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第百八十三回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説について




『日本に「新たな可能性」をもたらすこれらのイノベーションを、省庁の縦割りを打破し、司令塔機能を強化して、力強く進めてまいります。世界の優れた企業は、日本に立地したいと考えるでしょうか。むしろ、我が国は、深刻な産業空洞化の課題に直面しています。長引くデフレからの早期脱却に加え、エネルギーの安定供給とエネルギーコストの低減に向けて、責任あるエネルギー政策を構築してまいります。東京電力福島第一原発事故の反省に立ち、原子力規制委員会の下で、妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します。』(施政方針演説2013年2月28日:http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement2/20130228siseuhousin.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter)



福島民報平成25年3月1日(金)朝刊の「再稼働明言」の記事はこの部分の切り取りだと思うけど、結局、「経済を重視した上での原発再稼働」ってことですね。自民党は、やっぱり、根本が変わっていない。この人たちの体質は変わっていない。間に「安全性うんぬん」とか挟めたりして、微妙に行間をずらしているけれど、結局は「エネルギー安定供給とエネルギーコストの低減のために、原発再稼働します」ってことでしょう。代替エネルギーも同時に開発しようが、それまでの当面の間であろうが、「経済性を重視した原発」の再稼働には変わらない。

仮に安倍首相の土俵にのって話をするとですよ、『日本に「新たな可能性」をもたらすこれらのイノベーションを、省庁の縦割りを打破し、司令塔機能を強化して、力強く進めてまいります』だとか『優れた人たちは、今、日本で能力を発揮したいと考えるでしょうか。日本での研究環境に満足できない研究者たちが、海外にどんどん流出しています。「世界で最もイノベーションに適した国」を創り上げます。総合科学技術会議が、その司令塔です。大胆な規制改革を含め、世界中の研究者が日本に集まるような環境を整備します。その萌(ほう)芽とも呼ぶべき「希望」に、私は、沖縄で出会いました。「非常に素晴らしい研究機会が与えられると考えて、沖縄にやってきた。」アメリカから来たこの学生は、かつてハーバード大学やイェール大学で研究に携わってきました。その上で、昨年開学した沖縄科学技術大学院大学で研究する道を選びました。最新の研究設備に加え、沖縄の美(ちゅ)ら海に面した素晴らしい雰囲気の中で、世界中から卓越した教授陣と優秀な学生たちが集まりつつあります。沖縄の地に、世界一のイノベーション拠点を創り上げます。』(同演説)とかいうのなら、そもそも、その『イノベーション』とやらで原発に頼らない『エネルギー安定供給とエネルギーコストの低減』を実現してみてほしいと思うのは、僕だけでしょうか。それこそ『イノベーション』に臨む姿勢ではないかと。誰もやってない方法、誰かがやっていても実用化まではたどり着けない、そんな原発にたよらないエネルギーの安定供給、コストの低減は、それこそ『イノベーション』ですよ。自民党の河野太郎氏は2012年11月23日のブログで『原発の再稼働には、まず、新しい安全基準の策定が必要です。そして新しい安全基準に適合するかどうかの確認が必要です。さらに活断層等の調査のように電力会社がいい加減にやってきたものの再調査も必要です。きちんとその作業をするためには時間が掛かります。それに3年ぐらいかかるだろうという目安をだしました。』(http://www.taro.org/2012/11/post-1287.php)と語っていますが、予算と労力を傾けた3年間じゃ、代替エネルギーの『イノベーション』を達成するのは無理でしょうかね。じゃ、日本経済の復興も、安倍政権では無理そうですね。

さて、いったんあがった土俵をおりますが、だいたい、政権公約で『原子力の安全性に関しては、「安全第一」の原則のもと、独立した規制委員会による専門的判断をいかなる事情よりも優先します。原発の再稼働の可否については、順次判断し、全ての原発について3年以内の結論を目指します。安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます。』(自民党政権公約:http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/seisaku_ichiban24.pdf)とかいっていますけど、『原子力』ってもともと「安全じゃないもの」ですよね。「安全じゃないものの安全性」って何なのかって話ですよ。

JISでは、安全性を〈人間の死傷又は資材に損失若しくは損傷を与えるような状態のないこと〉と定義している(JIS Z 8115(1981))らしいですが、自民党の河野太郎氏は同ブログで『福島に津波は来ないという想定がなされていたように、原発にはテロリストは来ないという想定で、再稼働などが行われています。自民党は、テロ対策も含む安全対策が行われねばならないということを明確にしました。』(http://www.taro.org/2012/11/post-1287.php)といってるわけで、そういう想定をしての『安全性』の『確保』を自民党として考えてるのなら、自民党は何がどうなったら『安全性』を『確保』したといえるのか、僕には見当もつかなくなります。自らが過去にしていた『福島に津波は来ないという想定』を非難し、『テロリストは来ないという想定』と、そういう想定をした民主党を非難している自民党は、つまり「○○はないだろう」という想定自体を非難している訳ですよね。いや、それでいいんです。そうあるべきだと思うんです。でも、「○○はないだろう」がない状態なんて作り出せるのでしょうか。「人が作り出した『安全性』、人が考えだした『安全性』の不確かさ、それに対する自然や運命の畏しさを学んでいないんでしょ、結局」そう思ってしまいます。「安全じゃないものの安全性」って結局、人智でしかなくて、その人智を超えた自然への畏れを、自民党は学んでないと僕は思うわけです。

と、ここまで書いて気がつきました。自民党はもうそれに既に気がついているんですね。なるほど。だから『安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます』っていうんですね。『委ね』るって、、、言葉の意味わかっていますよね、「すべてまかせる」という意味ですよ。『安全性については』「すべてをまかせる」。やり方がずるいですね。『安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます』って、自民党は『安全性について』は責任は持たないのですね。『自民党は、テロ対策も含む安全対策が行われねばならないということを明確にしました。』と語った舌の根も乾かないうちに。「専門的判断をもとに、あらゆることを想定し、自民党が責任を持って判断いたします」じゃない。「だって、あの専門家の人たちが大丈夫っていっているから、大丈夫です!」ってことでしょう。「誰かが下した自らの責任ではない安全性をもとにした安全対策」って何でしょう。びっくりします。「他人様に安全性の判断をゆだねておいて、安全性を確保しました!」ってどういうことかよくわかりません。これって何かあったときに「だって、あいつが大丈夫っていってたんだもん!専門家の人たちがいってたんだよ?」と言う感じで、いつもと同じ姿勢ですよ。

こういうことをいうと「じゃ、あなたはすべての安全性をあなたが検討し、あなたが判断するのですか?」といってくる人がいるけれど、僕は少なくとも「この人の言っている安全性を私自身が確信し、安全性が確保されていると判断しました」とならない限り、原発なんて再稼働しませんよ。飼い主に「うちのドーベルマン、賢くてね。絶対に噛まないの」とか言われたって、「うそつけ!どんなに賢かったとしても、絶対に噛まないなんて事はないだろ。初対面でしっぽ踏んで興奮したら噛むことだってあるでしょう」って考えるのが当然でしょう。「いやいや、安倍さんだってそういっているんですよ」という人は、何も今回の原発事故から学んでいない。何度も言うように「○○はないだろうという想定」が存在しない状況なんてありえないわけで、それを考えたらそういう言葉なんて、出てこないはずです。

『これまで原子力政策を推進してきたわが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする』(自民党選挙公約(案)政権公約Jーファイル2012:http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/j_file2012.pdf)とかいっているけれど、それで出た結論が「安全性の判断は、専門家の方々にまかせましょう」という、つまり「肝心なところには無責任でいく」ということでしょう。それが反省に立った新しい自民党の姿勢ですね。「自分たちは原発を「いいよ!いいよ!」といってきましたけれど、それが本当に良いかどうか、自分たちで判断するのが間違っていました」ということをいってるだけの話ですよ。『お詫び』している人の腹の底が見えます。どうしたら、東北で苦しんでいる人たちのことを思いながら、そういうことを考えることができるのか、私にはさっぱり見当もつきません。

そう考えたとき『今を懸命に生きる人たちに、復興を加速することで、応えていかねばなりません。解決すべき課題は、地域ごとに異なりますが、復興庁が、現場主義を徹底し、課題を具体的に整理して、一つひとつ解決します。福島は、今も、原発事故による被害に苦しんでいます。子どもたちは、屋外で十分に遊ぶことすらできません。除染、風評被害の防止、早期帰還に、行政の縦割りを排し、全力を尽くすべきは当然です。しかし、私たちは、その先にある「希望」を創らねばなりません。若者たちが、「希望」に胸を膨らませることができる東北を、私たちは創り上げます。それこそが、真の復興です。』(同演説)とかいう言葉の軽さに憤りを覚えます。
「『これまで原子力政策を推進してきた』自民党が、何をヒーロー気取りで語ってんだか」とその軽さにいらつきを覚えます。これが『わが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする』立場の党の総裁の物言いでしょうかね。僕にはそうは思えません。「あなたたちが進めてきたことの結果、苦しんでいる人が存在するようになって、子ども達が屋外で遊べない状況をつくり、みんなの日常を壊したんじゃないか」と怒りを覚えます。それでて原子力発電に対する姿勢がこれですから「ただ原発再稼働したいだけでしょうよ」と嫌悪感を覚えます。

どこをどうしたら『これまで原子力政策を推進してきたわが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする』立場の自民党が、経済を重視した『エネルギーの安定供給とエネルギーコストの低減に向けて』、人の限界や自然への畏れを無視した状態で、『安全性の確保を原子力委員会の専門的判断に委ね』る無責任な姿勢で『確保』する、無責任な『安全性』を前提に、『安全が確認された原発は再稼働します。』と語れるのか。やっぱり「ただ原発を再稼働したい」ということしかその理由は見つからない。

そんな無責任なことを語りながら、何の面下げて『若者たちが、「希望」に胸を膨らませることができる東北を、私たちは創り上げます。それこそが、真の復興です。』と語れるのでしょうか。これが、施政方針ですよ。これが政治を施す方針であることに、36歳の若者へ希望を与えるどころか、怒りと絶望を与えていることに、安倍首相は気がついていないのでしょうか。


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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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