Archive for 11月 2013

「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」雑誌『風の旅人』編集長・佐伯剛さんをお招きして。



2013年11月17日、品川区中小企業センターで北星余市の教育講演・相談会を開催した。その講演・相談会に先立って午前中に「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」というトークイベントを開催した。トークイベントを企画した意図は、風の旅人編集長・佐伯剛さんを訪問。を見てほしい。発案した時から時間が立つにつれ、色々な意図の色合いが濃くなったり薄くなったりした感があるが、最終的には佐伯さんのお話を通じて、3年間の子供たちの高校生活において大切なことが、ひとつ言語化できた。

佐伯さんは話の最後の方で子供たちに「強靭さ」を身につけることの必要性を言われていた。僕のアンテナにそこがピピッと触れた。

昨年から北星余市は進路教育の充実を考え始めていたところで、若者の就労の実態、就労支援の現状を見聞きするたび、彼らに何を育ててあげることが大切なのか…ということをずっと考えて来ていた。同じ不登校を経験して来ている子どもでも、北星余市で過ごした子どもたちでも、高校時代の後、強く生きている子とそうでない子の違いは一体なんなんだろう…どういうものを身につけさせてあげれば良いのだろうか…と考えて来ていた。それを僕は「人間関係で生きる力」のあるなし、、、という形で表現をしていただが、実はなんだかちょっと狭さと違和感を感じていたところだった。そして、今回の「強靭さ」という、しっくり来る言葉に出会うことができた。

「強靭さ」。まだ、自分の頭の中で十分整理は出来ていないけれど、別にそれは強い肉体と精神を持つとか、我慢に耐えうる忍耐強さをつけるとか、そんな単純な話ではない。人は生きていると辛いことが山ほどある。これに直面したときに、どういう考えをしてどういう行動をとるのか…といったことは、意外と生きて行く道の中で鍵となることが多かったりする。そこに耐えうる強靭さ。きっと、自分を振り返ればわかるだろう。僕も日々、学校で働いていて苦しみ、悩み、逃げ出してしまいたい、投げ出してしまいたいと思う局面はある。年に1度や2度は、自分の力ではどうしようもない大きな問題に打ち当たりその立ちはだかる壁の前で、足をわなわな震わせながら立ちすくむしかないような出来事だってある。けれど、それに負けないのは、僕の中で大切な物があるからである。こんなところで負けて入られないというものがある。守りたいものといったっていいかもしれない。僕は「強靭さ」といったって、肉体的にも精神的にも弱い人間だと自分で思っているけれど、それでもこうして頑張っていられるのは、そういうものがあるからである。そういう「強靭さ」を身につけることが生きる上では大切なんだろうと思う。この「強靭さ」は人によって違う。

そして、もうひとつ感じたこと。この時代の流れは早く5年後すらどうなるのかがわからないという認識をもってもいいんだ…ということ。

教師は学校という狭い世界にいて、(誰もが多忙の中そういう情報を集めているのだと思いますが)なかなかそういった情報に目を向ける機会がないし、本当に今は変化のはやい時代だ。そんな種々の状況を踏まえてみても、未来を見据えることの困難さを覚えていた。けれど、進路教育は子どもたちの10年後20年後のためにあると思ってもいる。単なる出口指導、つまり進学先や就職先を選ぶというそんな話ではない。そこの未来を見据える困難さと進路指導の目的のアンバランスさに、どうしたらいいのかとても迷っていた。

そして、今日佐伯さんの言葉をお聞きして「先のことはわからない、、、ああ、そう思っていていいんだ」と思った。いました。だからといって、先のことを考える必要がないとは思っていないし、社会の流れは当然知る必要があると思っている。しかし、間違いなく、そんな「こういう時代だから、こう育たなければならない」という感じで、時代と社会に合わせた画一的な教育ではなく、いつの時代もどういう変化がおきても、一人の人間が社会で生きていくために、人の根本的なこと、生きる土台となるものを育むことが大切だし、その内容的にそれがどういったものなのかを少し整理することができた。

先週、進路教育を考えるシンポジウムがあり、そこで司会をしていたが、法政大学の児美川先生が「キャリアンカーを育む」ことが進路教育では重要ではないかといっていた。世の中の風潮として「やりたいことをみつけなさい」といったり、キャリア教育の一環で職場体験なんか中心となっていて、それを通じてなりたい職業を探すという動きは強いが、そんなことをやっても意味がない、、、と。自分にあった、自分がしたいと思うこと、アンテナに触れる事柄に出会うことが大切だと。

保育所にボランティアに行くうちに、子どもたちが可愛いと感じ、子どもたちを育てたい、ふれあいたいという気持ちを抱く。そういう錨、アンカーが大切であって、職業はなんでもいいんだ…くらいの気持ちがちょうど良いんじゃないのか…という趣旨のことを言っていた。端的に言えば、そのためには色々な経験をさせることが大切なんだろう…と思う。きっと、そういうアンカーは、多少の時代・社会の変化に耐えうる強靭さのひとつなんだろうと思う。

「イキイキと生きる進路をひらくために」 ~親・学校・地域にできること~ に参加してきました。


さて、昨日のダンスフェスティバルの余韻を引きずりながら、今日は東京へ。「イキイキと生きる進路をひらくために」 ~親・学校・地域にできること~ というイベントで司会。

北星余市と懇意にさせていただいている、エルムアカデミー自由の森学園との共催。

コーディネーターは児美川孝一郎先生( 法政大学キャリアデザイン学部教授 )。

同企画の趣旨は下記の通り。
2013 年 1 月に開催され 100 名が参加した「イキイキと生きるための進路教育」シンポジウムの第 2 弾企画。今回は、じっくりと児美川先生のお話を聞きながら、事例報告では、各地域や学校が取り組んでいる様々な進路教育の実践や子ども・若者の状況、そして父母の話を聞きます。高校でやり直しを遂げた若者や社会に出た後、自ら起業した卒業生などの生の声をお届けします。
今回も大きなテーマは高校・大学・職業選択だけの進路指導ではなく、若者たちがこの社会で「どのように生きていくのか」ということ。 小・中・高校時代(あるいはそれ以後も)悩みを抱えて生きつつ、その後、社会人としてどう生きていくのか、そのための親や学校や地域はどうあるべきなのか。参加者を小グループに分けてグループ討論もおこない、より論議を深めていきたいと思っています。
進路教育なんて、どうあるべきか、自分の中でまとまっていない、ぜーんぜんまとまる気配すらないのに、司会だとか発表だとか。「ちょっといいの?」とか思いながら。

だいたい、進路教育なんて、とてつもなく遠大なテーマだと思う。個人の資質と社会の状況とご縁をベースに、どんな考え方をしてどんな選択をするか。単純化すれば、生きるってそういうことだと思うし、いわゆる学校における進路教育なんていうのはそのほんの一端を担っているだけで、生まれてから社会で自立するまでの家庭教育、学校教育、社会教育、出来事・経験、それら全てが進路教育なんだろうと思う。ローマは一日にしてならず、みたいな。

それを考えよう!というのだから、僕らも含めてエルムさんも自森さんもチャレンジャーだと思う、笑。でも、そういう姿勢が好きだし、大切だと思う。

進路教育に対して、自分の考えが定まっていないとはいえ、考えるところはある。

が、まぁ、それは今はいいとして、今日、児美川先生のお話から学び感じたことを一つ。

学校の先生になりたい、医者になりたい、弁護士になりたい、パイロットになりたい、大工になりたい…幼稚園や小学校の卒業誌には、決まって「将来の夢」のような欄があり、そこには職業が書かれている。けれど、中学生や高校生になると途端にそこが見えなくなる。それは子供たちが現実社会の厳しさを実感したからだと見ることもできるかもしれないが、僕が児美川先生の話から僕が感じたのは、それを大人がつぶしている可能性は大きいということだった。

子供たちが、将来の夢としてなりたい職業をあげていったとき、「おお、さすが我が子よ!」と両手を叩いて喜び、「さぁ、じゃぁ、それになるには何をしなければならないか考えなければならない」「そのためには勉強しなければならない」と考えるかもしれない。塾に通わせる親がいて、何かの専門的なスクールに通わせる親もいるだろう。「そんなものなれっこない」とはなっから流す人もいるだろう。

しかし、大切なことはそういうことではなく「この子がなぜ「学校の先生」に惹かれているのか、なぜ「医者」に惹かれているのかと考えること」なんだと。

そうしたとき、子供たちの興味が見えてくる。人に物ごとを教えること、自らの伝えることによって人がより良い人生を歩んでくれること、病気で困っている人を健康で幸せな生活へと導くこと、心の悩みに寄り添うこと、物を創ること、自分の創った物が社会の役に立っているという喜びを感じること。子供は言語化はしないしできないが、「なりたい!」というその職業の魅力を、きっと感じている。そこを大切にしてあげることが、きっと大切なことなのだと思う。

これらの『ある人物が自らのキャリアを選択する際に、最も大切な(どうしても犠牲にしたくない)価値観や欲求のこと』(Wikipediaより)をキャリア・アンカーという。

「やりたいことをみつけなさい」「なりたい職業を探しなさい」というヤリタイコト神話が、もはや強迫に近いレベルで子供たちの周りに押し寄せていると僕も思う。ずっと「なんか、違うんだよなぁ」と感じていたことが見えた気がした。

いつしか、医者になること、教師になること、アーティストになること、「なること」事態が目的となってしまう。なりたいものを見つけたって、それになれるのは実際は一部の人間でしかない。その目的が達成できないと察した途端に、自分はその点で負け組になり、努力が足りない、頭が悪い、自分は結局そんなもんだ…という意識になってしまう。いつしか、それでも社会で生きて行くためには、お金を稼ぎ飯を食って行かねばならないという現実が押し寄せて来て、そのことが働く目的となってしまう。夢は遠い彼方。

学校の先生にならなくたって、人に物を教える職業はいくらでもある。医者にならなくたって、人の健康に携わる職業はいくらでもある。大切なのは、その職業に就くことではなく、自分の中にある最も大切な価値観や欲求をいかにして実現していくのかということなのだろう。きっと、そこに基づいて生きている人というのは、イキイキとした生き方をしているに違いないと思う。

そして、もうひとつ。小さい頃に感じた興味や関心や使命を、大切に温めながら、大人になって実現する人も一部いるだろう。けれど、大半の人は、行ったり来たりしながら、それを見つけるものなのだということ。そうした価値観や欲求は、探しなさいといって見つかる物では、おそらくないのだろうということ。これは天からの贈り物のように、ふとした瞬間に舞い降りてくる物なのだと思う。ある日「あれ?なんか、オレ、こういうことに興味あるかも」と気がつく人もいれば、雷に打たれたような出来事に遭遇してそんな自分を見つける人もいるだろう。

そのためには、やはり、沢山の出来事、沢山の経験、それを生んでくれる沢山の人との出会いが、もっとも大切なことだと思う。職業人として働いている人で、今の自分のしていることに誇りを持っている人の中には、「最初はそのつもりはなかったんだけど…」という人は多いはず。そういうものなんだろうな…と児美川先生の話を聞いて思った。

うん、でも、だからといって「じゃ、沢山の出来事を経験させないと!沢山の人とふれあわせないと!」となってしまうことも、また違うような気がする。こういうことって「○○のためには、〜しなければならない」ということを強く意識された状態で、次の人に手渡された時点で、もはや強迫でしかなくなっていることが多い。

道端で見かけた猫は、人が意識をすると一目散に逃げ隠れてしまう。いくら猫がかわいらしくても、そばにいてほしいのなら、あえて興味がない雰囲気を醸し出しながら、見て見ぬ振りをするくらいの芸当ができないといけないのに似ていると思う。








SOPRATICO DANCE SCHOOL FESTIVAL VOL.14。


卒業生が株式会社ソプラティコ(http://www.sopratico.com)さんという会社のダンススクールでインストラクターをしている。ソプラティコさんには、北星余市の総合講座に協力してもらって、ダンス講座を開いてもらっている。

今日はそのダンススクールのイベント、SOPRATICO DANCE SCHOOL FESTIVAL VOL.14が小樽市のマリンホールで開催された。

きっと彼はこんなことを書かれてはいやがるだろうが、入学時の彼は本当に手の焼ける子だった。1年生のとき、僕は担任をもっていた。あまりに生生しい出来事なのでここには書かないが、♪おもいでぇ〜がぁ、いぃーっぱーい!♪である。

当時は本当に僕自身、どうしたらわかってくれるか悩みに悩んだ。が、こうして北星余市を卒業し、北星余市でした経験、学んだこと、身体と心ですーーーーっと吸収してくれたこと(それが全てではないだろうが)をもって、生きてくれているのが本当に嬉しい。

彼は北星余市でダンスに目覚めた。ド素人の私には彼も言われたくないだろうが、卒業するまで、お世辞にも上手いとは思えないダンスだった。あんなに練習していたのに、ぎこちない。しかし、その彼が、卒業後の進路はダンスの専門学校に行くという。3年生の時は僕の担任ではなかったので、うーん???と思いながらだったが、好きこそものの上手なれ…か、今は当時の面影もない。流れるように滑らかで、リズムが身体の動きに合わせているような気にさえなる。


今の彼はあのときの彼とは違うのはわかっているが、どうしても僕の中ではあのときの彼が見える。その彼の周りにこんなに沢山の人達が集っている。彼を慕い、彼からダンスを学び、またきっとダンス以外のことも学んでいる人達がいる。彼がそういうたくさんの人達の中で支えられながら生き、自分の好きなダンスを通じて生きている。北星余市での経験も含めた人生経験を、また下の世代へ伝えていっている姿に、少し目が霞んだ。ありがとう。

うん、でも、やっぱり、あいつと敬語で会話をするのは気持ちが悪い、笑。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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