Archive for 12月 2013

北海教区通信・第189号に北星余市を応援してくれる温かいメッセージ。

北海教区通信に北星余市のことが書かれていた。後志地区、余市教会の小西牧師からのメッセージ。地域の方に支えれて存在しうる北星余市。地域の方の温かい思いに感謝。
北星デーの取り組み
余市教会では、2012年度から北星余市高校の働きをおぼえ、地域の皆さんに知っていただく日として、5月と10月に「北星デー」を開催しています。毎回、北星余市高校の教員や学生の皆さんに、北星余市高校が目指す教育、学校生活などについての話をしていただいています。10月20日に開催した今回の北星デーには27名の方々が来てくださり、3年生の上野幸星さん(余市教会員)、坪島真也さんが、今夏に出かけたフィリピンでのボランティア活動についてのお話をしてくださいました。余市教会は、北星余市高校の創立に深くかかわった教会として、今できる最大限のことをして支えたいとの祈りを持っています。余市教会は現在、「地域に必要とされる教会として」との標語をかかげて歩む中で、わたしたちは今、北星余市高校について2つの願いを持っています。
①北星余市の学生たちが集える場所になりたい。
②余市教会を会場にして、地域に向けて、北星余市高校の学校説明会を開催したい。
これらの働きをおぼえて、お祈りください。
北海教区通信 第189号より

チョークアートのLOVEIさんと飲む。

先日「北星余市で自分ができることはないだろうか」とつながりを求めて来校してくれたLOVEIさん。そのときに「飲みに行きましょ」といって、本当にいってきた。

Lovei Labo:http://ameblo.jp/loveilab/

余市のいっ徳さん。牛カットステーキサラダが美味しかった。もつ鍋・塩味も。僕はもつは食べたくないものなんだけど、もつ鍋のスープと野菜は大好きだったりする。

せっかくだから、他の教員、やっさん、堀さん、小野澤先生、本間ちゃんと北星余市を使って地域の英会話塾(という表現は適切ではないと思うけど…)を開いてくれているひねさんも誘って。なんか、おもしろーい組み合わせ。好きなメンバーが集まってる。

ひね塾
ホームページ:http://hinejyuku.jimdo.com
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/hineyoko

18:30から20:30まで。みんなであーでもない、こーでもないと。僕はとても楽しい時間だった。みんなで何か面白いことができればいいと思う。


この15年。

昨日は学期ごとの教員の慰労会だった。北星余市では学期が終わるごとに各学年部会(担任・副担任)で慰労会を行う。ここでは今学期にあった嬉しかった出来事もつらかった出来事も、おいしい料理とともにみんなテーブルに上がる。あのとき、あーすればよかった。あの子は成長した。次の学期はどうするのか。といった生徒の話から、学校の運営に関わる話、プライベートな話まで何でもありの時間。そんな話をしながら、お互いの労をねぎらい「何はともあれお疲れさん、また来学期も頑張ろうね」という時間を過ごす。ここ数年、教員が減ったことで、各学年部会の人数が6人とか7人とかでちょっと寂しい。来年度からは学年関係なくみんなで飲めばいいのに。たかだか20名程度なんだし。

今回も余市のやす幸さんで開催。ちょっと遅れてお店に入ると、我々のグループとは別に、懐かしの面々がそろっていた。入ってすぐ、右手のテーブル席には、往年の退職された先生たちがずらりと並んでいた。どうやら退職教員の会というのがあって、忘年会というか先日無くなられた先生を偲ぶ会というか、そんな様相を呈している。懐かしの面々。在職当時は考え方や意見が合わず、半ばけんか腰に言い合いをしていた先生同士も、笑顔で集っている。お互い、生徒を思うが故のこと。目指すべきは子どもの成長と幸せだった…という空気が流れている、、、と若造は勝手に感じ取る。まるで、ウルトラマンファミリーがならんでいるかのよう。なんと圧巻だったことか。

と同時に、寂しさも感じた。あのテーブルには、総勢15人はいただろう。これだけの先生たちが私の在職している14年間に退職されている。この場にいない数名の退職や転勤をされた先生を考えると20名弱になる。一方、私よりあとに入って来た教員は4名。つまり、15名ほどのマンパワーがそがれてしまっているということだ。15名分の仕事が現在20名の教員にのしかかっている。もっというと、北星余市は、担任は生徒に向かい合うことのみに専念させるという体制を貫いており、分掌等の仕事は副担任ですべて担っているため、この15人分が10人の上にのしかかっているといってもいいかもしれない。

当時は北星余市の時間の流れは優雅だったな…ととても思う。ああいう、優雅な時間の流れは、教育の現場には本当に必要だと思う。担任を持っていないとはいえ、北星余市の教育は担任だけが子どもを見るのではなく、全教員が見ることが大切。生徒指導上、担任や担任団では見えないところ、担えないことも多く、それを副担任が担っている。教材準備に終われ、分掌等の事務作業、書類に追われている中では、子どもたちに向き合う時間は取れない。無理をしてとっても、心に余裕がないと、真っ正面から向き合えない。子どもたちは全力でぶつかって来る。教員が頭の片隅で事務作業のことを考え、片手間でやっていることなど見抜く。本当に良くない。言葉は悪いが、片手間で分掌の仕事をこなし、メインは子どもに向き合うこと、そういう風土がかつての北星余市にはあった。

子どもに向き合うためには、そういう余裕は間違いなく必要である。どうすればいいものか。

ステンドグラス風の装飾を職員室の窓に。


クリスマス時期になると、教会にあるステンドグラスは、また普段とは違う魂の存在を放つように感じられる。寒々しい気候に彩りを与え、暖かみを感じさせてくれる。

北星余市高校は、キリスト教の学校である。私はクリスチャンではないけれど、14年キリスト教主義の学校に勤めていて、人を包み込む柔らかく温かなキリスト教の存在を偉大なものと感じるようになった。

商業的なクリスマスの雰囲気も嫌いじゃないけれど、それとはまた違った、キリストの生誕を祝い、それを機に人とのつながり、温かさを振り返る、そういう空気がある。せっかくだから子どもたちに、少しでも感じてほしいと長年思っていた。ひとつの文化を3年間の高校生活で味わうことは、きっと小さいけれど一つの経験なのだろうと思う。



幸い、今年から総合講座の講師として、卒業生の親御さんであり、牧師の奥さんの方が引き受けて下さった。北星余市らしさもよくわかってくれていて、色々と聖書科の先生と相談をしながら、「まずは、動こう」とやってみた。

デザイン画を卒業生の親御さんとそういうことに長けている一人の生徒に書いてもらった。模造紙大の図柄。それを聖書科の授業を使って、一人一枚B4くらいの大きさに分けて、カッターで白い部分をくりぬく。不器用な子も器用な子もいる。



初めての取組、多忙な業務の中、気がつけば2学期の終業式が目の前に迫っていた。くりぬかれた図柄まではできていたが、今度はラミネート加工して、一枚の絵に統合して、色を塗る作業が残っていた。どう考えても日程的に厳しい様相だったが、せっかくの取組、図柄を書いてくれた二人、授業で一生懸命くりぬいた生徒たちの顔を思い浮かべて、なんとしてでもやらなければ!と、生徒・教員に声をかけて、なんとかできあがった。

やればできるものだ。私一人では絶対になし得なかった。一緒になって自分のことそっちのけでやってくれる人、まずは自分のことをやってから手伝ってくれる人、ちょっとだけの隙間にちょっとだけ手伝ってくれる人、気にかけて声をかけてくれる人、いろんな人がいた。どの人にも感謝。一人一人の力は小さいけれど、みんながほんの少しずつ手伝ってくれたことで、あっという間にできあがった。



今年はまず職員室。この作品は、ずっと使えたらいいな…と思って、ラミネート加工している。代々、その年その年にいる生徒たち、教員たちの思いと思い出のつまった作品を大切にしていきたい。そして、来年、再来年も続けていって、職員室の窓だけでなく、教室、会議室の窓、玄関フード、クリスマスの時期になったら、学校中の窓という窓が、不器用で不細工だけど、みんなの手で作った色とりどりのぬくもりに包まれる日を夢見ている。



風の旅人 復刊3号。

先日2013年11月17日(日)に北星余市主催で開催した「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」(http://www.hokusei-y-h.ed.jp/information/?c=1&s=14753#14753)でご縁があった佐伯剛さんが編集長を務める『風の旅人』の復刊3号をやっと読むことができた。

素敵な紫色の表紙に包まれた雑誌が届いてから、2週間はたったんじゃないか。私の机の上で紫色が誘惑してきたが、舞い降りて来るものたちに追われ「ちょっと、まっててね」と声をかけて来た。帯広から帰って来て、むさぼるように読んだ。

読み終わって、不思議な世界を見た。、前もそうだったが、この余韻が僕にとっては良い。

『風の旅人』は復刊2号も読んだし、復刊前のものも1冊読んだ。僕にとっては、この雑誌、、、雑誌?はよくわからない。なんとも不思議。佐伯さんは「雑誌」というが、雑誌と言えば雑誌なんだろう。けれど、写真家の方々に愛好されているようで、あの鋭い写真、そして写真の量からしても、写真誌ともいえるのだろうが、俗にいう写真誌や写真集とはまた違う気がする。

形態もよくわからないが、書かれていることもよくわからない。個別の作家さんが書いていることの中で、特に文学作品的な、空想的で時空を超えたような作品を理解するには、僕の想像力では足りないらしい。読解力が足りないという問題を感じつつ、でも、これは読解力の問題じゃない、経験の豊かさから湧き出る想像力の問題のような気もする。ルポルタージュ的な作品は、比較的、理解しやすく、すーっと入ってくるが、今度は、その底流に流れているものがわからない。感じるんだけど、見えない。そんな読み物。

今号は「妣の国へ 〜来し方 行く末〜」とタイトルがついている。生と死の根源を「感じる」だけ。

ただ、僕が『風の旅人』から感じるのは
彫刻家ブランクーシは言った。「実在を表現するということは、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ること。」確かにその石は言われてみれば新幹線にそっくりで、ひとしりき私を笑わせてくれた。しかし見る人によっては家鴨であり、靴なのである。石は石だと言い張る人もいるのにちがいない。それでも孫はその石に、風を切る速さを見たのだろう。一瞬にして走り去る憧れのはやさを。天晴れ、孫も芸術家であったのか。
『風の旅人復刊3号〜とこしえの波・望月通陽』102ページ

ということ。写真を見て、読み物を読んで。

読んでいる自分が、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ろうとさせられていることに気がつく。自分の世界のあちら側の世界のような気がする。まったく必要性のない、読まなくたって日常に支障のないものなんだけど、不思議と惹かれる。読まなきゃいけない気がするし、誘われるし、わからないけど読みたいと思う。

はるにれの会20周年祝賀会、全国のつどい実行委員会慰労会。



今日は午後1時から1時間、ステンドグラスの色塗りのために学校へ。そのあと18:00から開催される祝賀会にむけて帯広へ校長と移動した。

帯広には20年も続くはるにれの会という不登校の親の会がある。同会には北星余市卒業生の保護者も複数人、事務局として参加している。地域に密着し、人とのつながりを大切にし、何より学校に対する苦しみや悩みを抱えている子ども、そしてそれを見守る親に希望の光を与える場であったからこそ、長い年月の活動があったのだろう。

20年前といえば、1994年。当時はまだ不登校は今よりもまだ理解がされていない時代だった。挨拶をされた方の「私たちが会を始めた当時は、不登校になってしまった子どもを抱え、この先がいったいどうなるものか、お先真っ暗な気持ちで、みんなが集っていた」という言葉が耳に残っている。そうだ、今でこそ不登校をしていても、私たちのような全日制高校をはじめ、通信制高校、定時制高校と受け入れてくれる高校があり、それらの学校を卒業して立派に社会で自立している人がいる。しかし、当時、不登校を経験した子どもたちを受け入れる高校というのは、私たちのような一部の高校しかなかったし、不登校は子育ての問題であり、子どもの怠けであると一蹴されていた時代だった。

20年間、毎月定例会を開催し、不登校の子供をもつ親御さんに寄り添い、お互いに励まし合いながら、子どもたちの無限の可能性を信じ、それを明日に託し、、、、いや、そんな綺麗な言葉では済まされない現実と戦いながら歩まれて来た会のみなさんに敬意を表したいと思う。

私たちのような高校やはるにれの会のような場所は、本来ない方が良い。20周年を迎え、会のますますのご発展を…といいたいところだが、その裏側には、20年間、そういう社会問題がいっこうに解決されないことを意味している。このことを深く噛み締めながら祝うという不思議な気持ちになった。



今年度は当会が事務局を引き受け、18回目の不登校・登校拒否問題全国のつどいが開催され、北星余市からも実行委員会に複数回、当日は10名の教員が参加して世話人を務めた。祝賀会にはそこで出会ったたくさんの人達が参加していた。はるにれの会には本当に素敵な人達が集っている。子どもの未来を考える素敵な人達だった。

2:00まで、そんな素敵な人達と楽しいひとときを過ごした。

余市町でチョークアートをされているLOVEIさんが訪ねて来てくれた。

「ちょーかーとのかたから電話がありましたよ」

出張あけの朝、いつも電話をとってくれている安藤さんから声をかけられる。
「はい?なんて?」
「ちょーかーとの・・・」
「ん??」

僕は日本人だけど、なぜかこの日本語が聞き取れないし、理解できない。
うーん…

名刺を預かっていたようで、見てわかった。
チョークアートのLOVEIさん。
LOVEIさんは、ラビさんと読む。

あー!2012年8月に余市の青年会議所が主催して余市の未来を考えるセミナーがあって、そこで未来図を書いていた方だ。なんだろ、お電話?と思っていたら、ラビさんからかかって来た。

「北星余市のために何か私にできることはないか」

なんとストレートでありがたい。

早速、学校にご足労いただいて、90分近くも話し込んだ。
色々と聞かせてもらった。

13年前、北星余市で行っている弁論大会(後志の地区大会をかねているため、他の高校の生徒も出場できる)に出場した経験があるとか。そのとき、初めて北星余市に足を踏み入れ、会ったこともないよその高校の生徒がステージにたち弁論をしているにも関わらず、うちの子らは「がんばれー!!」と声援を送ったらしい。うちの子らしい。

そのときに感じた北星余市への思いを心にあたため、余市町に存在する北星余市のことを思って、申し出てくれた。

北星余市で弁論をしていたなんて知らなかった。本人もきっとあのときの経験がここにつながるなんて思ってもみなかっただろう。そして、つい去年にチョークアートを通じて、間接的にお互いの存在をしっていた。LOVEIさんからコンタクトをとってきてくれたからつながったんだけど、そういうご縁なのだろう。

早速質問攻め。答えに質問を重ねる。面接しているわけじゃないけど、なんだか興味がありまして。そして、一通りきいて、一通り話して口から出た言葉。

「じゃ、近いうちに飲みに行きましょう!」

我ながらなんておかしな展開。酒、飲めないくせに。まぁ、そういう気持ちになったんだから、それでいいんでしょう。きっと、笑。

セカンドチャンス!の方が4日から視察来校。そして、セカンドチャンス!北海道交流会に参加。

2013年12月4日から6日にかけて、セカンドチャンス!の方々が北星余市に視察にこられた。

セカンドチャンス!とは、、、セカンドチャンス!のブログから抜粋
セカンドチャンス!はまっとうにいきたい少年院出院者の全国ネットワークです。支援者、利用者という関係ではなく、あくまで対等で、上下関係なく、しがらみや不良文化を持ち込ません。悪ぶらなくてもいい、かといって真面目ぶらなくてもいい、ありのままの自分を出していけるような新たなつながりを築いていきます。この輪がどんどん大きくなっていきますように。

現在、全国で11の支部があり、その支部によってまた活動や考え方も違いがあるようだけれど、上に書かれている大切にしたいことは共通していて、北星余市でも使う、耳になじむ「まっとうに生きる」ことを大切に考えている方達。

本当に陽気で気さくで温かい人達ばかりだった。視察を受け入れる側としては、もっと気を使わないといけないんだろうし、お客さんとして対応しないと行けないんだろうけれど、なんだかすぐに親しみを感じてしまって、楽しくなってしまって、友達をつれて来てみせている感覚になってしまった。


生徒との座談会、教員との飲み会、スポーツ大会を自由に見てもらって、寮下宿も見てもらい管理人さんとざっくばらんなお話、そして謹慎の館で酪農作業をして夜はバーベキュー。そんな感じであっという間の3日間でした。また、遊びに来てほしいな。


ちょうど、去年のこの時期も別の方達がたくさんで学校視察に来てくれて、同じような機会を持ったんだけど、またその人達とも会いたい。今回おこしになった人達、去年おこしになった方、みんな一緒に時間を過ごすことができれば、どれだけ楽しいだろうなぁ、、、と思う。

そして、今日の夜は、セカンドチャンス!北海道の交流会が札幌であり、参加して来た。今回、北星余市視察の際におこしになっていた、セカンドチャンス!京都の代表と監事が「せっかく北海道に行くんだから北海道でもやろう…」と企画したもの。2時間ほど会議室でテーブルを囲んでの実施だったが、それはあっという間に終わって、そのあと、近くのキリンビール園で飲み会。こっちがメインでしたね、笑。いや、これで、いいんだと思いました。めっちゃ楽しかった。

また、ぜひ。


「教師という仕事と学校職場の現在」というイベントに参加してきた。

2013年11月30日、北海道大学で開催された「教師という仕事と学校職場の現在」というイベントに参加してきた。日本教育学会北海道地区と北海道大学教育学研究院の主催。

基調講演をされた油布佐和子先生(早稲田大学教育・総合科学学術研究院)の話をはじめ、教育職員の実態、すなわち教員がどれだけ大変な状況におかれているのか…という話がメイン。

多忙化の問題、指導困難性の問題、地域力の問題、職場集団作りの問題、家庭との関係における問題、、、まぁまぁ、問題は山積みです。システムとして問題性をはらんでいる場合もあれば、個々の資質の中に問題性をはらんでいる場合、関係性の中に問題をはらんでいる場合、まぁまぁ、それも様々です。教育職に就いている者からすれば、それは一概には言えませんな。

僕は
○教員に余裕を与えること
○上意下達の管理的な職場風土をなくすこと
○意欲とモチベーションを高める取組をすること
○家庭や地域との連携を深めること
で、この状況はずいぶん変わると思います。

まぁ、でも、この4つが変わることは相当厳しいことだと思いますけど。

Profile

北星学園余市高等学校で教員をしています。
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