Archive for 2011

明日、北星学園余市高等学校の学校祭にお越しになる方へ。

これは、つい先ほど、12:30頃に学校を出る前に撮影した45期3年C組のクラス企画の内装の様子。


ごらんのとおり、完成していない。しかし、明日が本番。3年生には、たまにある現象。

「え?3年生で期限までに完成されないの?それってどうなの?」
とも思える。担任の力量の問題?クラスに団結力がないから?生徒が一生懸命やっていないんでしょ?

いやいや。


このクラスの内装、近くで見てみると、段ボールを1枚1枚タイル状にきって、それを壁に貼り付けている。これがどういうことなのか。

現在、各クラスの人数は27名ほど。この中で、クラス企画は内装班3分の2、調理班3分の1くらいにわかれての作業となる。クラスによって違うけど、だいたいそんな感じ。そのなかで、色々な才能が開花する。普段からデザインセンスがいい子がいる。絵を描くのが好きな子がいる。クラスの連中は普段の生活の中で、何気なくそういうのを感じていて、こういうときに、スポットライトを浴びせる。いや、実際は、その子しかできないから頼っているだけなんだけど。

デザインをするのが得意だからといって、仕切る力まであるとは限らない。そういうことの得意な子っているわけで、デザインをした子の意図をくんでみんなに伝える。そこから、内装をどのようにするかの議論がスタート。「こっちのほうがいい」「こんなのできるわけない」「いや、これがいい」うんぬん、ぶつぶつ。

だいたい、大量の段ボールに色を塗って、それをタイル状にカットして、壁一面に貼り付けるなんて、なんて非効率なことなんだろうと思う。一枚一枚のタイル状の段ボールにテープかノリか、いずれにしても付けて貼っているわけです。びーーーーーっと、大きな段ボールに、だーーーーーっと色を塗って、ボーン!と貼り付ければ、楽で手間もかからず、人手も少なくて済む。時間も短くて済む。

けど、この非効率からしか生まれないものもあるわけで。大切なことは「形を作ること」ではないのである。

各々、段ボールをお店からいただいてきて、塗料を買ってきて、ひたすら塗る。ひたすら切る。いつ、終わりを迎えるともしれない作業を黙々と続ける。ふと、横を見ると、サボっているやつがいる。ああ、鼻につく。けど、不満を持ちつつ、黙々とやる。それぞれが、それぞれ、だいたいそんなことを想っている。そのうち、そういうサボっている子に限って、文句をつけてきたり、茶化したりする。あああ、これには耐えられないと、そこで喧嘩も起こる。

さぁ、クラスの雰囲気が悪くなる。けど、学校祭だ、クラス企画を成功させたい。そういう思いでがんばっているのに、こんなことで投げ出したくないから、率直にいう。向き合う。そうじゃなく、担任にいってくるときもある。そういうときは、朝のホームルームでしかけることもある。3年生ともなると、サボっているやつは、べつに悪気があるわけではない。ただ、自分の行動が見えていなかっただけなことが多い。いや、自分は、ちょっと特別だと思っていたのかもしれない。そうして、みんなで取り組んでいく。

時間がない。ああ、切羽詰まってきた。このままだと、当日までに間に合わない。「どうする?」「これは、朝早く来てやらなかったら間に合わないでしょ」「そうだね、やるしかないね!」とそういう雰囲気で固まりつつある所に、「明日何時?」「え、7時集合にしようって話してたんだけど」「えー?はやっ、めんどくさーい」ということを悪気なく言う子もでてくる。ちょっと、カチンとくる瞬間でもある。「でも、間に合わないからさ、がんばろ?」と声を掛け合う。いや、そこでまた、勃発することもある。

色々な人が、色々な交わりの中、それぞれの感情を抱きながら、そんな中で力を合わせての、クラス企画なのである。

この間、担任は裏方に徹する。必要最低限のことしか手や口をださない。

このクラスがそういう状態だったかどうかはわからない。けれど、それが目に浮かぶ。あああ、なんてリアルな人間関係なんだろうと思う。

きっと、そういうことを経ての、現状なのだと思う。

このクラスの今のような「やばい!時間がない!完成するか分からない!」これも、また一つの仕組まれたイベントである。このときに、焦る子、適当に済まそうとする子、最後まであきらめずクオリティを追求し続けようとする子、どうしていいか分からず呆然とする子がいるのである。そんな中、限られた時間で、切り抜けるという経験を絶対にするのである。


僕は、今年は忙しくて、学校祭を一切見に行けていない。ま、そんな年があってもいいかもな…当日といつものギャップを味わおうか、と思っていたが、なんだか、帰りにぷらりと散歩する気になって教室棟を歩いていた。そうしたら、未完成のくせに、圧倒された。

何枚あるのか、それだけ人がいて、手が動いて、交わりがあったのだと、空気が伝えてくれる。

明日、お越しになる方がいらしたら、ぜひ、このクラスを見てあげてください。こんな中途半端な状態が、この土壇場でどう変化するのか。いや、そのままかもしれない。その裏にどんな人間関係があるのか。そして、そんな準備をへて、生徒たちがどんな顔で北星祭という時間を過ごしているか。


そう、41期3年C組も確かそんなんだったような気がする。



9月25日(日)姜尚中さん講演会 「デモクラシーは手間がかかる」 開催

先日、7月に訪問したまっくろくろすけさんで、下記イベントがあります。ぜひ、ご参加ください。




以下、まっくろくろすけさんのブログからの転載です。

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実は「デモクラティックスクールまっくろくろすけ」が来年デモクラティックスクールとして本格開校から10周年を迎えるので、以下の講演会をします。
姫路ですが、よかったら聞きにきてね。
JRなら大阪から新快速で1時間です。

講師の姜尚中氏には市民が自ら一人ひとりがより大切にされる民主的な暮らしを実現していくために基礎となることをお話いただきます。
私の尊敬している方の一人です。

どんな分野のことについてもその根幹となる「人権が守られているとはどういうことか? そのために自分たちにどういう姿勢やものごとの考え方が大切か? なぜ今の世の中ではデモクラシーが実感しにくいのか? そしてどうしていくことが可能なのか?」などについて一緒に考えを深める一日になるでしょう。

貴重な機会ですので、どうぞまわりにお声掛け宜しくおねがいします。
ポスターやチラシが必要なかたはご連絡ください。


9月25日(日)姜尚中さん講演会 「デモクラシーは手間がかかる」 開催

「デモクラシーの冒険」著者 東京大学教授 姜尚中さんをお招きし、講演会を行ないます。どうぞご参加ください。

日時:9月25日(日) 1時~4時半
場所:姫路市文化センター 小ホール
参加費:1800円(前売り1500円) 学生1500円(前売り1000円)

申し込み先:下記フォームよりお願いします。
お申し込みフォーム
https:/ /ssl.fo rm-mail er.jp/f ms/753b 62fa156 271
メール受け付け後、振込先をご案内します。
振り込み確認後、チケットとしてはがきを郵送いたします。


■主催:デモクラティックスクールまっくろくろすけ
■協力:西宮サドベリースクール フリースクールFor Life 大阪スコーレ 関西子ども文化協会 ほか
■後援:姫路市・姫路市教育委員会


デモクラティックスクール
まっくろくろすけ ~ 自由と自治の学び場~
スタッフ 黒田 喜美
兵庫県神崎郡市川町坂戸592
℡&Fax 0790-26-1129
e-mail makkuro02@yahoo.co.jp
URL http://geocities.jp/makkurohp/

北星学園大学・障害児教育夏季セミナーに参加してきました。

今日は、北星学園大学が主催する障害児教育夏季セミナーに参加してきました。

テーマは「発達障害、特にアスペルガー症候群の教育と支援を考える」。

ここ数年、特に1年2年ほど、発達障害がメディアでも取りあげられて、その「言葉」を知っている人が増えてきている。けれど、それがなんなのかということに関しては、教育の現場においても、福祉の現場においても、医療の現場においても、混沌としている現状があると私は見ている。結果的に、発達障害は、それを従前たる「障害児教育」の考え方の枠からパラダイムシフトを経験し、抱えた人の特性を知り、社会として受容する形を求める方向でまとまるような気がするが、それが教育・福祉・医療の世界において、縦割りの垣根が取り払われ、連帯しながら共通認識を持っていくには、まだまだまだ時間がかかるだろうし、まして、それが社会一般の認識となるには、相当な時間がかかると予想される。

発達障害はの原因は「先天性の脳の機能障害である」という人と「育ちの中で経験しなかった、あるいは経験してしまったことによって、育っていない」という人とがいる。いやいや、その両方だよという人もいる。その見分けがつく人はいない。個々の人間の出生にさかのぼり、成育歴を把握しなければならない。場合によっては、保護者のそれも知る必要がある。そんなの必要ないという人もいる。
診断だって、そもそも発達障害の定義も学者によって微妙に違う部分もあるし、診断方法も様々である。いわゆる発達障害本を読めば、「こんな傾向が発達障害の人にはあります」なんて書いてあるけれど、そんな特性は多かれ少なかれ僕だって持ってるし、彼だって持っているし、それを私は「発達障害かも・・・」という人もいれば、「それは個性だ」という人もいるし、それが発達障害だという人もいれば、障害は社会生活において支障をきたすレベルに達して障害という…という人もいる。

こういうことをいうと「それはあなたの勉強が足りないから、その程度の認識しかできていないし、混乱するのですよ」という人もいるが、「いやいや、しかし、あなたが正しいということはだれが証明してくれるのですか」という人もいる。

そんな混沌とした現状における発達障害の取り扱いは、「厳重注意」であるべきだと私は思っている。なぜなら、それが一人の人生に大きな影響を与えるからである。「あなたは発達障害を抱えています」といわれ、中学・高校時代を過ごし、10年後、「あれは間違いでした」ではすまされないからである。

私たちが発達「障害」と呼ぶものに触れるときには、そのことを重々認識したうえで接しなければならないと、私は強く思うのである。

うーーんうーーーーん・・・と悩む楽しさ。

なんだか、いったい何をやっているのかが分からなくなってきて、とても楽しくなってきた。ので、ちょっと、そんな状態をたまにみるブログなんかに書いておいてみようと思う。

ああ、気がつけばもう9月5日。二学期が始まってから2週間も過ぎてしまった。なんと、時がたつのは早いものか。思えば、夏休みが過ぎたのもあっという間だった。あれもやろう、これもやろう。あれもしたい、これもしたい。あれもしなければ、これもしなければ、、、と思っているうちに、時だけが過ぎていく。別に浪費しているわけではないのだ。結構、常に頭と心はフルに動いている。もちろん、体もね。

ああ、これでいいのだと思いつつ、焦りが出ないわけもなく、じりじりと進まないことに、ちっ!っと思いつつ、目の前の小石を拾いながら前に進むしかないのだと達観している自分もいる。

どうやら教育と社会は切り離せないことがいよいよ目の前に立ちはだかるようになってきた。漠然とは感じていたけれど、こんなに大きな壁なんだなと思う。教育と政治、教育と経済、経済と政治、福祉と政治、福祉と教育、福祉と経済、教育と医療、医療と福祉。そして、歴史。

「資本主義はなぜ自壊したのか」を読みつつ、「若者よ、マルクスを読もう」にも浮気心。「教育とは何か」を読み漁りながら、北星余市の教育と現在の教育力を考える。スティーブ・ジョブスの本を読みながら、思いをはせつつ、1時間授業を終えて帰ってくるたびに、机の上に届いている封書をあけて、「だれも読みやしないよ、こんなもの」と思う受験雑誌の原稿やアンケートなんかの書類の処理をして、「田中先生~、1番にお電話で~す!」とお呼びがかかり、身の振り方を考えている。

自分がしたいことは、こんなことじゃない。自分が今すべきで、しようと思っていることは、これじゃないんだよね。って、そういったことをしながら、ぶつぶつぶつ。ま、そんなものですよ、道の途中ってのは。

そんなことをしているうちに、なんだか、何をやっているのかがわからなくなって、迷いこんでいる自分。ああ、とても楽しくなってきた。

きっと、どこかで、これがすべてつながるんだよ。いや「そうあってほしいなぁ」とか自分を慰めたり、勇気付けたりするために書いているわけではなく、本当にそう思う。

これが、どこかでつながる。そんなことを考えたら、この何をやっているのかがわからない状態が楽しく、この先が楽しみになってきた。

ただ、早く抜け出したいというじぶんは正直です。

あああああ、こうつながるのね、こことここ!!

そういう日が来ることが待ち遠しいです。

2011年度西日本地区懇談会、東日本地区懇談会終了。毎度ながら、素敵な時間だなぁ。

Twitterでもつぶやきましたが、7月30日(土)京都、7月31日(日)東京で行われた地区懇談会がつつがなく終了いたしました。

僕の勤める北星余市高校では、全国から生徒が来ているので、当然PTAも全国に散らばっていて、そんな中でPTA組織は東日本・西日本・北海道の3つの支部に分かれています。行事のたびにお手伝いに参加してくれる父母もいるのですが、なかなかじっくり腰を据えてお話ができなかったり(行事ですからね)、遠く北海道まで来ることが困難な親御さんもいて、そのため、北海道から担任の教師、校長、PTA担当が京都と東京に訪れて、懇談会をするというものなんです。

その中で、いつも、PTAの仲の良さをみて、心が動きます。みんなつい数年前までは赤の他人であった者同士なわけですが、それが昔からの付き合いをしているかのようにとても仲が良い。PTAのつながりは、その精神とともに代々受け継がれてきているわけですが、50代から新しくできる心の友の様相がそこに見え隠れします。

こんな学校見たことないです。それは子供同様、親も傷つき悩み苦しんできた孤独の中で出会った仲間、それらを共有できる仲間だからなんだろうと思うわけです。互いに思いを語り合い、「うちもうちも!」と時に涙し、喜び、心を交し合えるからなんだと思います。

こういう大人たち(私もすでに大人ですけどね…)でありたいと本当に思います。それは個々の付き合いとしても、コミュニティとしても。
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不登校問題を考える東葛の会「ひだまり」さんから、ニュースレターが届きました。


今号の特集は、自身が不登校を経験された方のお話。


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「どうしても、大人の視点だと「こんな生活ではよくない」「まわりの同年代とどんどん学校の勉強に遅れを取ってしまう」「このままでこの先の社会生活が過ごせるのか」などいろいろなことを考える。
でも、正論を述べるその前に、このような生活をせざるを得ない心をまず理解してほしい。だって誰が好き好んでこんな生活を望むのだろうか。正論やアドバイスを述べる前にこういう生活をせざるを得ない心に、ただ寄り添ってほしい。
孤独な子どもであり、孤独な人間に必要なのは、百の正論やアドバイスよりも、一つのそっと寄り添って安心感を感じさせてくれる心だと思う。
「このままでは何も変わらない」と、なんとなく感じつつも何もできない自分がいた。先のことを考えると不安になるし、おのずと現実から目を背けるようにもなる。だから目の前にあることだけで漠然とした、その日暮らしの時間の使い方となる。自分の好きで時間を使っていたものとして、ゲーム・マンガ・パソコン・テレビ、趣味の鉄道や野球などがあり、何か夢中になってる時や取り組んでいるときは余計なことを考えないでいい。人kとで言えば現実を考えなくていいのである。

この箇所がとても印象的でした。

映画「アンダンテ~稲の旋律~」上映会 2011年7月8日(金) 帯広市民文化ホール


先日、「はるにれの会さんからニュースレターが届きました~。」で紹介した、「アンダンテ~稲の旋律~」の上映会が帯広で開催されるようです。料金は、大人当日1000円(前売り900円)だそうです。興味のある方、もしよければ。

2011年7月8日(金)
映画「アンダンテ~稲の旋律~」上映
時間:シネトーク 10:00~、13:30~、18:30~
   映画    10:30~、14:00~、19:00~
場所:帯広市西5条南11丁目 帯広市民文化ホール(小ホール)


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【イベント】はるにれの会さんの不登校相談会


2011年7月3日(日)
第8回「不登校相談会」
時間:午前10時~午後4時
場所:帯広市西4条南13丁目1番 とかちプラザ3階和室
参加費:1家族500円
問い合わせ:清水(0155-38-2427 昼・夜)
      川尻(0155-22-0234 平日は夜、土日は昼夜)
      柴田(0155-48-9293 平日・日は夜、月は昼)
相談員:「はるにれの会」の親、不登校・ひきこもり経験者、フリースクール教師、元高校教師、他。



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生物採集のコツと実習 夏の海での生物実験」



実験材料がおみやげに 親子・教員も楽しめる
                             夏休みの宿題もクリアー
★ムラサキウニ・バフンウニ・マナマコ・アメフラシはどんなところに生活しているのか?
★受精実験・解剖実験あり!デジカメ必携。
★ウニはオスとメスで味がちがうのか?
★ウニ卵の顕微鏡とTV画面による受精観察。
★固定方法を学ぶ!
★実験材料の持ち帰りもあり。発砲スチロール容器は持ってきてね♪

【参加費用】
Aコース  7月16日(土)~18(祝)集合10:00 (1泊2日もあり) 定員30名
Bコース  8月14日(日)~16(火)集合 10:00 (1泊2日もあり) 定員40名
小学生~大人24,400円 5食付 保険料込

10:00までに三浦ふれあいの村ヤマビコ棟実験室に集合。  無料駐車場あり
入村式----海へ出発!----最干潮----昼食----実験所へ

ムラサキウニの受精実験スタート
固定方法も教えます(ブアン固定)
********************************************************

大人も喜ぶ「生物学のおもしろさ」
おみやげ動物もあり デジカメ必携。

1. 「メダカの話」放射線と遺伝子のはなし
  放射線医学総合研究所 丸山耕一

2. 「ショウジョウバエの話」ハエに学ぶ遺伝のしくみ
  首都大学東京  相垣敏郎

日時:2011年7月31日(日) 14:00~17:00
会場:上智大学四谷校舎 4号館195教室
(正門から入り 1階右手ブロック奥)

持ち物:ノート・筆記用具・デジカメ

会費:3000円(親子) 1500円(個人) 当日支払い
申し込み:TEL、FAX、メールにて都道府県、お名前、人数をお知らせください。

問合せ先:田口教育研究所 横浜市港北区日吉2-18-42
TEL:045-560-3721 FAX:045-563-5782

プログラム必要者はFAXかメールします  info@taguchiken.com

内谷正文さんの100ヶ所目節目公演がアイピット目白で行われます。


先日、北星余市高校の薬物学習で公演された内谷正文さんの公演が7月17日(日)にアイピット目白で行われます。



内谷さんのホームページ:http://members2.jcom.home.ne.jp/la_lino/
内谷さんのブログ:http://bumibumi.exblog.jp/

内谷さんは自身が薬物経験者でもあり、自身の経験を通じて薬物を「知ってもらいたい」という思いで、一人芝居をされている方です。その公演活動が100箇所の節目を迎えられ、記念自主公演を企画したとのことです。

ちなみに、本校で公演していただいた際の、生徒たちの感想は下記に記載されています。
http://hokuseiyoichi-ha-ima.blogspot.com/2011/05/blog-post_6680.html

当日は、入場無料。合わせて、NPO法人ドムクス・しずおか理事長の岩松美八子さんの体験談「薬物問題とかかわって」があります。たくさんの人に意外と身近に存在する薬物問題を知ってもらいたいとのことです。


詳細は、下記の通り。


【プログラム】
1.「ADDICTION 今日一日を生きる君」内谷正文(40分)
2.「遠回りしなければわからなかった」内谷正文体験談(20~30分)
3.「薬物問題とかかわって」岩松美八子氏体験談(30分~40分)

~100ヶ所節目公演~
アイピット目白 2011.7.17(日)
入場無料
開演 ①14:00~
   ②18:30~
   ※開場は開演30分前から。

※要、事前予約
 電話での申し込み:090-2316-6821
  FAXでの申し込み:048-472-3019
 メールでの申し込み:la_lino@jcom.home.ne.jp
 ・FAX・メールでお申し込みは、観覧希望時間、代表者の名前・人数、連絡先を記入ください。
 ・一人当たり、何名でも申し込み可能
 ・受付予定枚数に到達しだい、事前受付を終了します。
 ・当日、ロビーに全国薬物依存症者家族連合会への献金箱を置かせていただきます。
 ・会場に駐輪・駐車場はございません。



「不登校の子どもを持つ親たちの会『ぶどうの会』」さんを訪問。


今日は、ここ最近、立て続けにブログに掲載している(…といっても、最近更新してないけど)山梨県にある「不登校の子どもを持つ親たちの会『ぶどうの会』」さんに安河内校長と訪問してきました。

私は、昨年の12月にすでに訪問させていただいているのですが、冬に訪問するのとまた雰囲気が一変。木々の緑に囲まれ、川のせせらぎが聞こえ、すがすがしい空気に包まれた山荘。すべて鈴木さんご夫妻の手作りの家。

リストカット強迫性障害のお話、「うちの子、ダメな子」の話、子供を教育するにあたって、どういう環境が望ましいか、、、などを話しているうちに、あっという間の1時間でした。お話した内容は機会があれば。

相変わらずの素敵な笑顔と真剣なまなざしの鈴木さんご夫妻、大好きです。



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【イベント】非行の子どもの社会的自立をめざして(親たちの会)陽だまりの会


日時:毎月第1土曜日(予定) 午後2時~5時
場所:大阪NPOプラザ207号室(2F)
   (NPO法人関西こども文化協会事務局)
   〒553-000
   大阪市福島区吉野4-29-20 大阪NPOプラザ207
参加費:500円

※初めて参加される方は日程をご確認の上お越しください。
※事前参加予約なしで、党jつのご参加もお待ちしております。

お問い合わせ
特定非営利活動法人
関西こども文化協会
〒553-000
大阪市福島区吉野4-29-20 大阪NPOプラザ207
TEL:06-6460-1621
FAX:06-6460-1628
E-mail:office@kansaikodomo.com
URL:http://www.kansaikodomo.com



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【イベント】山梨不登校の子どもを持つ親たちの会「ぶどうの会」 六周年のつどい



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山梨不登校の子どもを持つ親たちの会「ぶどうの会」 六周年のつどい

日時:2011年4月24日(日)13:00~
会場:いちのみや桃の里ふれあい文化館(和室)
    山梨県笛吹市一宮町末木921-1
    0553-47-6066

講師:都留文科大学教授、教育学  田中昌弥先生
    希望をつむぐ学力

日程
13:00~ 受付
13:30~ 親のレポート
14:00~15:40 記念講演
15:40~16:00 休憩
16:00~17:00 講師を囲んでの懇談会

参加費:1000円

事務局・連絡先
鈴木正洋/鈴木はつみ
〒405-0061 山梨県笛吹市一宮町石字京戸2359-102
0553-44-5078
kyodo-sanso@hb.tp1.jp


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ぶどうの会さんからニュースレターが届きました


冬にわざわざ北星余市にお立ち寄りくださったぶどうの会の鈴木ご夫妻。当日は「不登校だったボクと島の物語」にも自身の経験を執筆されている息子さんもお越しになっての懇談。とても楽しい時間でした。あれから早2ヶ月経つんですね。今日は、新しいニュースレターを届けてくださいました。


不登校だったボクと島の物語/鈴木 正輝

¥1,575
Amazon.co.jp





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なんと、ぶどうの会は6周年。4月24日(日)に記念のイベントをされるとのこと。参加したいところですが、遠く北海道からはちょっと難しいので、こちらで気持ちだけでも。お近くの方、ぜひ行ってみてください。きっと何か得られるものがあると思います。


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【イベント情報】第11回「非行」を考える全国交流集会



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「雨上がりの会」さんから、上記イベントのチラシが届きました。行きたいなぁ、、、いけるかなぁ。。
お近くの方、ぜひ。お知り合いで悩まれている親御さんにもぜひ勧めてあげてください。


日時:2011年3月26日(土)27日(日)
会場:千葉県柏市さわやかちば県民プラザ
主催:「非行」を考える全国交流集会実行委員会
後援:千葉県 千葉県教育委員会 柏市 柏市教育委員会
   日本子どもを守る会 全国生活指導研究協議会
   東京総合教育センター NPO法人非行克服支援センター
連絡先:事務局 169-0073 東京都新宿区百人町1-17-14 コーポババ21 
        「非行」と向き合う全国ネット内
        電話:03-5348-7265
        FAX:03-5337-7912




詳細は下記のPDFでご覧下さい。
上記イベントのチラシ:http://ojd.npgo.jp/11thzenkokukasiwa.pdf


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【イベント情報】「不登校の子どもを持つ親たちの交流のつどい」第60回例会



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日時:2011年2月27日(日)13:30~17:00
会場:いちのみや桃の里ふれあい文化館 1階和室(玄関入口より階段下りる)
   笛吹市一宮町末木921-1
   0553-47-6066
参加費:500円
不登校ミニ講座「新たな自分づくりの為のとらえ直しとは」
連絡先:鈴木正洋/鈴木はつみ 
    TEL:0553-44-5078  FAX:0553-44-5079
    Mail:kyodo-sanso@hb.tp1.jp

山梨県・ぶどうの会さんからニュースレターが届きました。


「山梨不登校の子どもを持つ親たちのぶどうの会」さんからニュースレターが届きました。


「山梨県・ぶどうの会さんからニュースレターが届きました。」で書いたとおり、先日もぶどうの会さんからニュースレターが届いて、ふむふむと勉強させていただいておりました。ぶどうの会の代表・鈴木正洋さんと奥様の鈴木はつみさんは、自身の息子さんが不登校になったことをきっかけに不登校を考え、活動されている方。



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鈴木さんは、こちらも2010年12月に訪問させていただいた、千葉県の「不登校問題を考える東葛の会『ひだまり』」主催の講演会(11月27日・松戸勤労会館)で講演をされ、その内容が掲載された『ひだまり』ニュースと共に、送付してくださったわけです。

感謝。

「不登校、その意味と対応 ~子どもを信じて任せて待つとは~」

と題された講演会の内容は、私が日々、入試委員長としてまた教育相談会でお父さん・お母さんの相談を受ける中で、まさに感じていたことがたくさん書かれてありました。「そうそう、そうなんですよね」と思いながら、首を縦に振っていました。

私が相談を受けている中で思うのは、お父さんもお母さんも「どうしたらいいかわからずに悩んでいる」から「現状を打破するための、答えを求めている」なぁ、ということ。

この「答えを求める」というのは、意外と曲者で。何か特効薬のような、はたまたマニュアル的な「こうすれば、よくなります」みたいなものを求めておられる方がたくさんいらっしゃるのですが、そうじゃないんですよ、、、といつも思うわけです。その気持ちは十分にわかるのですが、そうしても子どもの状況は変わらない。

言うは易し行うは難しですが「どうすれば子どもが元に戻るか」という考え方は、より一層、子どももお父さん・お母さん自身も苦しめることになる。これは私が相談を受けてきた経験上、ほぼ間違いないことです。「親として受け止めがたい現状を受け止めたうえで、この子をどうやって育てていこうかしら」と考えること。

このニュースレターに書かれていることは、どれも当たり前のことで、人と人とが関わり合うことの根底に据えられるべき所作が記されている。そして、それに基づいて自分を観て、相手を観ると自ずと導き出される事柄が書かれてありました。

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子ども子育て新システムについて。


先日「「子ども子育て新システム」で「保育」が破壊される?」で紹介した、名古屋の川口弁護士が、ブログ上で「子ども子育て新システムについて。」と題して記事を掲載されています。


幼稚園と保育園を分けておく必要ってあるんかね?子どもを育てる場所は一つでいいんじゃない?そうそう、ひとつにしたほうが効率的でしょ?

なんて、単純な話ではないので、よくよく読んでみたほうがいい。子育てに関わる大切なことですから。

昭和新山国際雪合戦大会の審判講習会に参加してきました。


学校のブログにもアップしましたが、今日は、明日出場する昭和新山国際雪合戦大会の後志地区大会に向けた審判講習会に参加してきました。

雪合戦大会。慣れれば問題はないのでしょうが、さすが「競技」だけあって結構ルールがあって、頭に入りきりません。もともとスポーツは個人競技しかやったことないですし、審判というもの自体、初体験なので勇気を持って「アウトっ!」って言えるか不安ですが、まぁ、いってきます。



不完全であること 「わたしたちの教育基本法 /大田 堯 (著)」より


しかしながら、あらゆる地球上の生きとし生けるものは多様であり、種の持続(個体はそういう意図はもっていないとしても、結果において)を遂げるためのたくまざる智恵が生物には含まれていると考えるほかはないと私は思うのです。違うということは、たとえば人間を考えるとすぐわかります。その人間はメリットとデメリットを持っています。このメリットとデメリットの配分の仕方が微妙に違っています。つまり違うというのは、どの個体も不完全であるということです。少なくとも、生命個体は自己完結体ではない、という事実は否定できません。

1945年までは、このわが日本列島に、完全な方が一人おられたのです。いうまでもなく、それは天皇でありました。天皇は完全な、人でありながら神であったのであります。

ところが、1946年1月1日に、天皇が「俺は神ではないぞ」という趣旨のことを全国民にむかって表明されたときから、私ども日本人の中には完全な人物は一人もいなくなりました。みんな不完全だらけの人間がこの日本列島に住むようになったのであります。不完全だからこそ、不完全なままに、それぞれのもち味で考えを述べ合い、行動してかかわり合い、それらをまとめあげて社会を創造していこう、というのが民主主義の基盤ではありませんか。

生命というものは、なにか神様のような絶対者がいて、それに画一同化するするものではありません。声明は違うものであり、一人ひとりがユニークな違い方をしている。生まれた時から障害をおもちの方があっても、それは違いの一種に過ぎない。寝たきりの老人がいらしても、それは違った生き方の一つがそこに崇高にも存在するということなのです。全人類の命をみんなが不完全なままで、どこかで支え合っている。これが、われわれの民主社会の基盤をなしている生命個体のあり方である。このことを確認するのは、大切なことなのであります。

人が一人ひとり違っているということは、ごく普通なことにみえますが、この平凡な子とが実は民主主義の根幹にあることを、私どもは何度も確かめていきたいと思います。教育基本法五十年というこのとき、ますますそれを確かめてみなければと私は思うのです。違うことがわかりきっているのに、「違わないもの」として、人を束にして画一に扱わされている状況は、学校教育に限ったわけではありません。兄弟を比較する親の姿勢にもそれがあります。

一人ひとりが違うのだという民主社会の原理が教育の中に浸透するのであれば、あくまで、その子その子のユニークさとつきあっていくのが教育なのだということになるわけです。教育の画一的なあり方に対する最も厳しい批判がそこからわきでてくるのではないかと私には思われるのです。

(中略)

「人格の完成をめざす」という教育の目的は、「子どもを完全な人間にする」ということではありません。そんな完全な人間になるはずはないのです。そうではなくて、一人ひとりがユニークに違っていて、違うままにそのもち味を創りだしていける、みんなで支え合っていくことのできる人間になろうといっているのであります。一人ひとりの子どもを完全な人間にするなどという、そんな教育目的として教育基本法を読みますと、生命の原理に反することになるのだと私は思います。

58p~61p
(わたしたちの教育基本法 / 大田 堯 (著) )

子どもの個性はどのように育つか 「証言・良心の自由を求める /大田 堯 (著)」より



四.子どもの個性はどのように育つか

問 文部科学省は文部省時代から、個性重視の教育というようなものをうたい文句にしているわけでありますけれども、いま、先生が申されたことを前提にしながら、子どもの個性というものは、どういうふうにして育つものなのでしょうか。

答 三つぐらいの要因を述べたいと思います。

問 それでは一つ一つ分けてお伺いします。第一の要因はどういうことでございますか。

答 まず、あらゆる生命体は、個体は全部違うということです。一本一本違う、一匹一匹違う、一人ひとり違う。これは遺伝子を乗せたDNAの構成が違うのですからみんな違っている、それが個性のもとになっているわけですね。同時に、子どもたちはどこに生まれるかということ----環境を選ぶことができません。したがいまして、貧しい国に生まれるか豊かな国に生まれるか、どういう家庭に生まれるかも選ぶことができないわけです。こういう生理学的な意味、生物学的な意味における----DNAを中心にした与えられたものと、それから個別の環境の中で生まれ出る場所を与えられたということ、それが違うのですからみんな違う、というところが非常に大事な観点でして、そこをもとにして個性というものは発展をしてくる、そこが根っこである。この確認が、個性の場合には第一に必要です。

問 個性にかかわる、第二の要因はどういうものでしょうか。

答 先ほど自己創出力----自ら変わる力ということを申し上げましたが、人間は意識的に、糸を持って自らを選んで変えていくという能力を持っているということであります。与えられたものは非常に固定的な財産でありますけれども、今度は自ら選んで変わるということが人間の特性でありますので、その選ぶ選びようによりましては、貧しい家に生まれましても、その貧しい環境というものが、むしろ後には独自のよい経験になって、その人の個性というものを強めていくということもあり得るわけです。そういうふうに、与えられた初めから違っている与件も、後で選ぶ選び方によって違っていくわけです。その選び方という者について援助をするというのも教育の重要な役目だと思うのでして、そこのところで、自ら選びながら変わっていくという、その個性形成の姿を考える必要があると思うのです。その場合に、選んで変わるわけですから、「この子はこういう子なのだ」というふうに決める、現在までの到達点で決めてかかるというのは適当ではありません。その子がどう変わっていくかは、その後の選択によってまったく不可知、知ることができないものですから。したがってわれわれは、他者と交わるときに、その人はどう変わるか分からないという可能性を頭に置いたうえで交わっていく、ということが市民社会の中での人間の交わり方だと、こういうふうに思っていますが、その自ら選ぶ力というもの、これが個性を形成する人間にとっての重要な要因です。

中略

問 個性にかかわる、第三の要因はどういうものでしょうか。

答 いままで述べましたのは、一人の個体というものがみな違うということ、次に違いながらしかも違った選び方によって生きていくということを申し上げたのですね。しかしながら、その個体だけが成長するわけではありません。その個体生命というものは、必ず他者とのかかわりの中で成長するのです。ですから、かかわりの中で個性というものが初めて創られてくる。思わざる著書を読むことによって人生の方向が変わるとか、思わざる人との出会いによって選び方が変わるとか、優れた教師によってそれが励まされるとか、そういうことが起こり得るわけです。かかわり方の中で個性というものは、こういうふうに成立していくことになる。ですから、画一的に、子どもたちを同じように教育するとか支配するということはいけません。そうではなくて、その子その子の違いというものと、その子その子の可能性というものを考え、そして付き合っていくのが教育という仕事なのであります。かかわりの中で個性が成立するということを重視しているわけですね。

21p-24p

(証言・良心の自由を求める―国歌斉唱義務不存在確認訴訟・法廷 / 大田 堯 (著) )


2010年12月上旬、関東の教育関係者の方々との出会いを求めて旅をしていた中で、お会いした野々垣務先生から頂いた本。「私の師匠の本だが…」と、いきなりのぶしつけなお電話で面会を依頼した私に持参してくださっていた。恐縮です。



証言・良心の自由を求める―国歌斉唱義務不存在確認訴訟・法廷/大田 堯

¥609
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「内田樹の研究室 コピペはダメだよ、について」より


出典についてはきちんと書誌情報を明記し、「贈り物をありがとう」と記載せよと私がうるさく言うのは、そのような気遣いをしたものは必ず読者への「贈り物」になるようなものを書こうと願うからである。
自分の作物ができるだけ長く読み継がれ、できるだけ多くの読者を得ることを願うようになるからである。
その願いが論文のクオリティを押し上げる。
アカデミアの目的は、学生たちに自分の知的なポテンシャルに気づかせ、それを高め、活性化する方途を発見させることである。
そのためには何を措いても「贈与されたものを次の受け取り手にパスする」というふるまいを会得してもらわねばならない。

http://blog.tatsuru.com/2011/01/09_1554.php

(「内田樹の研究室 コピペはダメだよ、について」より)

「贈与されたものを次の受け取り手にパス」させていただきます。

COSMO EarthZine 全国で百万人とも言われている引きこもり対策視察


ビバハウスの存在目的は若者たちの「自分づくり」ですし、スタッフのの仕事はその「きっかけづくり」と言えるでしょう。
自立への道は集団生活の中でこそつかみ取ることができる。だから、同じ苦しみを持つ仲間がお互いに語り合い、理解し合う中で、学び合い、刺激し合い、育ち合う営みが大切だ、と安達夫妻は言います。
個人の自立は一般に彼を取り巻く集団の力量と深く関係しています。「自分のことで精一杯、他人のことは見えない」集団には教育力も問題解決能力も期待できません。それが「共に苦しみを分かち合い、共に一歩前進しようと意欲する」集団に育てば、互いに育ち合える、個々人が相互に自立を促し合える、ということのようです。自由討論・相互批判のロングホームルームの時間は、そのために極めて有効に活用されています。

(COSMO EarthZine 2009 Vol.8 全国で百万人とも言われている引きこもり対策視察 若者の自律を目指す、ビバハウス 取材・文:余市惠泉塾・塾頭 水谷惠信)


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青少年自立支援センタービバ、Viva通信。


親しくさせていただいている余市町にある青少年自立支援センタービバさんでは、厚生労働省の緊急人材育成・就職支援基金事業を行っております。

その様子が書かれたニュースレターが届きました。私の第1期生として卒業生も参加しており、先日行われたビバハウス10周年記念のイベントで会って、とてもうれしい変化を遂げておりました。ふむ。

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山梨県・ぶどうの会さんからニュースレターが届きました。


昨日から始業式。3学期の開始です。生徒たちも元気に戻ってきていて、なんだか気持が明るくなります。

昨日、出勤したら年末に訪問させていただいた(参照:今日は山梨県と千葉県を訪問。親たちの会「ぶどうの会」や「ひだまり」さんなどを訪れました。)ぶどうの会さんから丁寧なお手紙とニュースレターが。

上記記事でも書きましたが、とても素敵な場所と素敵なご夫婦が中心となって開かれている親の会。見ず知らずの訪問の私たちにも、とてもよくしていただきました。山梨近辺で不登校で悩まれている親御さんがいらっしゃったら、ぜひ一度連絡とってみてはいかがかな、、、なんて差し出がましくおもっています。

問合せ先:ぶどうの会、鈴木正洋/鈴木はつみ
     〒405-0061 笛吹市一宮町石字京戸2359-102
     電話0553-44-5078


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同会で今月末に開催されるイベントを、山梨・ぶどうの会 不登校の子どもをもつ親たちの交流のつどいにて紹介しておりますので、もしよろしければ。

帯広・はるにれの会からニュースレター。


年が明けて、各団体からニュースレターが届いています。みなさん、健康の年を明けられ、新年に向けて前向きに取り組まれている様子。私も元気が出ます。

はるにれの会さんでは、2010年度に札幌キワニスクラブさんから青少年教育賞をいただいたとのこと。おめでとうございました。札幌キワニスクラブとは、世界の子供たちのための国際奉仕団体(ホームページはこちら:札幌キワニスクラブ)。

1月2月と各種例会等開催されます。帯広地区で興味のある方はぜひ。


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隠された真実 冤罪と司法のあり方を問う


川口創弁護士のブログにて。緊急企画だそうで。
興味のある方は、どうぞ。

詳細はこちらのページへ:http://kahajime.exblog.jp/13999364/

以下、記事抜粋。


緊急企画です。
時間が迫っていますが内容の濃い企画です。
是非ご参加下さい。
周りに広げていただくと助かります。

■ 隠された真実 冤罪と司法のあり方を問う
■ とき: 1月22日(土) 13時30分~  
■ 資料代 500円
■ ところ: 名古屋第一法律事務所3F 地下鉄丸の内エレベーターで地上へ徒歩3秒。
   丸の内2-18-22 三博ビル
■ 講師: 柳原三佳さん 交通ジャーナリスト
■ 講師: 稲垣仁史弁護士 名張毒ぶどう酒事件弁護団  名古屋第一事務所

■ 主催: 弁護士  川口 創 (ときどき勉強会)

■ 問合せ連絡先:  名古屋第一法律事務所  電話 052-211-2236
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山梨・ぶどうの会 不登校の子どもをもつ親たちの交流のつどい


日時:2011年1月29日(土)13:30~17:00
会場:京戸山荘パステル ぶどうの会事務局
参加費:500円(一般は800円) 資料代等含む
問合せ先:ぶどうの会、鈴木正洋/鈴木はつみ
     〒405-0061 笛吹市一宮町石字京戸2359-102
     電話0553-44-5078

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その後、18:00から「おやじの会」が開催されます。
参加費は別途500円です。

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即戦力をめぐる企業と大学の“共犯”関係 日経ビジネスオンライン


「キャリア教育を充実させようってところまでは良かったんです。今じゃ、完全に就職予備校。いや、下請けっていってもいいかもしれない。企業が求める人材を教育する場に大学がなってるんですよ。大学も生き残りをかけてるから、就職に強い大学にすることが使命になってきました」

「この先も新卒の雇用が増える気配はありません。その一方で、企業が学生に求める資質は急激に高まっている。で、その資質っていうのが即戦力だと。おかしな話です。学力が低いって散々言っていたと思ったら、今度は人間力を高めて即戦力になる人材が欲しいと。企業も勝手だし、それに右往左往している大学も大学ですよ」

こう嘆くのは知人の大学教授である。

経営危機におびえる大学と、厳選採用を豪語し、なぜか強気な企業サイド。

報道によれば、文部科学省が昨年11月に経済同友会などの企業側と大学側が参加する懇話会を設置した際にも、企業側から「大学教育の中で、即戦力となる人材を育ててほしい」との要望が出されていたという。

即戦力って何なのだ? 中途採用でもあるまいし、新人で即戦力などあり得るのだろうか?

そもそも、いったいいつから人材を育てるのが大学の役目になってしまったのか? これじゃ企業は、子供のしつけをすべて学校に委ねるモンスターペアレンツと同じじゃないか?

「やっと専門分野の学問を習得できる3年生になった途端、就職することしか考えず、学問をしようという熱意など全くない学生に、授業をするのは苦痛だ」

前出の教授の話では、こうこぼす同僚の先生も多いらしい。

というわけで、今回は、大学と企業の不条理な関係性について、考えてみようと思う。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110111/217888/?P=2

NASAより宇宙に近い町工場/植松 努 (著)



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僕は小さい時から工夫をするのが大好きでした。だから、この世の中の人はみんな、工夫をするのが好きなんだろうと思っていました。ところが、会社を始めて、そして、生まれて初めて人を雇うことになったとき、履歴書を持ってうちにやってくる人たちの大半が、そうではなかったんです。興味を持ってない人、やる前にあきらめてしまう人、そして、自分で考えることを嫌がる人たちでした。
この人たちのキーワードは、
「いやあ、自分なんて」という「謙遜」と
「どうせ、無理ですよ」という「評論」でした。
34p-35p

「消費者迎合」を「顧客満足」と勘違いしている企業がたくさんあります。でも、これは顧客満足ではありません。顧客満足というものは、お客さんを「いやあ、すごいな」とうならせることにあります。お客さんをさらに成長させることにあります。お客さんをチヤホヤすることは、お客さんの能力を低下させます。
36p

では、この〇から一を生み出す仕事をするためにはどんな人たちが必要なのかというと、頭がいい人でも高学歴の人でもありません。「やったことのないことをやりたがる人」です。「あきらめない人」です。「工夫をする人」です。43p

しかし、物事には限度というものがあるそうです。僕の子どもの頃の行動を、いろんな学校の先生や教育関係の人たちに聞くと、「ああ、それは学習障害ですね」と簡単に言われてしまいます。当時こういうカテゴリーがなくてよかったな、と思います。
悲しいことに、今は「普通」じゃないと、「異常」だとレッテルを貼られて排除されてしまいます。でも、いったい、「普通」って何なのでしょうか。
うちの会社に、学習障害の施設の子どもたちが見学にやってきてくれました。どんな子が来るのか、来るまではちょっと不安だったんですが、その子どもたちは、今までに来たどんな学校の子どもたちよりも多くの質問をしました。多くに興味を持ちました。「やってみたい人、集まって」と言うと、全員が殺到します。
そして、とても優しい子どもたちでした。ちょっとそそっかしかったんですが、そんなものはなんとかなるものです。
彼らは帰りのバスの中から、バスが小さくなってもなお、手を振り続けてくれました。うちの会社の人たちも負けじとそのバスに向かって手を振り続けました。バスが 見えなくなるころに、うちの会社の人たちが泣き出してしまいました。
「あの子らが異常だと言われるなら、俺たちも絶対に異常だよね」と言うのです。
「あの子たちがどうして閉じ込められなきゃいけないんだろう。閉じ込めることによって、親がどんなに悲しい想いをしてるか分かるんだろうか。他の子にものを教えるときに邪魔になるからといって排除しているだけなんじゃないだろうか」そして、「本当にくやしい」と言って泣いているのです。僕も本当にその通りだと思っています。
64p-67p

僕たちが「普通」をつくりだしているわけです。僕たちは周りの人から影響を受け、そして周りの人に影響を与えています。普通というもののレベルは、いくらでも変えることが可能です。自分が子どもたちにどんな人になってほしいかを考え、それを助けるような「普通」というものをつくりだす必要があるのではないでしょうか。
僕たちが子どもに求めるものが、「おとなしくて聞き分けのいいこと」だとしたら、今のままでいいですね。子どもたちが黙っていて、前へ出ようとしないのがいいのでしょう。そうすれば、今のままの社会が続きます。でも、きっとそれはあまりいいことではないような気がします。
69p

(NASAより宇宙に近い町工場/植松 努 (著) )


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教養とはなにか


橋本先生の3年間の『銀の匙』の授業について、いま、何を思われますか?
「改めて、素晴らしい授業だったんだなぁと思いますね。『銀の匙』で橋本先生がやってくださったのは、僕らが、例えば大学で原書講読をやる時のやり方と似ています。当時はもちろん気づきませんでしたが、改めて振り返ってそう思いました。ゆっくりとしたペースで、言葉や文章表現を丁寧に読み解いていきますよね。筋として何を言っているかということばかりじゃなく、ある一つの言葉にこだわることで、その背後に大きく広がっている概念や感覚や考え方と、つながってくるわけですよね。原書講読のスタイルを橋本先生は中学の授業でやってくれていたんだなあということを痛感しました。うまく鍛えていただいたなあ、と」
なるほど。そうした橋本流の読書法を我々は『スロウ・リーディング』と呼んでいるのですが。
「確かに、今は、速読をして大体の内容をつかめばいい、というような読み方も多いですね。まあ、それも必要なんですが…。よく『情報化時代』ってことが言われて、いろんな情報を知っていることが知識だというふうに、つい思っちゃうところがあります。だけど、そうじゃなくて、この『銀の匙』の言葉一つひとつ、これも確かに情報なんだけれども、その情報を知識に変えるというのは、その言葉が、社会の現実の中でどのような位置にあるのか、どう絡んでいるのか、それが例えば歴史的にどういう背景を、あるいは意味を持っているのか、そういう全体的な構造の中で情報をじっくり捉えていく。で、そこではじめて知識になってくると思うんですよね。断片的にいろんなことを、ただ知っているというだけじゃなくてね」
(奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち / 伊藤 氏貴 (著) )

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「教養」というのは、「生」の知識や情報のことではない。そうではなくて、知識や情報を整除したり、統御したり、操作したりする「仕方」のことである。
絵画的な比喩を使って言えば、「教養」とは、「古今東西すべての知識」を網羅した巨大な図書館があった場合(ヘーゲル=ボルヘス的な幻影だ)、自分の持っている知識や情報が、その巨大な図書館の、どの棟の、どの階の、どの書棚にどんな分類項目名をつけられて、どんな本と並んで置いてあるのかを想像することのできる能力のことである。
この「宇宙論的な図書館」の蔵書数と比べると、自分がそこに寄贈しうる書籍は多寡が知れている。けれども、自分の書籍が「どこに何冊配架されているか」を正確に把握できる人間は、その図書館の全蔵書を使いこなす潜在的な能力を持っているということができる。
私が「これから読む本」とは、「まだ読んだことがない本」のことである。図書館の利用のノウハウとは、ただ一つ「私がまだ読んだことがない本について、それがどこにあるのか、何の役に立つのかを知っている」ということである。
私はさきほど「教養」とは「知識についての知識」だと書いたけれど、この図書館の比喩を踏まえて、もっと正確にいえば、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことなのである。
(街場の現代思想 (文春文庫) /内田 樹 (著) 13p-14p)

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教養は情報ではない。
教養とはかたちのある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力である。
雑学は「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。教養とは「まだ知らないこと」へフライングする能力のことである。
(知に働けば蔵が建つ (文春文庫)/内田 樹 (著) 11p)

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第93回教師研修会


社会とコミュニティは違う。
社会…知らない人と関わる。そこで集団としてまとまって生きていく。
コミュニティ(共同体)…知っている人とうまくやっていく能力。村社会。

社会性の発達
1.直接他者の認識
2.直接的自己の認識
3.関係性の認識…小学校3年生ころにクリアすべき課題。
4.抽象性の認識←これがないと描くことが出来ない。

不登校を歴史的にみると、いろいろな呼び方があった。
不登校は子どもたちの自発的な拒否反応だという説がかなり世の中をにぎわした。
学校というのは抑圧された組織なんだという認識。
そういう、何かに対して抑圧されているという恨みから出発しているのはだめだなと思う。
ルサンチマンはスマートじゃない気がする。
勉強という点(大学に入学する)という点では、学校に行かなくてもよいだろう。
しかし、近代社会に入って、近代教育において生まれた学校というのはどのような装置なのかを考えた時、それは社会で生きていくために必要な力を育む場所と大きくとらえることが出来る。農山村だけで生きていく世界ではない。

通信制高校では、社会性の発達というところまでの道筋が描けない。
うまくいかないはずの関わりのない人とのつながりを持つ力を育むことが出来ない。

第1人称の表現は関係性の認識の表れ。僕、私、俺、わたくし、わしなど。


福岡県立大学 附属研究所長
看護学部教授 松浦賢長先生

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち [単行本] 伊藤 氏貴 (著)



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読了。マニュアル本じゃないです。

「一緒に『銀の匙』を読んだ生徒がねえ、還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている。それが何より嬉しい。それを知ることができて、ほんとうによかったですわ。『結果』が出て、よかった」
大学受験の成果など、エチ先生の求めた「結果」ではなかった。
(奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち / 伊藤 氏貴 (著)  209p-210p)

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち/伊藤 氏貴

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Profile

北星学園余市高等学校で教員をしています。
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