもたちに、少しでも感じてほしいと長年思っていた。ひとつの文化を3年間の高校生活で味わうことは、きっと小さいけれど一つの経験なのだろうと思う。



幸い、今年から総合講座の講師として、卒業生の親御さんであり、牧師の奥さんの方が引き受けて下さった。北星余市らしさもよくわかってくれていて、色々と聖書科の先生と相談をしながら、「まずは、動こう」とやってみた。

デザイン画を卒業生の親御さんとそういうことに長けている一人の生徒に書いてもらった。模造紙大の図柄。それを聖書科の授業を使って、一人一枚B4くらいの大きさに分けて、カッターで白い部分をくりぬく。不器用な子も器用な子もいる。



初めての取組、多忙な業務の中、気がつけば2学期の終業式が目の前に迫っていた。くりぬかれた図柄まではできていたが、今度はラミネート加工して、一枚の絵に統合して、色を塗る作業が残っていた。どう考えても日程的に厳しい様相だったが、せっかくの取組、図柄を書いてくれた二人、授業で一生懸命くりぬいた生徒たちの顔を思い浮かべて、なんとしてでもやらなければ!と、生徒・教員に声をかけて、なんとかできあがった。

やればできるものだ。私一人では絶対になし得なかった。一緒になって自分のことそっちのけでやってくれる人、まずは自分のことをやってから手伝ってくれる人、ちょっとだけの隙間にちょっとだけ手伝ってくれる人、気にかけて声をかけてくれる人、いろんな人がいた。どの人にも感謝。一人一人の力は小さいけれど、みんながほんの少しずつ手伝ってくれたことで、あっという間にできあがった。



今年はまず職員室。この作品は、ずっと使えたらいいな…と思って、ラミネート加工している。代々、その年その年にいる生徒たち、教員たちの思いと思い出のつまった作品を大切にしていきたい。そして、来年、再来年も続けていって、職員室の窓だけでなく、教室、会議室の窓、玄関フード、クリスマスの時期になったら、学校中の窓という窓が、不器用で不細工だけど、みんなの手で作った色とりどりのぬくもりに包まれる日を夢見ている。



風の旅人 復刊3号。

先日2013年11月17日(日)に北星余市主催で開催した「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」(http://www.hokusei-y-h.ed.jp/information/?c=1&s=14753#14753)でご縁があった佐伯剛さんが編集長を務める『風の旅人』の復刊3号をやっと読むことができた。

素敵な紫色の表紙に包まれた雑誌が届いてから、2週間はたったんじゃないか。私の机の上で紫色が誘惑してきたが、舞い降りて来るものたちに追われ「ちょっと、まっててね」と声をかけて来た。帯広から帰って来て、むさぼるように読んだ。

読み終わって、不思議な世界を見た。、前もそうだったが、この余韻が僕にとっては良い。

『風の旅人』は復刊2号も読んだし、復刊前のものも1冊読んだ。僕にとっては、この雑誌、、、雑誌?はよくわからない。なんとも不思議。佐伯さんは「雑誌」というが、雑誌と言えば雑誌なんだろう。けれど、写真家の方々に愛好されているようで、あの鋭い写真、そして写真の量からしても、写真誌ともいえるのだろうが、俗にいう写真誌や写真集とはまた違う気がする。

形態もよくわからないが、書かれていることもよくわからない。個別の作家さんが書いていることの中で、特に文学作品的な、空想的で時空を超えたような作品を理解するには、僕の想像力では足りないらしい。読解力が足りないという問題を感じつつ、でも、これは読解力の問題じゃない、経験の豊かさから湧き出る想像力の問題のような気もする。ルポルタージュ的な作品は、比較的、理解しやすく、すーっと入ってくるが、今度は、その底流に流れているものがわからない。感じるんだけど、見えない。そんな読み物。

今号は「妣の国へ 〜来し方 行く末〜」とタイトルがついている。生と死の根源を「感じる」だけ。

ただ、僕が『風の旅人』から感じるのは
彫刻家ブランクーシは言った。「実在を表現するということは、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ること。」確かにその石は言われてみれば新幹線にそっくりで、ひとしりき私を笑わせてくれた。しかし見る人によっては家鴨であり、靴なのである。石は石だと言い張る人もいるのにちがいない。それでも孫はその石に、風を切る速さを見たのだろう。一瞬にして走り去る憧れのはやさを。天晴れ、孫も芸術家であったのか。
『風の旅人復刊3号〜とこしえの波・望月通陽』102ページ

ということ。写真を見て、読み物を読んで。

読んでいる自分が、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ろうとさせられていることに気がつく。自分の世界のあちら側の世界のような気がする。まったく必要性のない、読まなくたって日常に支障のないものなんだけど、不思議と惹かれる。読まなきゃいけない気がするし、誘われるし、わからないけど読みたいと思う。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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