『「やりたいこと」という論理』 を読んで

今日は午前中に東京からNPO法人Rightsの副代表理事・小林さんとそのお友達3名(うち2名は小樽市民!地域の人が来てくれてうれしかった!!)が北星余市に遊びにきてくれて、学校の説明をしたり、校内見学をしたり、ニッカで食事&工場見学したり楽しい時間を過ごした。また、遊びに来てほしいな。

そして、夕方からは余市テラス。訪問型フリースクール・漂流教室がやってる余市サンデースクールに30分だけお邪魔してキャット&チョコレート/幽霊屋敷編というカードゲーム。ひねさんもいて楽しかった。




サンデースクールが終わってから、漂流教室の相馬さんと相馬さんの引き合わせで初対面の登山さんとたわいもない大切な話。就職や離職や生き方や「やりたいこと」といった進路教育的な話題。色々考えさせてもらえました。

帰って来たら、登山さんからFacebookで下記のメッセージ。そして、返信。ちょっとメモ的に載せとこう。

(ここから)

今日話に出てきた「やりたいこと探し」の持つ難しさについては、一度これを読んでみてください。
※PDFなので読みにくい…

http://homepage3.nifty.com/kukimoto/pdf/yaritaikoto.pdf



読みました。ありがとうございます。

フリーターを基礎として、「やりたいこと」について語っていたので、僕の全体的な感想は、要はバランスなんだよね…という今日も何度も会話で出て来た言葉でした、笑。


ただ、登山さんが出してくれた「やりたいこと探しの持つ難しさについて」という観点、「やりたいこと」という部分に焦点を当てたときは、色々うなづくこと、ほほぉ、、、そういやそうだということがたくさんありました。

登山さんがこれを見せてくれた意図とずれてしまうかもしれませんが、こういう話題をしていて常々思うのが、「やりたいことを探すこと」自体は決して悪いことではないのに、すぐに「ヤリタイコト探しはよくない」みたいになってしまうのはいかがなものかということです。

ここには書ききれない複雑な様々なことが絡み合っている中で、いかにバランスをとるか…なんだと。

今の僕は根本的に「バランスだよ、バランス」でいつも片付けていて、そのときの持ち駒を駆使して最善の選択をし(そのためには「教養」はあったほうがいいと思っています)、その結果から何を導きだすか…が生き方の根本だと思っているので、「やりたいこと探し」自体はよくも悪くもなくて、良くないのだとすれば、複雑に絡み合った状況内における選択がバランスを欠いているのだと思います。

たぶん、そう考える僕の根本には、北星余市には不登校や非行といった世間一般的には「人生終わった」と自他ともに認める経験をした子供たちが、そういった人達からすれば「不死鳥のように蘇った姿」を何度も見て来ているからです。不登校や非行、そういう過去の経験が活かされている子供たちも大勢いる。そういえば…と思い、色々考えを張り巡らせると、偉人の中にも絶対に味わいたくないような不幸、それも個人の力では避けられないような運命的な不幸から、今の自分を作り上げている人もたくさんいるわけで、そういったことを考えると、行きている中で舞い降りてくる様々な場面に対して、どう考えてどう動いてその結果をどう受け止めてそこから何を感じ何を学ぶか、そしてどのようなものとして自分の人生にその出来事・経験を刻み、次ぎに活かして行くか…これが大切なんだと思っています。

そういった意味で、全てにおいて無難に行きている人も、やりたいことを探し続けている人も、自暴自棄になりすぎている人も、仕事ばかりしている人も、僕は全て同じで、バランスを欠いている。バランスを欠いている人は、つねに、遠く見えない幸せや希望に思いを馳せながら、どこかに不満足を感じながら、でも今の自分を無理にでも肯定しながら折り合いを付けて行きている。そして、社会的には、それが「よくないこと」とされて批判的に語られる。

もっと先も語りたいことはあるのですが、気がついたら2時半なので寝ます、笑汗。続きは、又お会いしたときにでも、語り合えたら嬉しいです。

ん、、、読み返して、なんだか意図がずれている気もしましたが、せっかく書いたのでお送りします。考える機会を与えていただいて、ありがとうございました!

おやすみなさい〜。


(ここまで)

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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