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自民党と教育政策ー教育委員任命制から臨教審までー / 山崎政人




1986年に出版された本書。戦後から当時までの自民党の教育政策を中心に学校教育界の歴史を追っているのですが、読んでいてとても数十年前の出来事とは思えない感覚をおぼえました。

日教組対策、経済界の要望に応える教育政策、教育によって愛国心を植え付けようと試みていること、能力主義にもとづいた教育政策展開、そのためにいかに国が教育を管理しようと試みて来たかが、ずらーっと書かれている。日教組対策は1950年代には始まっているし、そのほかも1960年代から自民党は同じ方向で進んでいますね。

底流に流れているのは
自民党は結党大会で等の政策の基本方針を示す六項目の「政綱」を決定した。その第一項目は「国民道議の確立と教育の改革」で
「正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道議を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。体育を奨励し、芸術を育成し、娯楽の健全化をはかって、国民上層の純化向上につとめる」とうたった。
まず第一に教育改革をかかげたことについて、自民党の正史『自由民主党二十年の歩み』は「占領政策是正のための一つの重要課題が教育を刷新改革し、とくに政治的に著しく偏向しつつある教育を正常な姿に戻し、教育水準を高めることにあるというのが、自由民主党立党答辞の強い信念であった」
「自由民主党が立党後まず第一に取り組んだ課題は、占領下における教育政策の誤りに乗じて勢力を伸ばした左翼日教組指導層の政治的偏向によって政治的中立性が失われつつある教育を正常な形に戻すことであった」と書いている。
という自民党の政策と日教組との対峙。

1945年の戦後教育改革がなされてから、70年弱。徐々に徐々に自民党が『自由民主党二十年の歩み』に書かれている「強い信念」を実現していく過程が描かれています。そして、それらは今も続けて展開されていることに驚きました。その70年を憶うと、このままでは、今の教育行政の問題、教育現場における課題や教育という側面からのぞいたときに垣間見える社会問題、それらに伴った今横たわっている閉塞感がこれからも変わらずに居座ることへの危機感を覚えました。

集団的自衛権の行使容認とそれにともなう憲法解釈の変更を閣議決定し、改憲論議が今後も展開されることが予想される今の日本で、自民党・安倍政権がかかげる国づくり、その国づくりの元となる教育政策が、戦後の教育政策のどういった延長線上にあるものかを今一度確認するのにふさわしい良書だと思います。

政党が口を挟むことができずに、GHQ主導で進められた戦後教育改革を本書から最後に抜粋します。自民党は国を強くするために、教育政策を進めたいのでしょうね。
戦後の教育改革は、政党とはほとんど無関係に進められた。占領という状況下で連合軍総司令部(GHQ)の指令、覚書、さらにはGHQの要請で来日した米国教育使節団の報告などは絶対的な権威をもっていた。わが国の側で改革の具体策策定に当たったのは、学者、文化人を中心に構成された教育刷新委員会(のち審議会)であり、その答申にもとづいて、戦後教育の骨格を定めた「教育基本法」や「学校教育法」が制定(四七年三月)されたがその論議に政党が口をはさむ余地はなかった。
戦後の教育改革は、大よそ次のようにまとめることができよう。
一、平和と民主主義 − 教育基本法は前文で「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献」するという理想の実現は「根本において教育の力にまつべきもの」といい、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期」す、とうたった。それが戦前の軍国主義、超国家主義教育に対するきびしい反省から出たものであることはいうまでもない。平和と民主主義こそが戦後教育の原点だった。
二、国家の教育権から国民の教育権へ − 戦前、教育は国家が富国強兵を実現するために国民に課した義務だった。憲法は第二六条で「すべて国民は…教育を受ける権利を有する」と教育が国民にとって権利であることを明示した。この権利、義務関係の一八〇度の転換が、戦後改革の核心であり、教育は国のためでも、経済発展のためでもなく、どこまでも個人の「人格の完成」(教育基本法第一条)を目指すべきものとされた。
三、教育の機会均等 − 「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」(教育基本法第三条)とされ、教育上の差別はすべて否定された。義務(子どもの学習権を保障するために親に課せられた就学させる義務)教育は九年間に延長された。また高校も、義務制ではないものの、「入学希望者をできるだけ多く」収容することが望ましく、「選抜をしなければならない場合も、これはそれ自体として望ましいことでなく、やむをえない害悪であって、経済が復興して新制高等学校で学びたい者に適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきもの」(文部省、『新制中学校・新制高等学校、望ましい運営の指針』−一九四九年)とされた。男女共学が原則とされ、女子に対してすべての高等教育の門が開かれた。
四、単線型学校体系 − 戦前は小学校を終えると中学校、高等女学校、職業学校、高等小学校と複数コースに分かれ、中学以外のコースは上級学校への進学が困難な閉鎖回路になっていた。高等教育も高校(旧制)−大学と高等専門学校に複線化され、このような複線型学校体系が人材振り分け、階層分化の機能を果たしてきた。戦後の学校体系は小学校—中学校—高校—大学と単線化され、すべての学校で上級学校進学が保障されることになった。
五、教育の自由—戦前、学校で教える内容は教育勅語と国定教科書によってきびしいワクがはめられていた。教師がこれから一歩でも外れることは許されなかった。一九四七年に文部省が発行した学習指導要領一般編(試案)は「いまわが国の教育はこれまでとちがった方向にむかって進んでいる」という書き出しで始まり、「これまでとかく上の方からきめて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行するといった傾きのあったのが、こんどはむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと、作りあげて行くようになって来たということ」といい、「直接に児童に接してその育成の任に当たる教師は、よくそれぞれの地域の社会の特性を見てとり、児童を知って、たえず教育の内容についても、方法についても工夫をこらして、これを適切なものにして、教育の目的を達するように努めなくてはなるまい」と書いている。
また、教科書は出版社が自由に出版し、それが基準に合っているかどうかだけをチエックする検定制がとられた。検定は都道府県教育委員会の権限とされた(一九五三年の法改正で文部省の権限となる)
六、教育の住民自治、地方分権 — 教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行なわれ」(教育基本法第一〇条)なければならないとされた。そして「公正な民意により、地方の実情に即した教育行政」(教育委員会法第一条)を行うために教育委員会がつくられた。行政に直接、民意を反映させるため、委員は選挙で選ぶ(公選)こととされた。これらの改革が教育刷新委員会・同審議会の建議にもとづいて精力的に実施に移されていった。



憲法の「空語」を充たすために/内田樹



2014年5月3日の憲法記念日に神戸市で行われた兵庫県憲法会議主催の集会で行われた内田樹さんの講演にご自身が加筆されたもの。

相変わらずの内田さんの語りで分かりやすく、憲法とは何か、今その憲法がどういう流れで変えられようとしているのかが書かれています。

私たちの教育の世界のみならず、政治の世界も市場原理の発想で動いていることがよくわかるな。

改憲論議はこれからも続くわけで、そのとき、憲法改正案を作る人がどういう意図で、どういう国づくりをしたいか、そのためにどういう手段でそれを達成するのか、我々国民はそこにどう組み込まれていくのかを注視する必要がある。

憲法が確定された一九四六年の段階では、「日本国民」という実態はありませんでした。(中略)「だから改憲すべきだ」という声が出てくる理路は僕には理解できます。でも、問題はそのときの改憲の主体は誰なのか、ということです。「改憲したい」という人たちが、「主語が空語だから困る、中身のある言葉を主語にして憲法を改正したい」というのは、ロジカルには正しい。では、あなたがたは誰を憲法制定の主体にもってくるのか、何を主語にもってくるつもりなのか。
そして、内田さん「日本は法治国家ではなく、人治国家になってしまった」とおっしゃっています。
政局が流動化すれば、離合集散して予見不能の行動をとる。それが政治家です。ですから、政治家に長期的な首尾一貫性を求めることはできません。でも、そのつどの短期的な状況に最適化していると、長期的には不利益をもたらすこともあります。ですから、短期的な猫の目のようにくるくる代わる政策決定とは別の水準に、「これだけは変えてはならない」政体の構えがなくては済まされない。憲法はそのためのものです。(中略)立憲主義というのは、「法律ではこうきまっているのだから、それに従ってやりなさい。それがいやだったら法律を変えなさい」ということです。人治というのは、法律条文を権力者が自己都合で恣意的に解釈運用することです。もちろん法治と人治は截然と分離できるものではありません。ある部分までは法治、ある部分においては人治というのはどのような政体でもなされている。ソリッドな、勝手にいじってはいけない深層の骨格部分と、状況に応じて変化してよい表層の部分がある。問題はその境界線をどう引くのかの「さじ加減」です。今勧められている解釈改憲の動きは「法治から人治へのシフト」のプロセスだと言ってよいと思います。安倍首相は繰り返し、「総理大臣が最終決定者である」ということを強調していますが、それは「憲法や法律が想定していな局面において迅速に最適な政策決定を行う必要がある場合には、総理大臣に憲法や法律を超える権限を賦与するべきだ」というロジックに基づいています。
まさにそうだなぁ、という感想。僕らは、その「さじ加減」、そしてその人がどういう思想に基づいているかを見極めねばならない。そういうこともあって、内閣支持率は下がり続けているんでしょうが、それでもまだ43%もある。そこでこういう問いをたてて論じています。
なぜ、日本人は自分たちを主権者に見立ててくれている民主制と立憲主義を打ち捨ててまで、総理大臣に気前よい権限委譲をしたい気分になっているのでしょう。
僕はこのトレンドを「国民国家の株式会社化」という枠組みでとらえています。(中略)政治イデオロギーの適否判断よりも「経済成長」が優先的に配慮されている。最優先に問われるべきことは、その統治システムが「金儲けしやすい」かどうかであって、政体としての適否には副次的な重要性しか無い。そう考えている人達が国政をコントロールしている。
まさに安倍首相は「経済成長」という言葉をよく発していますしね。そして、長引く不況の中で、自分たちの苦しみを救ってくれるのは、経済成長だと思っている国民も多いのだと思います。政治ではなく、経済が救ってくれると思っている国民が多いのでしょうね。

長々、ダラダラとイデオロギー合戦を繰り広げた時代、結党解党を繰り返し、利権に囚われ、政策も法案も骨抜きの妥協案にしかならず、いっこうに変わらない世の中。閉塞感漂う中で、新しい道を見いだせず懐古的になっている。

そういう道もあるのだとは思いますが、僕は戦後一貫して経済成長に豊かさを求めて来た我々はそろそろ次の段階に移る時期なんじゃないのかなぁ、と漠然と考えています。明治から昭和初期にかけての欧米列強に支配されない国づくりから、追いつけ追い越せの道を歩む中で第二次世界大戦に突入し敗戦。焦土と化した国を復興させるべく、経済成長の道を歩む中、いきついたバブル崩壊。それから20年。様々な社会問題が山積し続ける中で「あの時代をもう一度」というところなんでしょう。国民は。それとグローバリゼーションの波に乗りたい政治家の意気投合なのかな。政治の世界にもイノベーションが必要なんじゃないのかな。

内田さんは

憲法の脆弱性は、その起源において「私が憲法を制定する」と名乗る主体が生身の人間として存在しないという原事実にある、と先ほど申し上げました。ということはつまり、起源に戻って憲法を堅く基礎づけるということはできないということです。であるとすれば、残された道は論理的には一つしかない。その起源においての主体の欠如を補填するために、「空文であった憲法を私たちが現実化した」と名乗り得る主体を立ち上げること、それしかない。

と語っていますが、今こそ、そうした「空語を充たす」道もあるのになぁ…と僕は思います。そのためには、復古主義的思想や経済最優先といった考え方を改める必要がある気がします。

少年院出院者に高校教育を受けさせてもいいのではないか。

意外と知らない人が多いのが、少年院は教育の場であるということ。法務省の管轄であり、矯正の場であり、犯罪を犯した少年少女がいくところであるから、子供版刑務所という理解をしている方が多い。しかし、少年院と刑務所は存在意義が違う。

実際、少年院とは別に少年刑務所というのが全国7カ所(函館、盛岡、川越、松本、姫路、奈良、佐賀)にある。

少年院は家庭裁判所に保護処分として少年院送致を言い渡された少年が入れられる。それは少年に健全な社会復帰をさせるための”矯正教育”を受けさせる場として存在している。一方で、少年刑務所は保護処分(保護観察や少年院送致など)よりも懲役や禁固などの刑罰を科すことほうがふさわしいと判断され、刑事裁判にかけられ実刑となった場合に収容される施設。全く、存在意義が違う。知らない人がイメージする少年院の存在意義、像はどちらかというと少年刑務所だと思う。少年刑務所も見たことはないけど…

少年院の先生たちは、少年院を出た子供たちの未来を案じている。ここ数年、少年院の先生たちと交流を持たせていただく機会が何度かあったが、どの先生もそうだった。

少年院の先生たちが、送られた子供たちと接する期間は、だいたい長くて1年、短くて半年だ。この期間に子供たちと向き合い、子供たちが社会に出て二度と罪を犯すことなく幸せに自立して暮らしていってほしいと願っている。

が、実際は、出院する子供たちにとっていくつかの厳しい現実が待っている。

そのうちの一つに少年院を出た子供たちを受け入れてくれる学校はほとんどないということがある。

犯罪白書のデータをみればわかるが、少年非行のピークは「15の夜」(尾崎豊ね)。そこで少年院に入った子供たちは出院後どうなっているのかというと、多くはそのまま働くのだ。学校では受け入れてくれないので、高卒認定試験を受け、高卒と同等の資格をとって、院内で資格取得に励んで、自立のために職に就く。

選択の幅が広く用意されている中で子どもたちがそういう道を選ぶのと、学校教育が「そういう子」は受け入れられませんと門を閉ざされている中でそういう道しか歩めないのとは、大きく違う。

少年院を出院した子どもたちの中には、まっとうに生きたいと考えている者もいる。私の勤めている北星学園余市高等学校では、そうした少年少女の気持ちをくんで受け入れて来ているが、もう少し世の中の学校もそうした子どもたちを受け入れてあげてもいいんじゃないかと思う。高卒認定をとっているんだから、それでいいんじゃない?というのは、教育の本質を分かっていない。それなら、日本国民、みんな高卒認定でいいじゃないか。

『非行』を考える全国交流集会に参加したとき、とある複数の保護者が「出院後、いくつかの高校に問い合わせたが、『他の生徒へのリスクが高いから』」と受験もなしに断られた」と切なそうに語ってくれた。リスクってなんだ?僕にはよくわからない。

彼らには未来がある。教育は子どもたちの可能性にかける営みでもある。中にはものすごい力を秘めている人間も多い。もともとエネルギーのある子も多く、賢い子どもも多い。故に少年院に入るようなことをしてしまった子どもも多いが、故にそういう人間がまっとうに生きよう!と思ったときのエネルギーはこれまたすごい場合も多い。そうした子どもたちが過去の失敗のせいで未来を閉ざされていることは、彼らにとっても社会全体にとってもマイナスでしか無いと思う。

これは広報しない行政側の問題でもあるのだろうけど、勝手なイメージを捨てて、もう少し少年院に対して僕らはきちんと知るべきだと思う。

反省させると犯罪者になります/岡本茂樹 これは子育てのバイブルだと思う。

ある日、校長が目をキラキラさせながら「すんごい本を見つけた!」と教えてくれた本。お互い出張が多いから、たまにどんな本を読んでいるか話し合う。タイトルからしてとても興味を惹かれる。というか、この一行に「そう!そのとおり!」という共感を覚えた。

けど、放置してた、笑。いつか読もうと思ってはいたんだけど。2014年3月21日(金)に千葉県柏市で開催された「非行」を考える全国交流集会で基調講演をされた野田詠氏さんが期せずしてこの本を紹介してた。本当に短い紹介だったけど「この本、みなさん、絶対読んだ方がいいです」って。野田さんが言うからには間違いない!そう思って、Amazonでポチリ。



もうね、これは教育現場にいて、諸手を上げて大賛成!と叫びたくなる内容でした。著者の岡本さんは、殺人等の重大犯罪を起こした受刑者が収容されている刑務所で受刑者に個人面接をしたり構成のためのプログラムをつくって授業をしたりしている方。その方が、ご自身の研究と経験から、こんな書出しで本書をスタートするわけです。
悪いことをした人を反省させると犯罪者になります。
そんなバカなことがあるか。悪いことをしたら反省させるのが当たり前じゃないか、と思われるでしょう。それは、疑う余地もない世間の「一般常識」なのですから。
しかし繰り返しますが、悪いことをした人を反省させると、その人はやがて犯罪者になります。自分自身が悪いことをして反省しても、同じ結果です。つまり犯罪者になります。
きっと、僕も北星余市で教員をしていなかったら、「当たり前じゃないか」といっていた人間だったと思います。が、15年間、北星余市で自分も含め多くの先生たちが子供たちを向き合っている様子、そして子供たちの変化を振り返った時、そして自分自身の人生を振り返った時、「おっしゃるとおりです」とうなづくどころか、岡本さんの尻馬に乗って「そうそう、うちでもね!」と語りたくなるくらいのことが沢山書かれています。

野田さんが「絶対読んだ方がいい」といってたのも、きっと、同じ気持ちなんだと思います。

この本は、非行少年や犯罪者にだけ当てはまることではなくて、我々、全ての人間に当てはまることです。犯罪や非行とは無縁に生きている方も他人ごとではなく、自分の身に置き換えて読んでみることを本当にお勧めします。特に、子育て中の親御さん、学校の先生たちには、ぜひ読んでほしいです。そして、苦しむ人が一人でも少なくなってくれることを願います。

しつこいですが「うちは子育ては順調だから大丈夫」とか思っている人も、ぜひ読んでほしいです。

不登校の子供や非行少年をかかえる親御さんたちの経験談を聞くと、「信じられなかった。なぜ、うちの子が!」という思いを抱く方が非常に多い。子育ては順調だと思っていたし、自分は適切な子育てをして来ていると思っている矢先の出来事なわけです。不登校や非行を自分の子供が経験することは、どの親御さんも望んでいたことではなく、ある日、あるとき、突然舞い降りてくる。それは日々の積み重ねだったりします。

この本に書かれている、岡本さんが否定的に語っていることを繰り返しているうちに、またはあるポイントでしてしまったが故に、子供たちがそういう行動をとることになってしまったんだな…と思わされるケースは、やまほどあります。

不登校や非行を起こす子供たちを観ていると、本当に様々な要因が絡んでいることがわかります。だから、この「反省させること」が全ての原因でないとは思います。けれど、この本に書かれている視点にたって人(=子供)と接することで、僕は大きな違いがあると思いました。

北星余市に入学したての1年生は「自分を変えたい」「やりなおしたい」そういう気持ちを持って入学してきます。しかし、それまで十数年間培って来た考え方やそれに伴った行動、つまり生き方が変わっているわけではないので、当然、抱えている問題性が発露され、それが問題行動となって表出してきます。それは、長くて2年生の終わりまで続くことがあります。ちなみに、3年生くらいになってくると、つい1年前2年前まで問題をおこし反抗していた子供が、問題を起こした1年生をみて「あいつ、あかんわ」と教師と同じ目線にたって後輩に語ってくれるようになる子も多くいます。

入学した子供たちが問題を起こしたとき、どう捉え、どう対処していくかで、子供たちのその後が変わります。

「自分を変えたいと言って、自分の意志で入学してきたのに、問題を起こすとは何事だ!」というのが一般的な捉え方だと思います。けれど、上記の通り、生き方が変わるわけではないので、同じパターンになることは当然と言えば当然なわけです。このときに、そんな責め方をしたって意味がない。

とかく「反省しなさい」と詰め寄りたくなる我々です。我々大人が使う「反省」という言葉のさすところは、「悪いと思いなさい」「悪いと思ったら謝りなさい」ということですが、だいたい高校生にもなったら自分が悪いと思っていることはしないものです。高校生にもなったら…というか、小さい子供だってそう。悪いと思っていないからするわけです。世間的には「悪いこと」とされていることを承知の上で。

そんな人間に「悪いと思いなさい、そして謝りなさい」と言うことの意味ですよね。その場をやり過ごすため、取り繕うようにやるでしょう。当然ですよ。我々、大人だってそうです。この本に、その手の事例がたくさん書かれているわけですが、スピード違反で捕まったときだって、仕事で失敗した原因が自分のせいじゃないときに上司に「すみません」と謝るときだって「悪いと思っていないことを表面的に謝る」ことはあちこちである。けど、それは決して根本的な解決にはならないし、そうならないために(怒られないため、捕まらないため)どううまくすり抜けるかを考えるだけにしかならない場合が多い。

この本を読んで、改善の余地があるなぁ、、、と思いつつも、それでも北星余市でのやり方で生徒たちが変化し、成長するのは、「なぜ?」と本人に問うこと、そして子供とその問題に一緒になって考えることがあるからなのだなと感じたわけです。

もちろん、うまくいかないケースもあります。同じ質の問題を繰り返す場合がある。

この繰り返しには、つい、それまでの価値観や考え方につい頼ってしまってやってしまい、「なんで、俺はこうなんだ?」「ああ、またやっちまった…」という自戒する場合のものと、上辺だけの反省でやりすごしたものとで分かれるし、そのときの生徒の反応はまったく違います。

前者の場合、子供たちは往々にして変わるし、大きく成長していくのですが、後者はそうはいかない。裏で「あっかんべー」をしているわけです。そういうときふと冷静になって、問題を起こした生徒と指導する教師とその関係性の間に横たわっているやりとりを観たときに、「正解探し」が始まっている場合がある。子供は必死にどういう応えを教師に返せば、「許される」のかを考えているだけのことがあるわけです。「あのとき、あんなに指導したのに!」と思わされますが、「正解探し」は「許される道探し」でしかなくて、その事柄の本質に向き合っていないので当然と言えば当然の結果といえます。本当に必要なことは、正解を探すことではなく、自分の内面を探すことなんだと、改めて考えさせられた本でした。

この手段が全てというわけではないですが、「反省しなさい」と迫ることだけの悪い影響と、そうじゃないやり方の一つの有効な(しかも、かなりの)手段として。



権威と権力/なだいなだ、読了。頭の悪い僕には色々見えてまとまりません。

森先生のおすすめで2月下旬にゲットしてから約1か月で読了。そもそも読書量がこれでいいのかという…ま、いいか。だいたい出張やら事務処理やら調整作業やらが多すぎなんです。あ、遊びもか。ま、いいか。



ある日のことである。一人の高校生が私を訪ねて来た。そして、私に、こんな質問をした。

から始まる高校生と医者のやり取り。

高校生は学校でクラス委員をしているが、みんなまとまりがない。まとめるにはどうしたらいいのか。と医者に相談する。なんで、学校の先生じゃないんだ?ま、いいか。

クラスでまとまりがない状況。ちょっと目線を外に向けた時、まとまりがないのはクラスだけじゃなく、大人の世界だって、社会全体だってそうだという話になる。そして、その原因は
さまざまな点で、これまであった権威が失われたこと、そこに問題があるのではないでしょうか。
という仮説から、権威だの権力だのという話が広がっていく。とーっても面白い。

この本の副題は「いうことを聞かせる原理・きく原理」となっている。

個人が生きていく上での姿勢、そしてそれらが折り重なって出来上がる社会がみえる。

「あー、あの人の言っていたことはこれか」と思うシーンもしばしば。僕自身は権威も権力もあんまり気にしていない人間なんだなぁとか、根本的には権威を感じてほしがる人や権力を振りかざす人間をうさんくさいと思っている自分と、でもたまーにそれを使ってしまいたくなる自分もいて、その理由がわかりました。あーあ、知っちゃった…って感じ。まぁ、そんな程度のことしか思い浮かばない。

この本は1974年初版のもの。40年も前の本。そんなことみじんも感じさせない本。読み終わって、とても重たい気持ちになれるのは、根本的に40年前も今も、社会の構造も人も変わってないんだなぁってことが感じられたから。もっと言えば、人類が集団をつくり営むことが生まれてから、根本は変わっていないんじゃないか…とすら感じられて…。時は流れ、人も変わり、環境も変わり、、、、しかし、それらが変わっているだけで、根本はまったく変わっていないのだな、と。その構造の中で、クルックルックルックルッ、回っているだけなのか?という。それが、いいのか悪いのかもよくわからん。。。

もし、それが世の常なんだとすれば、自分が学校教育で子供たちに何をどう教えていくのがいいのか、とっても複雑で考えさせられる部分がでてくるなぁ。悩む、悩む。

「まとまる」ことと「調和する」ことの違いが、議論が展開されていく中で明らかになってくるんだけど、北星余市で展開されているクラス集団作り、学校集団作りというのは、「調和」なんだな…と思えたな。過程の中で、ときに権力を振りかざして「まとまろう」としているように見える部分があるけれど。

うーん、5年後、また読んでみよう〜。







未来を模索するチャンスを子供たちに。

今日は午後から来客があった。本州の少年院の教官。とても熱心な方で、子供の未来を真剣に考えていらっしゃる方だった。朝6時の飛行機に乗って、わざわざ北海道まで来るのである。

北星余市には少年院を出院して入学する子供たちが少なくない数いる。その先生たちの少年院から、昨年度のこの入試の時期に北星余市を希望した者が一人、今年度中に入学した者が一人、そしてこの春も受験をする者が一人いる。それで、実際にこの目で確かめたいと少年院に申出てお越しになられたとのこと。申出る先生も、それを認める少年院も本当に素敵だと思う。

子供たちがどんな場所でどのように育っているのかをこの眼で確かめたいという思いに胸を打たれる。そういう思いを持って子供たちを見ている少年院の先生たちは、私の周りに多い。どこか別で書こうと思うけど、少年院に対する理解も、少年院を経験した子供たちに対する見方も、世間には本当に多くの思い込みがたくさんある。

少年院を出院した後の子供たちに与えられる機会は数少ない。高校生活を送りたいと思っても送れない子供が多い。受け入れてくれる先がない。今日おこしになられた先生もおっしゃっていた。

「中学生で少年院に入り、出院して高校を受験しようとしたとき、必ず長期欠席の理由を聞かれる。そうすると中学校も嘘はつけないから、「少年院に入っていました」と答えざるを得ない。すると、高校はだいたい不合格にしてくる。「リスクが高すぎますから」って。」

定時制もそういう傾向が強いといっていた。通信制の高校は受け入れてくれるところもあるけれど、続かないことも多い。だから、院内で高等学校卒業程度認定試験を受験し、資格を取得し、出院時には就職できるよう準備しているケースが多かったりする。

わからんでもない。わからんでもないが、そういう子供らに対して世知辛いなぁ、、、と思う。

尾崎豊の「15の夜」は意外と正確な数字で、統計上非行が最も多いのは15歳。犯罪白書を見ればわかる。15歳でそれだけ生きる選択肢を絞られてしまうのはいかがなものか。

「少年院を経験している子供」というブランド力が高すぎる。少年院を経験している子供の中にも、確かにそれを屁とも思っていない子、俺をこんなところにぶち込みやがって…と思っている子も確かにいる。しかし、真っ当に生きていきたいと思っている子供が多くいるのである。人を見ずして、何を見ているのか…と思う。

人には未来がある。その未来にかける機会を与えられるべきだ。経験の浅い子供たちにはなおさらである。

「今から頑張りたい!」そう思った10代後半の子供たちが、朝起きて、学校に通い、友達をつくり、勉強をし、様々な経験をし、思い出をつくり…我々が当たり前に過ごして来た時間、二度と手に入れることのできない一生に一度の時間を与えられる学校として、北星余市は存在していきたいと改めて考えさせていただいた出会いだった。

『学び』って感動だよね。

今日は北星余市を見学したいという来客があった。CORE+という大阪を中心にこどもや教育にかかわる人と“教育の未来”を創造するNPO団体の武田さんを中心としたメンバー。


武田さんと初めてお会いした。Facebookでつながっていただけ。しかも、いつ友達申請したかも、どっちからしたかも覚えていない。「申請ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」と挨拶したかもお互い覚えていないくらい。そんな、うっすーーーーい関係だった。まぁ、でも、Facebookって不思議よね。会ったらまるで以前からの知り合いかのように勝手な親近感でずけずけ話せちゃったりした。素敵な女性だった。

そのほかにも北大の院生さんから、大阪の公立高校で教員をされている方から、札幌の高校3年生まで幅広い方達が。一行の目的は、面白い取組をしている教育現場を視察するという感じ。大阪の先生、熱い方だった。そんな場に高校3年生が混ざっていることが素敵だと思ったし、混ざろうとする高校3年生はキラキラ素敵だった。

中でも、個人的に「たかまる!!!」と胸の内で叫んだのは、札幌オオドオリ大学の猪熊さんがいらっしゃったこと。校長に「CORE+さんが視察に来るから、飲み会に来る?」ってしか言われてなくて、武田さんに会うことだけを目的に来てたから、棚から牡丹餅。

ドリ大(って呼ぶことは昨日知ったけど)の取組って、すっごく興味があった。ちょっと思うところあって、色々と調べていたらドリ大にたどり着いて「おもしれーことやってんる!!すげーすげー!これこれ!」って大分前に思っていた、けれど忙しくてなかなか参加できないし、いつかどこかで…と思っていたから。

初対面、二言三言交わしてすぐに「今度、会ってもらえませんか」と怪しいアプローチをかけちゃいました。むふふふ。とても楽しみなことが出来た。

今日は気持ちよく寝れそうです。

『「やりたいこと」という論理』 を読んで

今日は午前中に東京からNPO法人Rightsの副代表理事・小林さんとそのお友達3名(うち2名は小樽市民!地域の人が来てくれてうれしかった!!)が北星余市に遊びにきてくれて、学校の説明をしたり、校内見学をしたり、ニッカで食事&工場見学したり楽しい時間を過ごした。また、遊びに来てほしいな。

そして、夕方からは余市テラス。訪問型フリースクール・漂流教室がやってる余市サンデースクールに30分だけお邪魔してキャット&チョコレート/幽霊屋敷編というカードゲーム。ひねさんもいて楽しかった。




サンデースクールが終わってから、漂流教室の相馬さんと相馬さんの引き合わせで初対面の登山さんとたわいもない大切な話。就職や離職や生き方や「やりたいこと」といった進路教育的な話題。色々考えさせてもらえました。

帰って来たら、登山さんからFacebookで下記のメッセージ。そして、返信。ちょっとメモ的に載せとこう。

(ここから)

今日話に出てきた「やりたいこと探し」の持つ難しさについては、一度これを読んでみてください。
※PDFなので読みにくい…

http://homepage3.nifty.com/kukimoto/pdf/yaritaikoto.pdf



読みました。ありがとうございます。

フリーターを基礎として、「やりたいこと」について語っていたので、僕の全体的な感想は、要はバランスなんだよね…という今日も何度も会話で出て来た言葉でした、笑。


ただ、登山さんが出してくれた「やりたいこと探しの持つ難しさについて」という観点、「やりたいこと」という部分に焦点を当てたときは、色々うなづくこと、ほほぉ、、、そういやそうだということがたくさんありました。

登山さんがこれを見せてくれた意図とずれてしまうかもしれませんが、こういう話題をしていて常々思うのが、「やりたいことを探すこと」自体は決して悪いことではないのに、すぐに「ヤリタイコト探しはよくない」みたいになってしまうのはいかがなものかということです。

ここには書ききれない複雑な様々なことが絡み合っている中で、いかにバランスをとるか…なんだと。

今の僕は根本的に「バランスだよ、バランス」でいつも片付けていて、そのときの持ち駒を駆使して最善の選択をし(そのためには「教養」はあったほうがいいと思っています)、その結果から何を導きだすか…が生き方の根本だと思っているので、「やりたいこと探し」自体はよくも悪くもなくて、良くないのだとすれば、複雑に絡み合った状況内における選択がバランスを欠いているのだと思います。

たぶん、そう考える僕の根本には、北星余市には不登校や非行といった世間一般的には「人生終わった」と自他ともに認める経験をした子供たちが、そういった人達からすれば「不死鳥のように蘇った姿」を何度も見て来ているからです。不登校や非行、そういう過去の経験が活かされている子供たちも大勢いる。そういえば…と思い、色々考えを張り巡らせると、偉人の中にも絶対に味わいたくないような不幸、それも個人の力では避けられないような運命的な不幸から、今の自分を作り上げている人もたくさんいるわけで、そういったことを考えると、行きている中で舞い降りてくる様々な場面に対して、どう考えてどう動いてその結果をどう受け止めてそこから何を感じ何を学ぶか、そしてどのようなものとして自分の人生にその出来事・経験を刻み、次ぎに活かして行くか…これが大切なんだと思っています。

そういった意味で、全てにおいて無難に行きている人も、やりたいことを探し続けている人も、自暴自棄になりすぎている人も、仕事ばかりしている人も、僕は全て同じで、バランスを欠いている。バランスを欠いている人は、つねに、遠く見えない幸せや希望に思いを馳せながら、どこかに不満足を感じながら、でも今の自分を無理にでも肯定しながら折り合いを付けて行きている。そして、社会的には、それが「よくないこと」とされて批判的に語られる。

もっと先も語りたいことはあるのですが、気がついたら2時半なので寝ます、笑汗。続きは、又お会いしたときにでも、語り合えたら嬉しいです。

ん、、、読み返して、なんだか意図がずれている気もしましたが、せっかく書いたのでお送りします。考える機会を与えていただいて、ありがとうございました!

おやすみなさい〜。


(ここまで)

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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