Archive for 1月 2011

子どもの個性はどのように育つか 「証言・良心の自由を求める /大田 堯 (著)」より



四.子どもの個性はどのように育つか

問 文部科学省は文部省時代から、個性重視の教育というようなものをうたい文句にしているわけでありますけれども、いま、先生が申されたことを前提にしながら、子どもの個性というものは、どういうふうにして育つものなのでしょうか。

答 三つぐらいの要因を述べたいと思います。

問 それでは一つ一つ分けてお伺いします。第一の要因はどういうことでございますか。

答 まず、あらゆる生命体は、個体は全部違うということです。一本一本違う、一匹一匹違う、一人ひとり違う。これは遺伝子を乗せたDNAの構成が違うのですからみんな違っている、それが個性のもとになっているわけですね。同時に、子どもたちはどこに生まれるかということ----環境を選ぶことができません。したがいまして、貧しい国に生まれるか豊かな国に生まれるか、どういう家庭に生まれるかも選ぶことができないわけです。こういう生理学的な意味、生物学的な意味における----DNAを中心にした与えられたものと、それから個別の環境の中で生まれ出る場所を与えられたということ、それが違うのですからみんな違う、というところが非常に大事な観点でして、そこをもとにして個性というものは発展をしてくる、そこが根っこである。この確認が、個性の場合には第一に必要です。

問 個性にかかわる、第二の要因はどういうものでしょうか。

答 先ほど自己創出力----自ら変わる力ということを申し上げましたが、人間は意識的に、糸を持って自らを選んで変えていくという能力を持っているということであります。与えられたものは非常に固定的な財産でありますけれども、今度は自ら選んで変わるということが人間の特性でありますので、その選ぶ選びようによりましては、貧しい家に生まれましても、その貧しい環境というものが、むしろ後には独自のよい経験になって、その人の個性というものを強めていくということもあり得るわけです。そういうふうに、与えられた初めから違っている与件も、後で選ぶ選び方によって違っていくわけです。その選び方という者について援助をするというのも教育の重要な役目だと思うのでして、そこのところで、自ら選びながら変わっていくという、その個性形成の姿を考える必要があると思うのです。その場合に、選んで変わるわけですから、「この子はこういう子なのだ」というふうに決める、現在までの到達点で決めてかかるというのは適当ではありません。その子がどう変わっていくかは、その後の選択によってまったく不可知、知ることができないものですから。したがってわれわれは、他者と交わるときに、その人はどう変わるか分からないという可能性を頭に置いたうえで交わっていく、ということが市民社会の中での人間の交わり方だと、こういうふうに思っていますが、その自ら選ぶ力というもの、これが個性を形成する人間にとっての重要な要因です。

中略

問 個性にかかわる、第三の要因はどういうものでしょうか。

答 いままで述べましたのは、一人の個体というものがみな違うということ、次に違いながらしかも違った選び方によって生きていくということを申し上げたのですね。しかしながら、その個体だけが成長するわけではありません。その個体生命というものは、必ず他者とのかかわりの中で成長するのです。ですから、かかわりの中で個性というものが初めて創られてくる。思わざる著書を読むことによって人生の方向が変わるとか、思わざる人との出会いによって選び方が変わるとか、優れた教師によってそれが励まされるとか、そういうことが起こり得るわけです。かかわり方の中で個性というものは、こういうふうに成立していくことになる。ですから、画一的に、子どもたちを同じように教育するとか支配するということはいけません。そうではなくて、その子その子の違いというものと、その子その子の可能性というものを考え、そして付き合っていくのが教育という仕事なのであります。かかわりの中で個性が成立するということを重視しているわけですね。

21p-24p

(証言・良心の自由を求める―国歌斉唱義務不存在確認訴訟・法廷 / 大田 堯 (著) )


2010年12月上旬、関東の教育関係者の方々との出会いを求めて旅をしていた中で、お会いした野々垣務先生から頂いた本。「私の師匠の本だが…」と、いきなりのぶしつけなお電話で面会を依頼した私に持参してくださっていた。恐縮です。



証言・良心の自由を求める―国歌斉唱義務不存在確認訴訟・法廷/大田 堯

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「内田樹の研究室 コピペはダメだよ、について」より


出典についてはきちんと書誌情報を明記し、「贈り物をありがとう」と記載せよと私がうるさく言うのは、そのような気遣いをしたものは必ず読者への「贈り物」になるようなものを書こうと願うからである。
自分の作物ができるだけ長く読み継がれ、できるだけ多くの読者を得ることを願うようになるからである。
その願いが論文のクオリティを押し上げる。
アカデミアの目的は、学生たちに自分の知的なポテンシャルに気づかせ、それを高め、活性化する方途を発見させることである。
そのためには何を措いても「贈与されたものを次の受け取り手にパスする」というふるまいを会得してもらわねばならない。

http://blog.tatsuru.com/2011/01/09_1554.php

(「内田樹の研究室 コピペはダメだよ、について」より)

「贈与されたものを次の受け取り手にパス」させていただきます。

COSMO EarthZine 全国で百万人とも言われている引きこもり対策視察


ビバハウスの存在目的は若者たちの「自分づくり」ですし、スタッフのの仕事はその「きっかけづくり」と言えるでしょう。
自立への道は集団生活の中でこそつかみ取ることができる。だから、同じ苦しみを持つ仲間がお互いに語り合い、理解し合う中で、学び合い、刺激し合い、育ち合う営みが大切だ、と安達夫妻は言います。
個人の自立は一般に彼を取り巻く集団の力量と深く関係しています。「自分のことで精一杯、他人のことは見えない」集団には教育力も問題解決能力も期待できません。それが「共に苦しみを分かち合い、共に一歩前進しようと意欲する」集団に育てば、互いに育ち合える、個々人が相互に自立を促し合える、ということのようです。自由討論・相互批判のロングホームルームの時間は、そのために極めて有効に活用されています。

(COSMO EarthZine 2009 Vol.8 全国で百万人とも言われている引きこもり対策視察 若者の自律を目指す、ビバハウス 取材・文:余市惠泉塾・塾頭 水谷惠信)


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青少年自立支援センタービバ、Viva通信。


親しくさせていただいている余市町にある青少年自立支援センタービバさんでは、厚生労働省の緊急人材育成・就職支援基金事業を行っております。

その様子が書かれたニュースレターが届きました。私の第1期生として卒業生も参加しており、先日行われたビバハウス10周年記念のイベントで会って、とてもうれしい変化を遂げておりました。ふむ。

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山梨県・ぶどうの会さんからニュースレターが届きました。


昨日から始業式。3学期の開始です。生徒たちも元気に戻ってきていて、なんだか気持が明るくなります。

昨日、出勤したら年末に訪問させていただいた(参照:今日は山梨県と千葉県を訪問。親たちの会「ぶどうの会」や「ひだまり」さんなどを訪れました。)ぶどうの会さんから丁寧なお手紙とニュースレターが。

上記記事でも書きましたが、とても素敵な場所と素敵なご夫婦が中心となって開かれている親の会。見ず知らずの訪問の私たちにも、とてもよくしていただきました。山梨近辺で不登校で悩まれている親御さんがいらっしゃったら、ぜひ一度連絡とってみてはいかがかな、、、なんて差し出がましくおもっています。

問合せ先:ぶどうの会、鈴木正洋/鈴木はつみ
     〒405-0061 笛吹市一宮町石字京戸2359-102
     電話0553-44-5078


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同会で今月末に開催されるイベントを、山梨・ぶどうの会 不登校の子どもをもつ親たちの交流のつどいにて紹介しておりますので、もしよろしければ。

帯広・はるにれの会からニュースレター。


年が明けて、各団体からニュースレターが届いています。みなさん、健康の年を明けられ、新年に向けて前向きに取り組まれている様子。私も元気が出ます。

はるにれの会さんでは、2010年度に札幌キワニスクラブさんから青少年教育賞をいただいたとのこと。おめでとうございました。札幌キワニスクラブとは、世界の子供たちのための国際奉仕団体(ホームページはこちら:札幌キワニスクラブ)。

1月2月と各種例会等開催されます。帯広地区で興味のある方はぜひ。


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隠された真実 冤罪と司法のあり方を問う


川口創弁護士のブログにて。緊急企画だそうで。
興味のある方は、どうぞ。

詳細はこちらのページへ:http://kahajime.exblog.jp/13999364/

以下、記事抜粋。


緊急企画です。
時間が迫っていますが内容の濃い企画です。
是非ご参加下さい。
周りに広げていただくと助かります。

■ 隠された真実 冤罪と司法のあり方を問う
■ とき: 1月22日(土) 13時30分~  
■ 資料代 500円
■ ところ: 名古屋第一法律事務所3F 地下鉄丸の内エレベーターで地上へ徒歩3秒。
   丸の内2-18-22 三博ビル
■ 講師: 柳原三佳さん 交通ジャーナリスト
■ 講師: 稲垣仁史弁護士 名張毒ぶどう酒事件弁護団  名古屋第一事務所

■ 主催: 弁護士  川口 創 (ときどき勉強会)

■ 問合せ連絡先:  名古屋第一法律事務所  電話 052-211-2236
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山梨・ぶどうの会 不登校の子どもをもつ親たちの交流のつどい


日時:2011年1月29日(土)13:30~17:00
会場:京戸山荘パステル ぶどうの会事務局
参加費:500円(一般は800円) 資料代等含む
問合せ先:ぶどうの会、鈴木正洋/鈴木はつみ
     〒405-0061 笛吹市一宮町石字京戸2359-102
     電話0553-44-5078

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その後、18:00から「おやじの会」が開催されます。
参加費は別途500円です。

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即戦力をめぐる企業と大学の“共犯”関係 日経ビジネスオンライン


「キャリア教育を充実させようってところまでは良かったんです。今じゃ、完全に就職予備校。いや、下請けっていってもいいかもしれない。企業が求める人材を教育する場に大学がなってるんですよ。大学も生き残りをかけてるから、就職に強い大学にすることが使命になってきました」

「この先も新卒の雇用が増える気配はありません。その一方で、企業が学生に求める資質は急激に高まっている。で、その資質っていうのが即戦力だと。おかしな話です。学力が低いって散々言っていたと思ったら、今度は人間力を高めて即戦力になる人材が欲しいと。企業も勝手だし、それに右往左往している大学も大学ですよ」

こう嘆くのは知人の大学教授である。

経営危機におびえる大学と、厳選採用を豪語し、なぜか強気な企業サイド。

報道によれば、文部科学省が昨年11月に経済同友会などの企業側と大学側が参加する懇話会を設置した際にも、企業側から「大学教育の中で、即戦力となる人材を育ててほしい」との要望が出されていたという。

即戦力って何なのだ? 中途採用でもあるまいし、新人で即戦力などあり得るのだろうか?

そもそも、いったいいつから人材を育てるのが大学の役目になってしまったのか? これじゃ企業は、子供のしつけをすべて学校に委ねるモンスターペアレンツと同じじゃないか?

「やっと専門分野の学問を習得できる3年生になった途端、就職することしか考えず、学問をしようという熱意など全くない学生に、授業をするのは苦痛だ」

前出の教授の話では、こうこぼす同僚の先生も多いらしい。

というわけで、今回は、大学と企業の不条理な関係性について、考えてみようと思う。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110111/217888/?P=2

NASAより宇宙に近い町工場/植松 努 (著)



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僕は小さい時から工夫をするのが大好きでした。だから、この世の中の人はみんな、工夫をするのが好きなんだろうと思っていました。ところが、会社を始めて、そして、生まれて初めて人を雇うことになったとき、履歴書を持ってうちにやってくる人たちの大半が、そうではなかったんです。興味を持ってない人、やる前にあきらめてしまう人、そして、自分で考えることを嫌がる人たちでした。
この人たちのキーワードは、
「いやあ、自分なんて」という「謙遜」と
「どうせ、無理ですよ」という「評論」でした。
34p-35p

「消費者迎合」を「顧客満足」と勘違いしている企業がたくさんあります。でも、これは顧客満足ではありません。顧客満足というものは、お客さんを「いやあ、すごいな」とうならせることにあります。お客さんをさらに成長させることにあります。お客さんをチヤホヤすることは、お客さんの能力を低下させます。
36p

では、この〇から一を生み出す仕事をするためにはどんな人たちが必要なのかというと、頭がいい人でも高学歴の人でもありません。「やったことのないことをやりたがる人」です。「あきらめない人」です。「工夫をする人」です。43p

しかし、物事には限度というものがあるそうです。僕の子どもの頃の行動を、いろんな学校の先生や教育関係の人たちに聞くと、「ああ、それは学習障害ですね」と簡単に言われてしまいます。当時こういうカテゴリーがなくてよかったな、と思います。
悲しいことに、今は「普通」じゃないと、「異常」だとレッテルを貼られて排除されてしまいます。でも、いったい、「普通」って何なのでしょうか。
うちの会社に、学習障害の施設の子どもたちが見学にやってきてくれました。どんな子が来るのか、来るまではちょっと不安だったんですが、その子どもたちは、今までに来たどんな学校の子どもたちよりも多くの質問をしました。多くに興味を持ちました。「やってみたい人、集まって」と言うと、全員が殺到します。
そして、とても優しい子どもたちでした。ちょっとそそっかしかったんですが、そんなものはなんとかなるものです。
彼らは帰りのバスの中から、バスが小さくなってもなお、手を振り続けてくれました。うちの会社の人たちも負けじとそのバスに向かって手を振り続けました。バスが 見えなくなるころに、うちの会社の人たちが泣き出してしまいました。
「あの子らが異常だと言われるなら、俺たちも絶対に異常だよね」と言うのです。
「あの子たちがどうして閉じ込められなきゃいけないんだろう。閉じ込めることによって、親がどんなに悲しい想いをしてるか分かるんだろうか。他の子にものを教えるときに邪魔になるからといって排除しているだけなんじゃないだろうか」そして、「本当にくやしい」と言って泣いているのです。僕も本当にその通りだと思っています。
64p-67p

僕たちが「普通」をつくりだしているわけです。僕たちは周りの人から影響を受け、そして周りの人に影響を与えています。普通というもののレベルは、いくらでも変えることが可能です。自分が子どもたちにどんな人になってほしいかを考え、それを助けるような「普通」というものをつくりだす必要があるのではないでしょうか。
僕たちが子どもに求めるものが、「おとなしくて聞き分けのいいこと」だとしたら、今のままでいいですね。子どもたちが黙っていて、前へ出ようとしないのがいいのでしょう。そうすれば、今のままの社会が続きます。でも、きっとそれはあまりいいことではないような気がします。
69p

(NASAより宇宙に近い町工場/植松 努 (著) )


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教養とはなにか


橋本先生の3年間の『銀の匙』の授業について、いま、何を思われますか?
「改めて、素晴らしい授業だったんだなぁと思いますね。『銀の匙』で橋本先生がやってくださったのは、僕らが、例えば大学で原書講読をやる時のやり方と似ています。当時はもちろん気づきませんでしたが、改めて振り返ってそう思いました。ゆっくりとしたペースで、言葉や文章表現を丁寧に読み解いていきますよね。筋として何を言っているかということばかりじゃなく、ある一つの言葉にこだわることで、その背後に大きく広がっている概念や感覚や考え方と、つながってくるわけですよね。原書講読のスタイルを橋本先生は中学の授業でやってくれていたんだなあということを痛感しました。うまく鍛えていただいたなあ、と」
なるほど。そうした橋本流の読書法を我々は『スロウ・リーディング』と呼んでいるのですが。
「確かに、今は、速読をして大体の内容をつかめばいい、というような読み方も多いですね。まあ、それも必要なんですが…。よく『情報化時代』ってことが言われて、いろんな情報を知っていることが知識だというふうに、つい思っちゃうところがあります。だけど、そうじゃなくて、この『銀の匙』の言葉一つひとつ、これも確かに情報なんだけれども、その情報を知識に変えるというのは、その言葉が、社会の現実の中でどのような位置にあるのか、どう絡んでいるのか、それが例えば歴史的にどういう背景を、あるいは意味を持っているのか、そういう全体的な構造の中で情報をじっくり捉えていく。で、そこではじめて知識になってくると思うんですよね。断片的にいろんなことを、ただ知っているというだけじゃなくてね」
(奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち / 伊藤 氏貴 (著) )

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「教養」というのは、「生」の知識や情報のことではない。そうではなくて、知識や情報を整除したり、統御したり、操作したりする「仕方」のことである。
絵画的な比喩を使って言えば、「教養」とは、「古今東西すべての知識」を網羅した巨大な図書館があった場合(ヘーゲル=ボルヘス的な幻影だ)、自分の持っている知識や情報が、その巨大な図書館の、どの棟の、どの階の、どの書棚にどんな分類項目名をつけられて、どんな本と並んで置いてあるのかを想像することのできる能力のことである。
この「宇宙論的な図書館」の蔵書数と比べると、自分がそこに寄贈しうる書籍は多寡が知れている。けれども、自分の書籍が「どこに何冊配架されているか」を正確に把握できる人間は、その図書館の全蔵書を使いこなす潜在的な能力を持っているということができる。
私が「これから読む本」とは、「まだ読んだことがない本」のことである。図書館の利用のノウハウとは、ただ一つ「私がまだ読んだことがない本について、それがどこにあるのか、何の役に立つのかを知っている」ということである。
私はさきほど「教養」とは「知識についての知識」だと書いたけれど、この図書館の比喩を踏まえて、もっと正確にいえば、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことなのである。
(街場の現代思想 (文春文庫) /内田 樹 (著) 13p-14p)

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教養は情報ではない。
教養とはかたちのある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力である。
雑学は「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。教養とは「まだ知らないこと」へフライングする能力のことである。
(知に働けば蔵が建つ (文春文庫)/内田 樹 (著) 11p)

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第93回教師研修会


社会とコミュニティは違う。
社会…知らない人と関わる。そこで集団としてまとまって生きていく。
コミュニティ(共同体)…知っている人とうまくやっていく能力。村社会。

社会性の発達
1.直接他者の認識
2.直接的自己の認識
3.関係性の認識…小学校3年生ころにクリアすべき課題。
4.抽象性の認識←これがないと描くことが出来ない。

不登校を歴史的にみると、いろいろな呼び方があった。
不登校は子どもたちの自発的な拒否反応だという説がかなり世の中をにぎわした。
学校というのは抑圧された組織なんだという認識。
そういう、何かに対して抑圧されているという恨みから出発しているのはだめだなと思う。
ルサンチマンはスマートじゃない気がする。
勉強という点(大学に入学する)という点では、学校に行かなくてもよいだろう。
しかし、近代社会に入って、近代教育において生まれた学校というのはどのような装置なのかを考えた時、それは社会で生きていくために必要な力を育む場所と大きくとらえることが出来る。農山村だけで生きていく世界ではない。

通信制高校では、社会性の発達というところまでの道筋が描けない。
うまくいかないはずの関わりのない人とのつながりを持つ力を育むことが出来ない。

第1人称の表現は関係性の認識の表れ。僕、私、俺、わたくし、わしなど。


福岡県立大学 附属研究所長
看護学部教授 松浦賢長先生

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち [単行本] 伊藤 氏貴 (著)



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読了。マニュアル本じゃないです。

「一緒に『銀の匙』を読んだ生徒がねえ、還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている。それが何より嬉しい。それを知ることができて、ほんとうによかったですわ。『結果』が出て、よかった」
大学受験の成果など、エチ先生の求めた「結果」ではなかった。
(奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち / 伊藤 氏貴 (著)  209p-210p)

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち/伊藤 氏貴

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【イベント情報】不登校を考える~周囲のかかわりと支援~


平成22年度不登校対策講演会
不登校を考える~周囲のかかわりと支援~
日時:平成23年2月28日14:00~16:00
会場:日立市教育プラザ2階ギャラリーA
内容:演題「不登校支援におけるみんなちがってみんないいを考える」
   講師 小野村哲先生
      NPO法人リヴォルヴ学校教育研究所 理事長
      同 ライズ学園 学園長
参加対象:不登校問題に関心のある保護者、教職員および市民
参加申し込み:参加希望の場合は、書き連絡先まで平成23年2月22日(火)までに電話で申し込み
※参加費は不要

日立市教育研究所 電話23-9112

詳細:http://www.city.hitachi.ibaraki.jp/viewer/info.html?id=3957

うつ病。


hideさんのブログ、NHKのうつ特集を拝読。

日本でなぜこれほどまでにうつ病患者が増えたのか?
なぜこれだけ抗うつ剤の市場が急拡大したのか(1998年までは年間150億円程度だった生産量は、今や700億円超となっている)?


その大きな影響を与えているのが、NHKの放送である。24日も総合テレビでうつ特集を放送するなど、うつ啓発キャンペーンに相当な力を注いでいる。これら一連の放送を見て、精神科に足を運んだ人は多いと思う。
(以上ブログ抜粋)

教育現場にもこの手の精神疾患を抱えている者が増えている。はて、さて、どうしたものか。
病院の先生はうそつきなんじゃない。病院の先生はちゃんと仕事をしてくださっている。患者の様子を観て、話を聞いて、状態を把握する。それを「症状」と呼ぶ。

眠れない、これを不眠の症状、不眠症という。
なにかその人間関係の中に入っていきにくい、これを適応に障害があるということで、適応障害という。

病院の先生はいたってあたりまえのことをしている。
そして、その症状を改善するための方法を考える。

眠れない→眠れるようにする
適応できない→適応できるようにする

そのための手段なのだと思う。薬は。

教育と医療とでは、そこらへんの考え方が違う。
なんでもかんでも、、、というのは成長を妨げる。

BRUTUS 2011 1/1・15合併号 日本語と英語 斎藤孝


僕は漱石の『坊っちゃん』を、1日6時間かけて、全文音読で読破するという教室を小学生相手に開いています。音読すると、漱石が体の中に入ってくるんですよ。感想を聞くと、「はなはだ」面白かったとか、「すこぶる」良かったという。スッとそんな言葉が出るほどに、体の中に入るんですね。

英知を求める意欲がある人が、世界の共通言語である英語に力を注ぐあまり、読む本も、話す言葉もすべて英語になったとしましょう。果ては考えることすら日本語を使わず、頭の中では英語で思考するようになる。こうなったら、それは日本的な思考様式を持った日本人とは違ってくるんです。
外国人同士から生まれた子供であっても、日本で育ち日本語を母語としていたなら、感覚もしゃべり方もなにもかも日本的なんですね。曖昧で緩い言葉に、YES/NOをはっきり言えない感じとか、その強さや弱さ。すべて含めて日本人という。もっと言えば、私たちが何かを見て美しいと思う感性もまた、日本語によって継承されているんですね。
俳句や短歌というものは大切なんですよ。そういうものを覚えていると、セミの声を聞いたときや、桜の花を見たときに、先人たちの感性が詩句を通じて蘇ってくる。こうして感性が継承されていくんですね。いわゆる情緒です。情緒が継承されていくのは日本語を通してであって、私たちが「日本の心」と思っているものの多くは日本語に拠っているんです。桜を見て、月を見て先人は何を想ったのか。とりわけ優れた人が書いた日本語には、情緒、価値観、倫理観、すべてが入っているものなのです。

(BRUTUS 2011 1/1・15合併号 日本語と英語 共存共栄を実現する方策はどこに。 斎藤孝 30p-31p)



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BRUTUS 2011 1/1・15合併号 正義と個人 いとうせいこう×萱野稔人



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萱野:もう一つ大きなポイントとして、これはサンデルの政治哲学史上での新しさでもあったわけですが、彼は「人間にとって社会的承認がすごく大事なんだ」ということを言っています。この本の最後の章でも「結婚がどこまで社会的に認められるべきか」という話をしていますよね。人間の人生もまた有限なわけですが、人は誰でも、何らかの形で自分の人生に価値があったということを確認したい。自分が死んでゼロになってしまうなら、自分がなぜ生まれてきたのか?その意義を考えるわけですよね。しかしその時に、人間は社会的な形でしか語ることができないんですよ。「人の役に立っている」とか「ある分野で活躍している」とか、他者との関係の中でしか自分の存在意義を確認することができない。それが「承認」ということです。その承認という者が必要な限り、人はある社会やky行動隊に帰属することを捨てられない。それが正義の問題に深く関わっている、とサンデルは言っているわけです。
いとう:少し前に「自分探し」という言葉が流行したけど、自分で自分を探すなんてのは愚かですよね。自分の中を掘っても掘っても絶対自分はわからないし、まして社会的承認は永遠に得られない。それが今やっと、「自分以外の他者が必要なんだ」と多くの人が気づいたというか。20年もの間、他者と関わらなくても生きていけると勝手に思い込んでいたんだね。

(BRUTUS 2011 1/1・15合併号 正義と個人 有限なものはどう分配すべきか? いとうせいこう×萱野稔人 17p-18p)



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病院でもなく、また学校でもなく・安達俊子 安達尚男


特にここ数年の特徴は、ますますひきこもり期間も10年ー15年のような長期にわたる者が多くなり、必然的に年齢も高くなり、現在のビバハウスの最高年齢者は43・42歳と並んでいる。(国のニート対策の柱であるはずの若者自律塾も、入塾に年齢制限があり発足当初は35歳まで、さすがにこれは実態に合わないということで、2年前からは40歳までに引き上げられはしたが、彼らは依然対象外にされている。)これらの大半のケースが、親子間の確執によるものであり、多くの場合、若者たちの苦しみを理解できないと彼らが一方的に思い込んでいる両親、特に母親に対する暴力が付きまとっている。診断的には、必ずしも本当の精神病患者ではないが、家庭内暴力の為過程で家族とは暮らせない、社会的入院のような状態で行き先のない若者の為の、病院でもなく、また単なる勉強を教えるためだけの学校でもない、ある種の“転地療養”の場としてのビバハウスのような教育的訓練の出来る存在が、どんな施設よりもいま必要とされているようにも思われる。

これらの幼少期に現在ではたぶん「特別支援教育」の対象であったと思われる何らかの広汎性発達障害的要因を持った若者にとって現在何よりも大切なことは、再び若者の集団の中で「育ちなおし」を体験させることである。ともに同じような痛みや、苦しい過去を背負いながら、それでも必死に自立を目指す仲間の中でこそ、彼らは自らの新しい可能性を発揮することができるのだ。若者たち相互の成長を保証しえる日々の集団作りこそ、私たちが共に北星余市高校の教師として身につけた生徒指導、ホームルーム作りの真価が問われるところだと思っている。

(EarthZine 2009 Vol.9 「病院でもなく、また学校でもなく ~「青少年自立支援センタービバハウス」10年目の感慨~ 安達俊子 安達尚男)

「子ども子育て新システム」で「保育」が破壊される?


「子ども子育て新システム」で「保育」が破壊される?

今、政府内で法案化が進められている「子ども子育て新システム」。この6月に概要が示され、早速来年1月の通常国会に法案が出されることが決まっています。待機児童をなくすため、というのが法案の出される建前とされています。でも、この「新システム」の中身はとっても大変!「保育」そのものがなくなってしまいます。

(「道は近きにあり」弁護士・川口創 ニュースレターより)


下記、ブログも参考になります。

川口さんのブログ:http://kahajime.exblog.jp/i3/

Profile

北星学園余市高等学校で教員をしています。
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