Archive for 2009

【特別に育てられた子供の行く先は?】
特殊支援教育への懸念


Photo by levindenboer

文部科学省が平成19年度から力を入れている「特殊支援教育」。それは「障害のある幼児児童生徒」に対して特別な教育を受けさせ、その子供のその持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服させることが目的という。




この「障害のある幼児児童生徒」の「障害」とは何を指すか。肢体不自由、弱視、難聴、知的障害をもった子供が特殊支援教育を受けることは今までもあった。それに加え、ここ近年は、自閉症、情緒障害、学習障害、注意欠陥多動性障害などといった診断を受けた子供も、この「障害」の枠の中に入るという。


これらLDやADHDのような症状を「障害」と見るかどうかは、ここでは抜きにして考える。しかし、こういった俗にいう「発達障害」を抱えている子供たちを「障害者」と見ることがどういうことにつながるのかを考える必要があると思う。


「人間はみな平等である」「差別は絶対に許されない」、そういう世界を目指すことは否定しない。そういう世の中になったらどれだけいいかと思う。ぜひ、そういう世界を築き上げたいと思う。しかし、現時点、実際の社会においては、理想とかけ離れた世界が展開されている。「障害」をもっているという事実をしったときに、差別感を持つ人は多い。差別という言い方が問題であれば、区別感といってもいい。人としての尊厳までを否定するものではないが、この人は普通の人よりもこういう部分で力が足りないのだという認識をもつ。そして、私はそれで当然だと思っている。


こういうことをいうと「けしからん考えだ!」とお怒りになられる方もいらっしゃるが、実際の世界はそうである。障害者手帳というものがなぜ存在するのかを考えたらわかるだろう。ほかの人たちと何の違いもないのであれば、障害者であることを証明する手帳はいらない。証明することで、福祉を享受する必要もないのである。


その人には、ある力が足りないという認識に立ったとき、その人は障害を抱えていると考える。障害を抱えていると認識すると、特別な支援を受ける必要があると考える。これが障害者手帳の考え方であり、それは特殊支援教育の原点にもつながる考え方である。こうして、障害者の烙印を持ち、特別な待遇を受けることによって、その人は特別な人として周囲に認識されてしまう。それがその子供の将来にどういう影響を及ぼすか。


「僕は小学校5年生でADHDと診断されて、中学・高校と特殊支援教育を受けてきました」と面接でどうどうと語って、それをよしとしてくれる世の中ならいい。けれど、現実は違う。




LDやADHDのような発達障害と呼ばれている子供を特別扱いする必要が本当にあるのか。そして、そういう子供たちを障害者として位置づけて特別な支援をして、教育していく必要があるのか。私には疑問である。20年前には一般には聞かれなかった言葉。現在50代の人たちの中には、明らかにその「障害」にあてはまるような症状を持っている人でも、立派に社会で成功されている方たちがたくさんいる。


「発達障害」を重度に抱えている子供にはそういう支援も必要なのかもしれない。けれど、あれもこれもそれもどれも、LDじゃないか、ADHDじゃないか、アスペじゃないか、、、、そんな風潮のある今の日本で、そういうものを抱えた子供を特別扱いすることは、その子供の未来をつぶしてしまう可能性があるということも考えておく必要がある。


その子の個性、ぐらいがちょうどいい。そう思うのである。

【人間関係のつまづき】
不登校になる理由

毎年文部科学省で作成されている、「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」。2008年度(平成20年度版)の結果が、小学校と中学校の不登校に関する部分のみ2009年8月6日に公表されてます。


http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/08/1282877.htm




私は仕事柄、毎年この資料を斜め読みするのですが、相も変わらず不登校の原因となっているのは「人間関係によるつまづき」ですね。上位の2位~5位は家庭環境やらなにやら、直接人間関係によるつまづきに起因するものではないのですが、実は5位以下と1位を考えると、それが何らかの形での人間関係によるつまづきであり、「人間関係のつまづき」として、それらを足してひとくくりにするとダントツの1位になる。


Photo by alicepopkorn




学校に通えなくなる理由の大半が「人間関係」によるものだという認識をした時、僕がその子供たちにつけてあげたい力は、だからこそ「人間関係を切り結ぶ力」というふうに思うのです。

【教師だけでは教育はできない】
互いに手を取り合うことが、子供の豊かな成長につながる


Photo by WTL photos

教師だけでは教育はできないと思っています。家庭、地域が一体となって、はじめて実り豊かな教育を展開できる。「家庭での躾がしっかりしていない、だからこんなこともできない子どもが学校に来るんだ」なんてことを言ったって始まらないんじゃないか。一方で「学校なんて勉強も中途半端、塾の方がまし。かといって、生活指導もしっかりしてくれるわけじゃない」なんてことをいっても意味がないんじゃないか。そう思います。それは、お互いが果たすべき責任とその責任を果たしていないことを非難し合うだけのやりとりにすぎなくて、そこには子供の姿が見えないような気がします。


教育は分業作業ではいけないと思います。工場の流れ作業のように、ある人はここを担い、別の人がここを担う、そしてその担当部署以外は関係がないという形態でなされることは、決してあってはならない。内田樹先生の「街場の教育論」に、この分業の危うさに関する記述があるのですが、これを読んだとき、まさにそういう危うさが今の教育にあると感じました。


教師への苦言、家庭への苦言、それはある種の期待ともいえるものではないかと、私は思います。それぞれがそれぞれに耳を貸し、互いに協力し合い、至らぬ点を支えあって、全体的な教育力を高めていく。それは、その子供にとって、足し算ではなく、掛け算の効果を生むことになります。僕の経験では、そうです。


北星余市高校の教育は、まさしくそれが体をなしている。


担任をしているとき、父さん・母さんにお願いすることは、やまほどあります。生徒の身近にいる大人の人にお願いすることも、その問題を乗り越えた先輩や友達にお願いすることもやまほどあります。逆に、お願いされることも多々ある。教師としての経験上、聞き入れることができないことがある場合は、きっちりとその理由も含めて説明して理解してもらい、別の手段を一緒に模索することもありますが、なるほど!と教師の視点からでは見えない、その子供にとって良い方策が与えられることのほうが、もっとたくさんあります。そうして、手を取り合って、一人の子供に向き合う。


それは、子供たちの豊かな成長に導く、最善の方法だと思うのです。

【Live Act Against Aids in YOICHI】
道立余市高校との合同イベントが開催されました


今日、余市町公民館で道立余市高校との共催で"Live Act Against Aids in YOICHI"なる合同イベントを催しました。11月に企画が持ち上がってから1ヶ月間、生徒たちの着実な準備と道立余市高校の先生のご尽力によって、このイベントが成功しました。当初、軽音部顧問である私のところにお話がきて、仕事を分担してやっていくはずだったのが、リハーサルや当日も含めほとんど余市高校の先生に任せっきりになってしまい、申し訳ないことをしました。が、おかげ様で、北星余市の生徒も総勢40名以上が参加し、スポーツ大会の翌日にも関わらず、たくさんの笑顔と学校外の方に向けたイベントを体験させることができました。本当にありがとうございました。


北星余市からは、YOSAKOIソーランやアカペラ、バンド演奏、パラパラで出し物をし、北星余市と道立余市高校のピアサポーターがエイズの予防と正しい認識の啓蒙するための演劇を交えたスライドショーを行いました。


学校内での行事は、北星余市の学校教育において1か月に一度のペースで用意されており、それを一つの糧にして生徒たちは成長していくのですが、こういった学校外でイベントを行うということが、また違った側面での生徒の成長を生みだすと思うわけです。北星余市内での常識が外で通用するのかどうか、北星余市ではあたりまえのことが外ではあたりまえでない現実があったり。また、外の人たちとかかわることで自分たちの良さというものも見えてきます。それは外の人と自分たちを比べて優劣をつける、どっちが上かとかそういう下品な話ではなく、自分たちを見つめ、自分たちを再認識する効果をおのずと生む。こういう機会がほとんどない状況なので、生徒たちにとって本当に良い経験になったと思います。


ご来場くださった皆さん、ありがとうございました。準備に尽力された方々、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

【教師はただの人間】
一人で教育をするには限界がある


Photo by Brandon Godfrey

教師は集団でもって機能する。チームプレーがとても大切です。一人で教育を営むことのできる人間は、存在しないと僕は思っています。こういう話をすると「いるじゃないか、カリスマ教師が」といわれることもありますが、あれは私からすると教育であっても、教育の中のほんの一部ができているだけのことなんです。ひとつの方向性を向いて、教師が集団となってそのことに取り組む。生徒の活動を発展させる動きであっても、生徒が起こす問題行動への対処にだって、それは集団に対してだって、個人に対してだって、そのことはとても大切なんです。
 一昔前は、教師は一目置かれていました。僕の母親の世代は、先生と言えば絶対的に正しい存在であり、「今日、先生に殴られた」と祖母に報告したら「あんた、なにやったのさ」と無条件に先生が正しいことが前提となっていたといいます。昔は、社会的にそうだった。母親は戦後の団塊の世代の人間で、戦前の名残もあったのでしょうけれど、社会全体的に先生は正しいものという考え方があった。そういう支えがあったから、教師一人一人の力は保障されていたのだと思います。もちろん、戦前の教師たちの中には、しっかりとした思想の持ち主が多かったこともあるでしょうけれど。その思想が良いか悪いか、自らのものかどうかは別として。


今の時代、つまり価値観がこれだけ多様化し、ややもすれば「人様に迷惑さえかけなければ私は何をやっても良い」という言い分に、何も言い返せなくなるような、それほど価値観が多様化している世の中においては、教師は教育理念のもとに一致団結してそこに向き合う必要が、特にあると思います。


それができていないとき、たくさんの弊害が起きてくるのだと私は思うのです。

【ある共通認識のもとにひとつの曲を織り成す】
JAZZ --- そして教育との共通点


Photo by ~MVI~

今日は久々に空いた時間が30分ほどできたので、いつも北星余市を応援してくださるコミュニティレストラン・B&B「余市テラス」さんを久しぶりに訪問させていただいて、ちょっとJAZZのお話。
 私自身、JAZZというジャンルの曲はあまり聞かないのですが、YouTubeのスライドショーを作成するにあたってJAZZの曲を使わせてもらうことをきっかけに、ちょっと興味があったので。曲を選ぶ際に、何曲か聞いて選ぶわけですが、一口にJAZZといってもいろんな雰囲気があるわけですね。私がいつもパンフレット作成等でお世話になっているブリューさんは、それを「匂い」といっているのをふと思い出しました。


余市テラスさんには、JAZZのCDがたくさん並んでいる。ふと聞いてみました。


「JAZZって、その中にもジャンルがあるんですか?ROCKでいう、HARD ROCKやHEAVY METALがあるように…」



とお聞きすると、

「分ければあるが、基本的にはなんでもありなのがJAZZ。基本となる拍子などをもとに、あとは演奏するなかで、そのプレイヤーの一致するところでひとつの曲を織り成す。即興も多く、それがJAZZの魅力。即興なんかは特に、こうしよう!という細かい打ち合わせもなく、基本的なことだけを決めて、あとはその場で素敵な曲を奏でる。その分、いろんな雰囲気もでるし、奥が深いんですよ」というような趣旨のお答えが。

なんだかわかりませんが、北星余市で日々実践されている教育の「雰囲気」をそのJAZZの中にふと感じた瞬間でした。

基本的な教育理念、生徒観、指導の方向性などをもって、目の前にある出来事に、個々の教員の持ち味や経験に基づく感、その場の判断で指導に当たる場面が目に浮かびました。毎日のように学年部会を開いたり、生徒指導の前に打ち合わせなどをすることは基本であったとしても、結局、まさに目の前にあるそのときに個々の教員がどう動き、どう連携して指導を行うかの繰り返しが、教育活動の根っこにあるような気がしたのです。そのときにあるのは、なんていうか、、、打ち合わせの詳細よりも、パートナーの雰囲気といいましょうか、ひととなりと言いましょうか。この人ならこう出るだろうから、自分はこういう路線で話をしてみようとか。
ふーむ、そう考えると、自分たちのしていることは、JAZZちっくなのかもしれない?なんて・・・そんな風に考えた30分でした。

【PTA、PTAOBが集まってくれました】
茨城、群馬、静岡の教育相談会にいってきました。

11月21日(土)から23日(月)にかけて、本校の講演会・教育相談会に行ってきました。前日の20日(金)に茨城いりして、在校生の親御さんの家に宿泊。ホテルを予約していた私ですが、「先生、泊って!」の声に、何やら楽しそう…と誘われて。その日は関東近辺の親御さんが10名弱集まって、深夜3時くらいまでお話を。とても楽しい一夜でした。

3日間の講演会・教育相談会には、昨年の春に卒業させた私のクラスの生徒が長野から群馬に、愛知から静岡に2名かけつけてくれ、なんだか嬉しいプレゼントも貰った気分でした。

と、何をしに行ったんだ…って思われるかもしれませんが、北星余市高校の良さや現在の不登校生への高校教育の危うさをお話しさせてもらって、北星余市を分かってもらうことが目的です。参加された方には、北星余市という高校が何を大切にして教育をしているかをよく理解していただけた…という感覚があります。


この講演会・教育相談会の素晴らしさは、何より現役PTAやPTAOBの方が中心になって企画してくださっていること。当日に向けて、この講演会と相談会を皆さんに知っていただきたいと各方面に働きかけてくださる。そして、当日の会場にはたくさんの父母が集まってくださり、準備をしてくださる。中には、東京から静岡の会場まで来てくださる方、東京から茨城まで来てくださる方、、、それも手弁当で。そうして、応援してくださるPTA、PTAOBの方に、感謝感謝です。

茨城、群馬、静岡でお世話になった父さん、母さん、とても楽しい時間と元気をいただきました。本当にありがとうございました!

【いじめはあるものと思った方がいい】
アンテナ高く、小さいうちに。


Photo by lenifuzhead

文部科学省がとった統計、平成19年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について(平成20年11月20日)http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/11/08111707/002.dfによると、平成19年度間のいじめの認知件数は約10万1千件だそうです。

 ちなみに、教員という立場の人間がこういうのもなんですが、、、実際のところはもっと多いと思います。そういうものだからです。我々の世界からは見えない、子供だけの世界になっている部分は間違いなくあると思うんです。


いじめの内容を見てみると、
「冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、いやなことを言われる 65019件」
「仲間はずれ、集団による無視をされる 22904件」
「軽くぶつかられたり、遊ぶふりをして叩かれたり、蹴られたりする 18877件」
というのが上位3位。

これらの事柄は境界線が難しく、本人は嫌な思いをしながらも我慢している例というのは山ほどあります。そう考えると、もっと多いはずなんです。我々の世界からは見えない、子供だけの世界。かくいう私も、この上位3位の中の事柄は小学生・中学生の時代に経験したことがあります。

この上位3位の内容は、いじめの「導入」。この導入で不登校になる子供もいれば、それ以降、いじめがエスカレートしていくことも多々あります。

別の資料、こちらは平成20年度の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」についてを見ると、不登校となったきっかけと考えられる状況をみると、いじめが3685人、いじめを除く友人関係をめぐる問題が23439人。これは不登校となったきっかけと考えられる状況のうち、実に20%を超えます。NPO法人やフリースクールなどが主催する、不登校のつどいのようなところでは、「子供が不登校を訴えたら、無理に行かせることはない」という対応をよく聞くが、これはこの側面から見ても、正解といえるかもしれないなぁ…と思います。誰にも言い出せず、誰も見いだせず、本人が耐えてしまったがゆえに、いじめがエスカレートする場合も多いからです。

いじめをなくそうという運動はとても大切なものです。ただ、私はいじめはなくならないとも思うんです。いじめの存在を責められることを恐れて「ない」または「これはいじめじゃない」と語るより、アンテナを高くはり、小さな事柄に対しても目を配るような体制を取りたいなぁ…と常日頃思っています。

【いいなぁと思う本】
発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方

寺田 啓佐 (著)
単行本: 255ページ
出版社: スタジオK (2007/08)
発売日: 2007/08




発酵と腐敗の違い?ふーむ、なるほど。人生もできれば腐敗させるのではなく、発酵させたいですよね。生き方、勉強になります。



発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方

【みなさん、ありがとうございました】
道央圏の中学校を訪問させてもらいました!

今週1週間、再び中学校訪問に行ってまいりました。今週は岩見沢から滝川、富良野、旭川方面の中学校さんを訪問させていただきました。地方を複数回るため、アポイントととってから回れないのがいつも申し訳なく思うのですが、突然の訪問にもかかわらず、ほとんどの中学校さんがいやな顔ひとつせず迎えていただいて、本当にありがたく思いました。


<2009.11.11(Wed)富良野の朝:目覚めると雪でびっくり!>

北星余市高校がどういう教育を展開しているのか、何を子供たちに育ててあげたいと考えているのか。そういうことをひたすら語る私に、みなさん耳を傾けていただき、考えを巡らせていただいている様子で、その反応がまたうれしくもありました。

そして、今回もまたうれしかったのが、北星余市に送り出してくれた先生のもとを訪問したとき。どの先生たちも、その子供ががんばっているのか気になってらしたようで、「がんばっています」という報告に笑みを浮かべてらしたのが、僕の元気にもなりました。

本当にありがとうございました。

【いいなぁと思う本】
みんながおしえてくれました

五味 太郎 (著)
出版社: 絵本館 (1983/01)
発売日: 1983/01





僕自身、本当にいろんな人に支えられてここまでこれたな、、、って思っていますが、そんな当たり前のことを書いている絵本です。なんもひねってません、本当にシンプルにそれだけ書いてある本。そこからどうするかは、あなたの自由。


みんながおしえてくれました

【不登校になった子供を抱える親御さんの迷い】
その思いを語ってください。


Photo by quinn.anya

昨日、一昨日と本校の講演会・教育相談会に出張してきました。場所は函館と室蘭。北星余市では、毎年、全国40か所以上で講演会と教育相談会を開催しており、本校を受験するしないにかかわらず、たくさんの方に参加いただき、不登校生・高校中退生に関わる講演を行い、その後希望者の方には個別相談に応じております。

不登校になった子供を心配し、どのようにしたらよいものかと迷われている親御さんが来場されます。お話を聞く中で、普段抱えてらっしゃる苦しみをたくさん感じます。子供が不登校になるということは恥ずかしいことではない、特別なことではなくいまやクラスに一人いるのが当たり前になってきていますが、とはいえ、誰にでも相談できることではないですし、一人で抱えるには重すぎることだとも思います。

そういう方こそ、まさにお越しいただいて、何かのヒントにしてもらえれば…と思う僕なのでした。

【内省時間のたまものか】
不登校経験者の獲得したもの


Photo by qthomasbower

今日、ふと、ネットで記事を見ていて思ったこと。

http://mainichi.jp/area/nara/news/20091028ddlk29100552000c.html

こちらの記事によると、不登校生を支援するASUというところで、文化祭と称して芸術作品の展示を行っているという。どのような作品かは見ていないので何とも言えないが、私の経験からいってもきっと素晴らしい作品がたくさん並んでいるのではないかと思う。

これは経験上の話だが、不登校を経験した子供というのは、自己表現の力に長けていることが多い。たとえば、本をたくさん読んでいる子供はそれが文才となってあらわれてきたりする。書道や絵画、写真などといった芸術の場面でもすばらしい作品をよく作る。

それはきっと、不登校を経験している際に、自分に向き合う時間や悩み・葛藤に向き合う時間が長く、その熟成されたものがその子供の中にたまっている結果なのだと思う。人というものに対する見方、世の中に対する見方、自己嫌悪、願望、期待、裏切り、、、その様々な経験と様々感情や考え、そしてそれを昇華させるだけの生きる力を得て、素敵な表現ができるようになるのだろう。

僕の高校には不登校経験をして、「やりなおそう」とある一定乗り越えた形で、入学してくる子供たちがたくさんいるが、そういう子供が多い。現状不登校の子供はほとんどいないのだが、そういう子供たちを見ていると、経験した不登校は不幸であったとしても、不登校時代にしっかりと支えてくれる人がいて、自分を見つめることができて、それがいまこうして力となってあらわれているんだな、、、、と思うと、それはそれで生き方として、うまく辛いことを活かせているのだと感じたりもする。

そう考えると、現状不登校の子供たちを支える大人は、本当に重要な役割を担っているのだと尊敬の念をいだく。みなさん、がんばってください。

【人生最後の修学旅行】
自分たちで作り上げる旅行の醍醐味

土曜日から沖縄に出発する2年生。放課後、20時ごろに職員室で何やら作業をやっていました。




2週間くらい前から実行委員会を開いて、門限などの規律や楽しい企画の話し合い、点呼の方法から、一生に一度の高校の修学旅行を楽しいものに仕上げたいという気持ちで話し合ってきていました。

教師も当然混ざっての実行委員会ですが、最低学校として、または高校生として守らねばならないラインは示しますが、基本的にはすべて生徒が決める。僕の経験上、今まで先輩たちがどういう風に修学旅行を成功させて、そのためには何をやってきたか…から話が始まります。そうして、1から手作り感のある修学旅行が、自分たちの旅行として思い出に残るのだと思います。

楽しんでいってきてね。

【余市高校との合同ライブ企画】
今後の活動が楽しみです!

先日書いた軽音部の合同ライブの企画。その後、なんと驚くことに、道立余市高校の先生も同じようなことを考えてらっしゃったようで、予期せぬ形で余市高校の先生からオファーがあってびっくりしました。余市高校の先生は、ピアサポーターと連携して、AIDSに対する正しい認識を持ってもらうことを目的にして、合同ライブやその間にAIDSの啓もう活動をしたいという企画をもってきてくれました。ただ合同ライブするよりも、そういう意図を含んだ企画もいいですね。ということで、GOサイン。

今日は、その第1回実行委員会が余市高校で行われました。余市高校のメンバーと顔合わせをして、大枠の話し合い。今後の活動が楽しみです。

【正しくあらねばならない】
教師の強迫観念が人間の幅を狭くするのかもしれない

その教育が目指すところはどこか。学校によっても、時代によっても違いがあって、たくさんあります。が、いずれにしても、共通しているところは、理想の人間像に向けて教え育てるということ。それが教育の目的の原点です。

理想の人間像に育て上げるためには、自分がその理想の人間像でなければならないと我々教育者は考えます。子供に教えるからには、自分がお手本としてそういう人間でなければ、子供たちにも語ることはできない、、、たいていの教師は、そういう考え方を意識、無意識に関わらずしている。強迫観念にも似た、そういう感覚ともいえると思います。

「完璧な人間はいない」

教師もまた人間である以上、完璧であるはずがないと思います。しかし、少なくとも子供たちの前では完璧でなければいけない。理想像に近い正しい人間でなければいけないという感覚に陥ることが多い。

これは「完璧になんかなれっこない、すべてにおいて正しい人間になんてなれない。けれど、そこを目指したい」という考え方とは、まったく異なる質のものだと僕は思います。自分は教師であるが、人間としての身の程を知っている人は、人間教育ができる。

その子供を理想像に近づけたいがために、指導する。指導するからには、自分は少なくともその点に関しては完璧にならねばならない。そういう脅迫観念にかられた教師は、やがて自分の枠の中に入る子供たちしか相手にできない教師になっていくのだと思います。

【いいなぁと思う本】
本気の教育でなければ子どもは変わらない (シリーズ教育を考える)



原田 隆史 (著)
単行本: 223ページ
出版社: 旺文社 (2003/10)
発売日: 2003/10
心を育てれば子どもは必ず変わる。荒れた中学校を立て直し、陸上部を7年間で13回の日本一に導いた、原田隆史の教育。
(amazonより)






同じ教育者として、刺激を受ける部分があります。

本気の教育でなければ子どもは変わらない (シリーズ教育を考える)

【試験後の生徒の反応】
努力した自分の結果を確認したいという気持ち


Photo by The Master Shake Signal

今日は中間試験終了後、久々の授業でした。授業をしようと教室に行くと生徒たちが「え、先生、試験は?」という声。実は、まだ採点ができていない僕。「ごめん、まだなんだ…」というと、「さいあくぅ~~」という声、声、声。

…何が最悪なんだ!?

試験を返す日は新しい学習に進まないので、それを欲しているのかと思いきや(そういう子もいるかもしれないが(苦笑))、どうも自分の点数が気になるらしい。ということは、自分の努力の成果を早く確認したいということなのだろう。

これはとても健全な反応である。英語が苦手な子供も多いが、苦手なりに努力した自分の結果を確認したい。勉強に対する意識がそれだけあるということ。こういう意識を持ち始めたとき、生徒たちは少しずつ学習力がついていくのだと思う。

【放課後の活動を充実させたい】軽音部員からのあらたまったお願い

先日、軽音部員の二人が、あらたまって僕のところに来ました。「ちょっと、話聞いてほしいんだけど…」なんだ、、、なんだ? なんか悩み事か?なんて思って話を聞いてみたら、余市近辺の高校の軽音部と合同のライブを開きたいという。

「なんで?」とこういうとき、僕は必ず聞きます。

「最近、軽音部のメンバーが少なくって、盛り上がったライブを体験したい。あと、その準備も含めて放課後にいろいろ活動したい。余市の高校生と交流したい」という。

なるほど。オトナ風にいえば、豊かな体験を求めている、充実した放課後の活動を求めている、地域との交流を図りたい、といったところか。こういう経験を高校生のうちにすることはとても大切なこと。よし!と僕はひざを打った。そういう活動は応援したい。

じゃぁ、、、ということで出した課題は、まずは企画書を作っておいで。日時・場所・目的・実施方法・準備に必要なことなど、それらを含めた企画書。どういうものが出来上がってくるかわからなかったが、まずはその頭にあることを出させてみたい。立派に作ってきた。これからの動きが楽しみだ。

【みなさん、ありがとうございました】
すがすがしい気持ちです


Photo by notariety

14日から函館方面、室蘭・伊達・苫小牧方面の中学校・高校を訪問させていただく旅も無事終わりました。総移動距離約900KM、訪問学校数24校。突然の訪問にもかかわらず、そして各先生方忙しい中にもかかわらず、快く対応してくださった方が多くて、本当に幸せな気分でした。中には授業前にもかかわらず、できる限り熱心に耳を傾けてくださった先生、「また改めてじっくり話を聞かせてください。興味があります」とおっしゃってくださった先生もいらっしゃって、みなさんの教育に対する思い、生徒の進路指導に対する思いを感じて、私自身疲れた体に元気をいただきました。


今回うれしい思いをたくさんさせてもらったのですが、その中の一つに高校の先生方とのお話があります。なにがうれしかったかというと、どの高校の先生方も北星余市に転校した生徒のことを案じてくれていたこと。「どうなってるのか、気にはなっていたんです」とおっしゃる先生が多かった。そして「北星余市ではこうやって頑張っています」と伝えたら、みなさん一様に「うれしいなぁ~」と感慨深げに話してくださったことでした。


私も担任をしていて、卒業まで導いてやることのできなかった生徒がいたとき、人とのめぐりあわせ、学校の環境、育ってきた経過、様々な要因が重なっているとは思いつつ、「なんでこいつはわからんのだ!」という腹立ちと同時に、それ以上に教育の限界と自分の力量のなさを切なく感じ、眠れない夜を過ごすことがあります。訪問させていただいた先生たちの「うれしいなぁ~」という短い言葉の中に、その思いを強く感じました。


そして、高校の先生たちの去らねばならないような子供に対する思いというのも感じ、その思いに私自身がうれしい気持ちにさせてもらいました。「残念ながら、自分たちの力量不足で救えない子供もいる。けれど、そういう子供の人生は今後も続いていくわけで、私たちの学校を去らねばならない状況になったとしても、どこかにつなげてしっかりと高校生活を送って、成長して、人生を豊かにしていってもらいたいという思いがある。そういうときに、通信制高校以外にも、北星さんのような存在があるということは、この子たちにとっても、私たちにとっても救いである」そんなうれしい言葉をいただきました。


今回の3日間の出張の疲れ、とてもすがすがしい疲れです。本当にありがとうございました。また、どの先生たちともゆっくりお話をさせていただきたいと思います。おやすみなさい。

【いじめを通じて】
その経験を人生の糧にする、そこから何を学ばせるか

「いじめをなくそう」という取り組みは大切なことだと思います。大切だと思いますけど、いじめをこの世からすべてなくすことは不可能だとも思います。また、いじめを通じて何を学ばせるかが教育現場においては重要なことだと思ったりもします。決していじめを肯定しているわけじゃありません。そして「いじめをなくそう!」と声高らかに、そういう取り組みをしている人を否定しているわけでもない。

いじめなんて、ない方がいいに決まっているけど、いつの時代も、それは子供の世界のみならず大人の世界においても、また人間以外の生物においても、いじめ、またはそれに類するものは存在するのが現実です。問題はその子供の世界におけるいじめに対して我々大人がどう向き合うのかということもまた、「なくそう」とする運動と同じくらい、またはそれ以上に大切な事柄なんじゃないかなと思うわけです。



Photo by Torley

アンテナを高くし、いじめを最小限の時点で食い止める。そして、その当事者同士の指導を徹底する。これがうまくなされれば、子供たちは大きく成長する。そういう経験もまた、ときに子供たちにとって大切な事柄なのだと思うわけです。

【今日から中学校訪問】
先生たち、ご報告にお伺いします!

今、函館に到着しました。先日のブログで札幌圏一斉中学校訪問のお話をちょっとしましたが、実は今日14日から全道各地の中学校や高校を訪問させていただきたいと思っております。

その一番の目的は、先生たちの教え子でもあり、私たちの教え子でもある生徒が、いまどういう生活を送っているのかを報告させていただくことです。全国のみならず、全道各地からも生徒が来ている本校ですが、地元を離れてきているのでなかなか前の学校の担任の先生にお会いして様子をお伝えしたりすることができずにいて、心苦しく思っています。地元にいればそれなりに情報というのは入ってくるものだと思うのですが、離れているとなかなか。

私も担任をしているのでよく思うのですが、ふとした瞬間に自分が担任を持った時の生徒のことを思い出しては「あいつ、どうしているかなぁ」と、そういう気持ちになって30秒ほど宙を見ていることがあります。教師という仕事は、自分のしたことが成果としてどう表れているかを判断しにくい職業だと思います。その子供がどう成長していくか、それは一人の教師の力ではなく様々な因果が絡み合ってのことですし、そして成長が表れるのは決して短いとは言えない時間が必要になってきます。

「悩みつつも苦しみつつも、前に向って幸せに生きている」個人的にはそういう状況が、客観的な幸せな状態であり、生き方なんじゃないかと思っています。自分の受け持った生徒が、はたして前に向かって幸せに生きていけているのか、具体的にどういう状況なのか、自分が関わった子供たちに関してそういったことを私自身が知りたいので、おせっかいながら北星余市に送ってくださった先生方には、お伝えしたいと思ってる次第です。

教師をしているとその人生の大半は、子供のことを考えているわけでして、自分の人生をかけたこと、つまり子供たちを成長に導いていきたいという思いからくる生き方が、どのように形としてなりつつあるのか、先生たちにとってもきっと明日の糧にしていただけるのではないかと、生意気ながら思う次第です。

なにより、私自身が、生徒の成長がうれしくて、喜びを共感したいだけなのかもしれませんけれど。
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【活気ある生徒たち】私学フェスティバルがありました!

昨日10月12日(月)は札幌・苗穂にあるアリオ札幌さんで、私学助成金運動の一環である私学フェスティバルが催された。私も参加したが本校からも40名ほどの生徒が参加した。この私学フェスティバルは、数年前から毎年この時期に行われており、札幌圏の学校はもちろん、帯広や旭川など全道各地の私立高校の生徒たちが集まって企画段階から練り、行われているフェスティバル。


<参考>
http://www.hokusei-y-h.ed.jp/blog/


各校はそれぞれ自分たちの学校で出し物を用意して披露する。本校からは私が顧問をしている計音部から2バンドが出場。そして、「情熱大陸」のテーマソングに合わせた踊りや南中ソーランなどの踊りにたくさんの生徒が参加した。


彼らはただなんとなく参加しているのではない。私学助成金とは何かを理解したうえで、自分たちの高校の一端でも皆さんに見てもらいたい、知ってもらいたい。その自分たちの充実した高校生活が、私学助成金という補助金で成り立っており、財政不足の折、補助金が減らされそうな中、みなさんの署名の協力があって毎年現状維持ができていることに感謝をしつつ、こういった企画で楽しいひと時を過ごしてもらって、恩返しをしたい。そうして、自分たちが充実している高校生活を維持し、またそれを未来の後輩たちにもつなげていきたいという思いを持っての活動だということが、私は素晴らしいと思うのである。私学フェスティバル実行委員会の委員長は、今年度本校生徒が担っていたが、委員長のみならず、どこの学校から来ている委員も精一杯がんばっていたのが印象に残っている。


本校の生徒の場合、生徒たちがすべて自分たちで企画をし、練習をし自主的に参加していることが我ながら素晴らしいと思う。学校にある15人乗りのマイクロバスに乗りきれなかった40名近くの生徒は、それぞれの先生たちの車に分乗して札幌まで降り立った。生徒がそれだけ自主的に参加するこの企画、先生たちはうれしい悲鳴を上げながら、札幌まで送り迎えを笑顔でしていた。

【資料作成の一日】
やるしかない、前に向かって。

今日から三連休。


この三連休の最終日12日には、札幌で私学フェスティバルが行われる。私学フェスティバルとは、私学助成金運動の一環で数年前から生徒主導で行われている取組み。今年度は、苗穂にあるアリオ札幌で開催。たくさんの生徒が参加する予定。私も行きます。


今日は2週間後に行われる会議に向けて、書類作成の案を考えていた。一定の方向性が見えたが、どうにもこうにも厳しい状況には変わりはない。説得力あるものがなかなか思い浮かばずにいたが、とにかくやるしかないということである。

【事務作業は少ない方がいい】
札幌圏中学校訪問の準備

今日は、授業や生徒対応などの間を縫って、10月22日(木)に行う札幌圏中学校訪問の準備を丸1日かけてやっていた。毎年この時期に本校教員は札幌圏の中学校を訪問させていただき、入試要項の説明と本校受験希望の生徒がいるかをお聞きすることにしている。


毎年やっていることにも関わらず、準備に丸1日かかる。毎年やっていることであれば、仕組化して準備にそこまでの労力をかけるような状態にしておくべきではないと思うのだが、その仕組化が完全にはなされていないのだ。一般企業において、顧客データの管理は何よりも大切なものであって、あって当たり前のもの。それは必要経費のうちだろう。


私立高校でもお金のある高校はデータベースの構築を外部に委託し作成することができるが、北星余市のように小さな高校ではそれがなかなか難しい。教員が一つ一つ手作業で必要に応じて仕組化する必要がでてくるのである。


今回、私は丸1日かかったわけだが(間に授業などもあったが)、以前は学校の一覧を用意し、地図を広げて位置関係を把握して、割り振る作業も必要で、もっと大変だったのだろうと思う。


ああ。できるだけ、こういうことに割く時間は少ない方が良いのに。

【感じる力】
学校見学をする子供たちの力

今日は転入試験が一件入っていた。仲間が増えることは本当にうれしい。生徒たちも同じ気持ちなのだろう。北星余市には、たくさんの人たちが学校見学に来る。なかでも途中で転校を考えたり、来年度の入学を考えて学校見学をする子供が、月に数名来る。


Photo by bp6316 is alive

学校見学に来る子供は、たいてい緊張している様子だが、うちの生徒たちはそんなことお構いなしに、見学している子供に声をかける。遠慮の知らない連中だが、その姿が愛らしい。私にとっての自慢である。「入学するの?」「どこからきたの?」「うちのクラスにおいでよ!」 おいおい、まだ受験も決まってないのに…。そんなウェルカムモードが漂っている。それがとても嬉しく思う。

学校見学に説明は大して要らない。親御さんにしてみれば、どんな学校なのか、とても気になるところだろう。まして、北星余市の一部のみがクローズアップされて、マイナスのイメージを持たれている方は不安だろうと思う。質問があれば答えるし、そういう親御さんには、できるだけ正確に「北星余市」を伝えたいとも思う。

けれど、基本的には、学校の中を見ればわかる。特に、子供達にはそれがわかるようで。北星余市に流れている雰囲気というか、空気というか、それを「感じる」のだろう。

私は学校見学の対応をするたびに、そういう子供たちの「感じる力」も嬉しく思うのである。

【新国民的歌謡曲の第1位】世界に一つだけの花/SMAPさん

今日は学園祭の代休ということで、
学校は休校。
午前中、入試の書類の整理に学校までいき
夕方に帰宅。


帰宅してから、PCの画面に向かいながら、
学校紹介DVDのことなんぞを
もじもじと調べながらいろいろと考えていた。


別に集中してやる作業でもないので、
TVをつけつつ、調べもの。
どうやら今日のミュージック・ステーションは、
秋の特番で3時間スペシャルらしい。
「新国民的歌謡曲BEST100」なんて企画。


どの曲もいい曲だなぁ、、、
なんて思いながら70位あたりから、
耳がダンボになって、意識はTV8割(苦笑)。
個人的には、ゆずさんの「栄光の懸け橋」は外せないのだが、
僕が見始めた後には、入ってなかったかな。


それで、新国民的歌謡曲の第1位は、
SMAPさんの「世界に一つだけの花」で、予想的中。
サザン・オール・スターズさんの「TSUNAMI」か、それかって感じでした。
個人的には「栄光の懸け橋」が第1位ですけど。


「世界に一つだけの花」 確かにいい歌ですよね。
花屋の店先に並んだいろんな花と人間を対比させている歌。


“この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
 バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている”
“それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる”
と歌詞が出てきて、
僕らは一人ひとり違う種を持つ世界でたった一つの花であると
歌詞が続いて行くわけです。


この競争社会において、争い、勝ち抜くことが
気がつけば生きがいになっている人や、
それに負けてしまった人。
そんな社会の中で、他人と自分を比べて、
自らの劣った部分に目がいき、気が引けてしまう人。
過剰にそういうところに陥ってしまっている人が多い
今の世情を反映しているのでしょうか。
自分の身に置き換えたときに、チクリと来る部分、
そして、勇気を与えてもらえる部分が多々あります。


しかし、僕が特にすばらしいと思っているのは
実は「個性の活かし方」のヒントが、この歌詞の中に隠されている!
と感じたからなのです。




この歌がはやりだしたころ、
一見「あなたはあなたらしく、そのままでいいんだよ」
という歌詞にも読み取れたのですが、
なんだか、それじゃ違和感を感じて。
うーん、うーん、って唸って考えていたら、
そんなことをふと歌詞から感じたわけです。


「あなたらしい」とは何か。
どういう状態のことを言うのか。
何物からも影響を受けない状態が
決してあなたらしいということではないわけでして。
そして「そのままでいい」っていっても、
未熟なままの自分をそのままでいいなんて思えませんし、
他人に対しても、より良い方向に成長してほしいという思いがあるので、
その言葉もなんだか違う気がするんです。




うーんうーん、唸りながら、頭の中に浮かんできたのは、
僕という人間は、生まれてからたくさんの人(花)に出会って、
その人(花)からいろいろと教えてもらったこともあるし、
自分が勝手に、その人(花)に触発されて
影響を受けたこともあるしなぁ…
ということ。


そして、その人(花)の影響を受けて、
真黒に染まった時期もあったけど、
また別の人(花)の影響を受けて、
やっと今の花を咲かせている自分がいるんだなぁ…
ということ。


いろんな人(花)がいるバケツの中に
自ら入ってみて、
こんな人(花)があるんだ、
あんな人(花)があるんだ、
って気がついた。
バケツに入る前は、
雑草にしか見えない人(花)だったけれど、
色とりどりの人(花)の中に入ったら、
とても素敵に栄える人(花)もあるんだ。
と感じることは、身の回りによくあるなぁ…
ということ。


あの人(花)は、可憐なバラのようだ。
今の自分にはそんな可憐さを出すことはできないけど、
いつかそうなってみたいって思うことだってありだし、
じゃ、今の自分は可憐さを出すことはできないけれど、
その可憐なバラを引き立てることならできる。
もしくは、可憐な中にスズランのようなかわいらしさをだせるでもいい。
僕はそうやって生きているな…
ということです。




そうやって、比べる(優劣をつけるという意味で)必要もないし、
競う必要もないし、したがって焦る必要もない。


僕は、今、一生懸命生きている中で、
自分という人間に誇りを持ちつつ、
さまざまな人(花)の中にいることで、
自分はどういう人(花)なのかを知り、
どうやって自分という花を活かしていけばいいのか、
そして、今後、どのような人(花)になりたいのかを考えて生きていて、
それとすごくオーバーラップして、
それって、個性を育てるということなんじゃないのか、
この「世界に一つだけの花」というのは、
そういうことなのか!
とこの詞から感じたときに、
僕はこの歌の味を覚えたわけです。




“頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね”
“そうさ僕らは 世界にひとつだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい”

【Tsunagaruプロジェクト】写真家・佑木瞬さん、北星余市に再び降り立つ

実は今年からTsunagaruプロジェクトなるものを、勝手に!入試委員会で考えていて。北星余市とはどういう学校なのか。それを世の中の人に知ってもらいたい。そういうことで始めている。




Photo by Mr. T in DC

今年度版のパンフレットを作るにあたって、いつもパンフレットの構成から、写真選びから、文案まで、何から何までお世話になっているブリュー・松本氏からご紹介いただいて、写真家・佑木瞬さんに出会いました。詳細は佑木瞬さんのブログをご覧ください。


僕は写真のことはよくわかりませんが、なんていうのか、写真に映るそれぞれの被写体のそれぞれの輪郭に、その写真の味というのがぎっしり詰まっているのではないかとそのように感じていて。なんていうのかな、開きホッケの脇の部分が一番おいしいのと似ている感じもするけど、、、、ちょっと違いますかね。


そこに写真家さんの「念」が込められている。そこに存在する被写体が、レンズを通じて一枚の画像として生き続ける。その瞬間の大切なものがそこに詰まっていて、非常に味を決めていると思うわけです。


佑木さんの写真は、飾らない飾りがある。写真はいろんな味があって良いわけだし、証明写真もスナップ写真も雑誌に載るような写真もそれぞれに味があって好き。佑木さんの写真は、飾りがある。けれど、飾らないリアルなその瞬間が映し出されている感じがする。


北星祭の準備期間である18日(金)から来道されて、今年の北星祭の数々の瞬間を魔法の箱に収めてくださっていました。


写真、楽しみにしていますね。それより、冬に会えることを、もっと、楽しみにしていますけど。

【旅行という名の研修】洞爺湖の夜は3:00まで

昨日、一泊二日の旅行に先生方と。
毎年、学園祭明けのこの時期に一泊二日で
我々教員は旅行に出かけます。
希望者のみですけどね。


特に用事がない限り、
みんな積極的に参加するのがよい。
こういう旅行を通じて、
教師集団としての団結もまた深まります。


僕は昨夜3:00まで、学校の将来について議論をしていました。
我々の教育がどうあるべきなのか、
我々がどのようなことを意識して教育を進めていくべきなのか。
そんなことを話していたら、3:00でした。


食事のときには、北星祭のプレ総括が。
教員会議で総括は行われますが、
どうしても待ちきれない。
あのクラスのこういう取り組みは良かったとか、
合唱の時に伴奏がついていないのはいいのかとか、
合唱の時に何をもって評価するのかとか。


ここ数年で退職された先生方も数名参加されて、
こういう場があることの大切さを感じた1泊2日の旅行でした。

【心、温まる瞬間】後片付けの一日の終わりに

今日は学園祭後片付けの日。
生徒たちは午前中かけて、
備品の移動や装飾の撤収作業をしていました。


3日間の準備期間を使って、
コツコツと作り上げたものも、
片付けるとなると一瞬。
ひとつの物を作り上げるということ、
それも30人という人間が集まって、
それぞれの思いを一つの形にしていくということが
いかに大変なことで、
それを達成するという経験を味わうことが
いかに貴重な経験か。
高校生活で、その貴重な体験をすることは、
人間の成長の上で、とても大切なこと。
そんなことを考えさせられました。


後片付け後、いつも修学旅行等でお世話になっている
JTB小樽支店の方と打ち合わせ。
入試委員会では、
学校見学を希望される方のために、
何かできることはないかと模索中です。
近々、形にできるかな。


夕方、個人的に余市町内にある
コミュニティ・レストラン&BBの「余市テラス」さんに
お邪魔しました。
いつも、北星余市を陰ながら応援してくださっているマスター。
おいしいコーヒーと北星余市を思う情熱で、
喉と心を潤しました。


たくさんの人に支えられている。
心が温かくなります。

【貴重な場所を残したい】北星余市最大イベント、北星祭

今日は北星余市高校、学校祭2日目。
入試委員会としては、
学校見学会を催して、
学校の雰囲気を「感じて」もらう、
そんな企画を用意しました。


札幌にあります社会福祉法人麦の子会から、
20名弱の大人数で参加くださり、
また、はがきやポスターをご覧になって
参加くださった方を含めて、
総勢43名の方が参加してくださいました。
ありがとうございました。


今回の見学会は「感じて」もらうことが目的。
パンフレットやDVDでは味わうことのできない、
目や耳や鼻や、、、五感で、
北星余市を感じていただきたいと
企画した見学会。
楽しんでいただけたら、
僕らにとってもなによりの幸せです。




北星祭2日目は、閉会式があります。
全国からお手伝いに来たPTAが
ステージで素敵なハーモニーを奏で、
クラスごとの合唱コンクールや、
模擬店を中心としたクラス企画の結果発表に、
喜びの歓声を上げる生徒たち。
とても輝いていました。


そして、北星祭は、
春から精一杯、
全校生徒を引っ張ってきた生徒会執行部の
最後の行事でもあります。
閉会式の最後、
ステージで生徒会執行部のメンバーからの
コメントがあります。


入学した時のその子の様子を振り返り、
1年生の時、2年生の時の姿が思い起こされ、
よく、ここまで成長したものだと、
それだけ、その子たちが、
自分と向き合い、ひとと向き合い
さまざまな葛藤を乗り越えて、
成長してきたのだと、
その先の見えない一歩一歩を
着実に進んできた姿を振り返り、
自然と目の前がかすんでしまいました。


そして、仲間のなんと温かいこと。
ひとりひとりの挨拶が終わるたびに、
受け取る側が抱えきれないほどの花束と
温かい声が。


そこには、まさに、
みんなが主役の学校生活が見えました。


入試委員長として。
こういう学校を残さなければならない。
再び、熱い思いにさせてもらった一日でした。


みんな、よかったな。
かっこよかった。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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