Archive for 9月 2016

クラスで頑張るあなたへ。

石を投げれば、波紋が生じる。生じた波紋を、邪魔者扱いし、面倒臭がる者もいるけれど、それを待っている人もいる。誰かが何かを言わなければならない時がある。それは気がついた人の使命なのだと僕は思う。それを僕は舞い降りてきたものと表現する。

舞い降りてきたものは、貴重なものだと思う。

その舞い降りてきたものが、独りよがりなものではないかと不安になることもある。的を射ているものか、不安になることもある。そういうとき、人に相談するという行動を思い浮かべると思うが、中でも、理解してくれるかどうか、自分と同じ思考の人かどうかで選ばず、「信頼できる人」に相談するといい。

目的が何であるか。

自分の気持ちをわかってもらえる人が居て欲しい、自分に同調する人を作りたいという目的であれば、理解してくれる人、同じ思考の人が良い。それはとても大切なことだ。人は生きていく上で、そういう存在は絶対的に必要だと思う。

一方、物事を成り立たせるということが目的であれば、話は違う。集団において物事を成り立たせるには、自分とは異質の者たちと手を組まねばならない場面が出てくる。

そのとき、自分とは違う質の人たちのものの見方もできたらいい。自分とは異質であっても「信頼できる人」というのは、そのヒントを与えてくれるものだと僕は経験上そう思う。

人に相談するということ、それは自信のなさでも、弱さでもない。それは、確認をするという大切な行動だと僕は思う。そうして、修正も含めて行っていく行動は、大切であるからこそ。行動と思考はその証明である。僕はそう思う。だから、とても尊いことをしているのだと思う。

相談すると迷うこともあるだろう。けれど、結構な確率でどこかで舞い降りてくるものがある。ギリギリのギリギリまで迷い続けることもあるけれど、最後に下した判断、それがある意味、これまで思考や行動を積み上げてきた自分の意志だ。だから、それを大切にしてほしい。

そのとき、どっちを向くかで人は変わる。待っている人の方を向くことができるかどうか。そこを信じることができるかどうか。

ひとつの勇気も必要になるだろう。恐れもあるだろう。苛立ちもあるだろう。たくさんの負の感情が生まれることだろう。波紋は混乱も生む。その混乱も含めて、自分の意志との向き合いである。

そう、大丈夫。向き合っているのは他の誰かじゃない。自分と向き合っているのだと僕は思う。恐れることはないと思う。それは大切な自分と向き合っているだけだと思う。待っている人とともに協力し、あるいは反対側にいる人をも受け入れつつ、一定の形となっていく。


その波紋は、最後、きっと良い方向に行く。

期待。

期待されるって、嬉しいと思う瞬間があります。その期待に応えられそうな自分がいたとき、その嬉しいに気持ちが素直に反応するものです。けれど、応えられなさそうな期待をかけられたとき、少しだけ苦しく感じる自分がいる。応えたいけれど、応えられないもどかしさ。無理をしたって先は見えている。そもそも無理をするつもりもないし、その期待の存在しない関係でありたいと願うときがある。そんなとき、どうしたものかなぁ、と。

かけられる期待というのは、自分と相手の関係において、そもそも、相手が見ている世界。期待されて、嬉しいと感じる瞬間があるのは、相手が相手の世界において、自分をそう見てくれているということに反応するのであって、しかし、次の瞬間、自分がよく知っている自分を見つめ、「相手の世界の自分」と「自分」に乖離がありすぎるとき、相手が待っていることに応えられないことへの自責の念が生まれるものなのだと思います。

期待をかけてもらえるだけありがたいこと、喜びなさいよ。

そんな言葉をよく聞くけれど、これは期待をかけられた側が自発的に思うことであって、かけた側が言ってはならない言葉なのだと思います。ありがたくないなんて一言も言っていない。喜んでないとは言っていない。かけられた相手が、その先のことで、困ってしまうのかもしれないという想像を、期待をかける側はすべきだろうと思うのです。

期待というのは、自分と他者との関係があるから生まれるわけですが、性質として、その人の主観的なものの見方であるという要素を濃くもっていて。一方、人と人との関係というのは一方の思いだけでつくれるものではないわけで。だから、期待をする側は、それが至って自分の世界を見ているのであって、その強烈な思い故に、相手をおろそかにしていやしないか、相手を見落としていやしないか、苦しめていやしないかを振り返る必要があるのだと思います。

あなたにとって大切な相手だから、期待をかけているのでしょう。大切な相手のであれば、まず、相手をしっかりと見つめて、掬うことが先なのではないのでしょうか。それとも、あなたは、あなたの世界の中の相手という像を追いかけているだけなのでしょうか。あなたは、あなたの世界に、あなたの思い描く通りに、相手を取り込みたいだけなのでしょうか。「そうじゃない」というのであれば、まず相手を見てあげて欲しいと強く思います。

そして、僕は、相手のかけてくる期待に丁寧に向き合っていきたいと思います。その期待に応えられないことも、丁寧に伝えていきたいと思います。その相手との関係を大切にしようと思える限り、何度でも。きっと、いつかどこかで伝わってくれるかもしれないと思いながら。思える限り、何度でも。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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