Archive for 2013

北海教区通信・第189号に北星余市を応援してくれる温かいメッセージ。

北海教区通信に北星余市のことが書かれていた。後志地区、余市教会の小西牧師からのメッセージ。地域の方に支えれて存在しうる北星余市。地域の方の温かい思いに感謝。
北星デーの取り組み
余市教会では、2012年度から北星余市高校の働きをおぼえ、地域の皆さんに知っていただく日として、5月と10月に「北星デー」を開催しています。毎回、北星余市高校の教員や学生の皆さんに、北星余市高校が目指す教育、学校生活などについての話をしていただいています。10月20日に開催した今回の北星デーには27名の方々が来てくださり、3年生の上野幸星さん(余市教会員)、坪島真也さんが、今夏に出かけたフィリピンでのボランティア活動についてのお話をしてくださいました。余市教会は、北星余市高校の創立に深くかかわった教会として、今できる最大限のことをして支えたいとの祈りを持っています。余市教会は現在、「地域に必要とされる教会として」との標語をかかげて歩む中で、わたしたちは今、北星余市高校について2つの願いを持っています。
①北星余市の学生たちが集える場所になりたい。
②余市教会を会場にして、地域に向けて、北星余市高校の学校説明会を開催したい。
これらの働きをおぼえて、お祈りください。
北海教区通信 第189号より

チョークアートのLOVEIさんと飲む。

先日「北星余市で自分ができることはないだろうか」とつながりを求めて来校してくれたLOVEIさん。そのときに「飲みに行きましょ」といって、本当にいってきた。

Lovei Labo:http://ameblo.jp/loveilab/

余市のいっ徳さん。牛カットステーキサラダが美味しかった。もつ鍋・塩味も。僕はもつは食べたくないものなんだけど、もつ鍋のスープと野菜は大好きだったりする。

せっかくだから、他の教員、やっさん、堀さん、小野澤先生、本間ちゃんと北星余市を使って地域の英会話塾(という表現は適切ではないと思うけど…)を開いてくれているひねさんも誘って。なんか、おもしろーい組み合わせ。好きなメンバーが集まってる。

ひね塾
ホームページ:http://hinejyuku.jimdo.com
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/hineyoko

18:30から20:30まで。みんなであーでもない、こーでもないと。僕はとても楽しい時間だった。みんなで何か面白いことができればいいと思う。


この15年。

昨日は学期ごとの教員の慰労会だった。北星余市では学期が終わるごとに各学年部会(担任・副担任)で慰労会を行う。ここでは今学期にあった嬉しかった出来事もつらかった出来事も、おいしい料理とともにみんなテーブルに上がる。あのとき、あーすればよかった。あの子は成長した。次の学期はどうするのか。といった生徒の話から、学校の運営に関わる話、プライベートな話まで何でもありの時間。そんな話をしながら、お互いの労をねぎらい「何はともあれお疲れさん、また来学期も頑張ろうね」という時間を過ごす。ここ数年、教員が減ったことで、各学年部会の人数が6人とか7人とかでちょっと寂しい。来年度からは学年関係なくみんなで飲めばいいのに。たかだか20名程度なんだし。

今回も余市のやす幸さんで開催。ちょっと遅れてお店に入ると、我々のグループとは別に、懐かしの面々がそろっていた。入ってすぐ、右手のテーブル席には、往年の退職された先生たちがずらりと並んでいた。どうやら退職教員の会というのがあって、忘年会というか先日無くなられた先生を偲ぶ会というか、そんな様相を呈している。懐かしの面々。在職当時は考え方や意見が合わず、半ばけんか腰に言い合いをしていた先生同士も、笑顔で集っている。お互い、生徒を思うが故のこと。目指すべきは子どもの成長と幸せだった…という空気が流れている、、、と若造は勝手に感じ取る。まるで、ウルトラマンファミリーがならんでいるかのよう。なんと圧巻だったことか。

と同時に、寂しさも感じた。あのテーブルには、総勢15人はいただろう。これだけの先生たちが私の在職している14年間に退職されている。この場にいない数名の退職や転勤をされた先生を考えると20名弱になる。一方、私よりあとに入って来た教員は4名。つまり、15名ほどのマンパワーがそがれてしまっているということだ。15名分の仕事が現在20名の教員にのしかかっている。もっというと、北星余市は、担任は生徒に向かい合うことのみに専念させるという体制を貫いており、分掌等の仕事は副担任ですべて担っているため、この15人分が10人の上にのしかかっているといってもいいかもしれない。

当時は北星余市の時間の流れは優雅だったな…ととても思う。ああいう、優雅な時間の流れは、教育の現場には本当に必要だと思う。担任を持っていないとはいえ、北星余市の教育は担任だけが子どもを見るのではなく、全教員が見ることが大切。生徒指導上、担任や担任団では見えないところ、担えないことも多く、それを副担任が担っている。教材準備に終われ、分掌等の事務作業、書類に追われている中では、子どもたちに向き合う時間は取れない。無理をしてとっても、心に余裕がないと、真っ正面から向き合えない。子どもたちは全力でぶつかって来る。教員が頭の片隅で事務作業のことを考え、片手間でやっていることなど見抜く。本当に良くない。言葉は悪いが、片手間で分掌の仕事をこなし、メインは子どもに向き合うこと、そういう風土がかつての北星余市にはあった。

子どもに向き合うためには、そういう余裕は間違いなく必要である。どうすればいいものか。

ステンドグラス風の装飾を職員室の窓に。


クリスマス時期になると、教会にあるステンドグラスは、また普段とは違う魂の存在を放つように感じられる。寒々しい気候に彩りを与え、暖かみを感じさせてくれる。

北星余市高校は、キリスト教の学校である。私はクリスチャンではないけれど、14年キリスト教主義の学校に勤めていて、人を包み込む柔らかく温かなキリスト教の存在を偉大なものと感じるようになった。

商業的なクリスマスの雰囲気も嫌いじゃないけれど、それとはまた違った、キリストの生誕を祝い、それを機に人とのつながり、温かさを振り返る、そういう空気がある。せっかくだから子どもたちに、少しでも感じてほしいと長年思っていた。ひとつの文化を3年間の高校生活で味わうことは、きっと小さいけれど一つの経験なのだろうと思う。



幸い、今年から総合講座の講師として、卒業生の親御さんであり、牧師の奥さんの方が引き受けて下さった。北星余市らしさもよくわかってくれていて、色々と聖書科の先生と相談をしながら、「まずは、動こう」とやってみた。

デザイン画を卒業生の親御さんとそういうことに長けている一人の生徒に書いてもらった。模造紙大の図柄。それを聖書科の授業を使って、一人一枚B4くらいの大きさに分けて、カッターで白い部分をくりぬく。不器用な子も器用な子もいる。



初めての取組、多忙な業務の中、気がつけば2学期の終業式が目の前に迫っていた。くりぬかれた図柄まではできていたが、今度はラミネート加工して、一枚の絵に統合して、色を塗る作業が残っていた。どう考えても日程的に厳しい様相だったが、せっかくの取組、図柄を書いてくれた二人、授業で一生懸命くりぬいた生徒たちの顔を思い浮かべて、なんとしてでもやらなければ!と、生徒・教員に声をかけて、なんとかできあがった。

やればできるものだ。私一人では絶対になし得なかった。一緒になって自分のことそっちのけでやってくれる人、まずは自分のことをやってから手伝ってくれる人、ちょっとだけの隙間にちょっとだけ手伝ってくれる人、気にかけて声をかけてくれる人、いろんな人がいた。どの人にも感謝。一人一人の力は小さいけれど、みんながほんの少しずつ手伝ってくれたことで、あっという間にできあがった。



今年はまず職員室。この作品は、ずっと使えたらいいな…と思って、ラミネート加工している。代々、その年その年にいる生徒たち、教員たちの思いと思い出のつまった作品を大切にしていきたい。そして、来年、再来年も続けていって、職員室の窓だけでなく、教室、会議室の窓、玄関フード、クリスマスの時期になったら、学校中の窓という窓が、不器用で不細工だけど、みんなの手で作った色とりどりのぬくもりに包まれる日を夢見ている。



風の旅人 復刊3号。

先日2013年11月17日(日)に北星余市主催で開催した「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」(http://www.hokusei-y-h.ed.jp/information/?c=1&s=14753#14753)でご縁があった佐伯剛さんが編集長を務める『風の旅人』の復刊3号をやっと読むことができた。

素敵な紫色の表紙に包まれた雑誌が届いてから、2週間はたったんじゃないか。私の机の上で紫色が誘惑してきたが、舞い降りて来るものたちに追われ「ちょっと、まっててね」と声をかけて来た。帯広から帰って来て、むさぼるように読んだ。

読み終わって、不思議な世界を見た。、前もそうだったが、この余韻が僕にとっては良い。

『風の旅人』は復刊2号も読んだし、復刊前のものも1冊読んだ。僕にとっては、この雑誌、、、雑誌?はよくわからない。なんとも不思議。佐伯さんは「雑誌」というが、雑誌と言えば雑誌なんだろう。けれど、写真家の方々に愛好されているようで、あの鋭い写真、そして写真の量からしても、写真誌ともいえるのだろうが、俗にいう写真誌や写真集とはまた違う気がする。

形態もよくわからないが、書かれていることもよくわからない。個別の作家さんが書いていることの中で、特に文学作品的な、空想的で時空を超えたような作品を理解するには、僕の想像力では足りないらしい。読解力が足りないという問題を感じつつ、でも、これは読解力の問題じゃない、経験の豊かさから湧き出る想像力の問題のような気もする。ルポルタージュ的な作品は、比較的、理解しやすく、すーっと入ってくるが、今度は、その底流に流れているものがわからない。感じるんだけど、見えない。そんな読み物。

今号は「妣の国へ 〜来し方 行く末〜」とタイトルがついている。生と死の根源を「感じる」だけ。

ただ、僕が『風の旅人』から感じるのは
彫刻家ブランクーシは言った。「実在を表現するということは、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ること。」確かにその石は言われてみれば新幹線にそっくりで、ひとしりき私を笑わせてくれた。しかし見る人によっては家鴨であり、靴なのである。石は石だと言い張る人もいるのにちがいない。それでも孫はその石に、風を切る速さを見たのだろう。一瞬にして走り去る憧れのはやさを。天晴れ、孫も芸術家であったのか。
『風の旅人復刊3号〜とこしえの波・望月通陽』102ページ

ということ。写真を見て、読み物を読んで。

読んでいる自分が、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ろうとさせられていることに気がつく。自分の世界のあちら側の世界のような気がする。まったく必要性のない、読まなくたって日常に支障のないものなんだけど、不思議と惹かれる。読まなきゃいけない気がするし、誘われるし、わからないけど読みたいと思う。

はるにれの会20周年祝賀会、全国のつどい実行委員会慰労会。



今日は午後1時から1時間、ステンドグラスの色塗りのために学校へ。そのあと18:00から開催される祝賀会にむけて帯広へ校長と移動した。

帯広には20年も続くはるにれの会という不登校の親の会がある。同会には北星余市卒業生の保護者も複数人、事務局として参加している。地域に密着し、人とのつながりを大切にし、何より学校に対する苦しみや悩みを抱えている子ども、そしてそれを見守る親に希望の光を与える場であったからこそ、長い年月の活動があったのだろう。

20年前といえば、1994年。当時はまだ不登校は今よりもまだ理解がされていない時代だった。挨拶をされた方の「私たちが会を始めた当時は、不登校になってしまった子どもを抱え、この先がいったいどうなるものか、お先真っ暗な気持ちで、みんなが集っていた」という言葉が耳に残っている。そうだ、今でこそ不登校をしていても、私たちのような全日制高校をはじめ、通信制高校、定時制高校と受け入れてくれる高校があり、それらの学校を卒業して立派に社会で自立している人がいる。しかし、当時、不登校を経験した子どもたちを受け入れる高校というのは、私たちのような一部の高校しかなかったし、不登校は子育ての問題であり、子どもの怠けであると一蹴されていた時代だった。

20年間、毎月定例会を開催し、不登校の子供をもつ親御さんに寄り添い、お互いに励まし合いながら、子どもたちの無限の可能性を信じ、それを明日に託し、、、、いや、そんな綺麗な言葉では済まされない現実と戦いながら歩まれて来た会のみなさんに敬意を表したいと思う。

私たちのような高校やはるにれの会のような場所は、本来ない方が良い。20周年を迎え、会のますますのご発展を…といいたいところだが、その裏側には、20年間、そういう社会問題がいっこうに解決されないことを意味している。このことを深く噛み締めながら祝うという不思議な気持ちになった。



今年度は当会が事務局を引き受け、18回目の不登校・登校拒否問題全国のつどいが開催され、北星余市からも実行委員会に複数回、当日は10名の教員が参加して世話人を務めた。祝賀会にはそこで出会ったたくさんの人達が参加していた。はるにれの会には本当に素敵な人達が集っている。子どもの未来を考える素敵な人達だった。

2:00まで、そんな素敵な人達と楽しいひとときを過ごした。

余市町でチョークアートをされているLOVEIさんが訪ねて来てくれた。

「ちょーかーとのかたから電話がありましたよ」

出張あけの朝、いつも電話をとってくれている安藤さんから声をかけられる。
「はい?なんて?」
「ちょーかーとの・・・」
「ん??」

僕は日本人だけど、なぜかこの日本語が聞き取れないし、理解できない。
うーん…

名刺を預かっていたようで、見てわかった。
チョークアートのLOVEIさん。
LOVEIさんは、ラビさんと読む。

あー!2012年8月に余市の青年会議所が主催して余市の未来を考えるセミナーがあって、そこで未来図を書いていた方だ。なんだろ、お電話?と思っていたら、ラビさんからかかって来た。

「北星余市のために何か私にできることはないか」

なんとストレートでありがたい。

早速、学校にご足労いただいて、90分近くも話し込んだ。
色々と聞かせてもらった。

13年前、北星余市で行っている弁論大会(後志の地区大会をかねているため、他の高校の生徒も出場できる)に出場した経験があるとか。そのとき、初めて北星余市に足を踏み入れ、会ったこともないよその高校の生徒がステージにたち弁論をしているにも関わらず、うちの子らは「がんばれー!!」と声援を送ったらしい。うちの子らしい。

そのときに感じた北星余市への思いを心にあたため、余市町に存在する北星余市のことを思って、申し出てくれた。

北星余市で弁論をしていたなんて知らなかった。本人もきっとあのときの経験がここにつながるなんて思ってもみなかっただろう。そして、つい去年にチョークアートを通じて、間接的にお互いの存在をしっていた。LOVEIさんからコンタクトをとってきてくれたからつながったんだけど、そういうご縁なのだろう。

早速質問攻め。答えに質問を重ねる。面接しているわけじゃないけど、なんだか興味がありまして。そして、一通りきいて、一通り話して口から出た言葉。

「じゃ、近いうちに飲みに行きましょう!」

我ながらなんておかしな展開。酒、飲めないくせに。まぁ、そういう気持ちになったんだから、それでいいんでしょう。きっと、笑。

セカンドチャンス!の方が4日から視察来校。そして、セカンドチャンス!北海道交流会に参加。

2013年12月4日から6日にかけて、セカンドチャンス!の方々が北星余市に視察にこられた。

セカンドチャンス!とは、、、セカンドチャンス!のブログから抜粋
セカンドチャンス!はまっとうにいきたい少年院出院者の全国ネットワークです。支援者、利用者という関係ではなく、あくまで対等で、上下関係なく、しがらみや不良文化を持ち込ません。悪ぶらなくてもいい、かといって真面目ぶらなくてもいい、ありのままの自分を出していけるような新たなつながりを築いていきます。この輪がどんどん大きくなっていきますように。

現在、全国で11の支部があり、その支部によってまた活動や考え方も違いがあるようだけれど、上に書かれている大切にしたいことは共通していて、北星余市でも使う、耳になじむ「まっとうに生きる」ことを大切に考えている方達。

本当に陽気で気さくで温かい人達ばかりだった。視察を受け入れる側としては、もっと気を使わないといけないんだろうし、お客さんとして対応しないと行けないんだろうけれど、なんだかすぐに親しみを感じてしまって、楽しくなってしまって、友達をつれて来てみせている感覚になってしまった。


生徒との座談会、教員との飲み会、スポーツ大会を自由に見てもらって、寮下宿も見てもらい管理人さんとざっくばらんなお話、そして謹慎の館で酪農作業をして夜はバーベキュー。そんな感じであっという間の3日間でした。また、遊びに来てほしいな。


ちょうど、去年のこの時期も別の方達がたくさんで学校視察に来てくれて、同じような機会を持ったんだけど、またその人達とも会いたい。今回おこしになった人達、去年おこしになった方、みんな一緒に時間を過ごすことができれば、どれだけ楽しいだろうなぁ、、、と思う。

そして、今日の夜は、セカンドチャンス!北海道の交流会が札幌であり、参加して来た。今回、北星余市視察の際におこしになっていた、セカンドチャンス!京都の代表と監事が「せっかく北海道に行くんだから北海道でもやろう…」と企画したもの。2時間ほど会議室でテーブルを囲んでの実施だったが、それはあっという間に終わって、そのあと、近くのキリンビール園で飲み会。こっちがメインでしたね、笑。いや、これで、いいんだと思いました。めっちゃ楽しかった。

また、ぜひ。


「教師という仕事と学校職場の現在」というイベントに参加してきた。

2013年11月30日、北海道大学で開催された「教師という仕事と学校職場の現在」というイベントに参加してきた。日本教育学会北海道地区と北海道大学教育学研究院の主催。

基調講演をされた油布佐和子先生(早稲田大学教育・総合科学学術研究院)の話をはじめ、教育職員の実態、すなわち教員がどれだけ大変な状況におかれているのか…という話がメイン。

多忙化の問題、指導困難性の問題、地域力の問題、職場集団作りの問題、家庭との関係における問題、、、まぁまぁ、問題は山積みです。システムとして問題性をはらんでいる場合もあれば、個々の資質の中に問題性をはらんでいる場合、関係性の中に問題をはらんでいる場合、まぁまぁ、それも様々です。教育職に就いている者からすれば、それは一概には言えませんな。

僕は
○教員に余裕を与えること
○上意下達の管理的な職場風土をなくすこと
○意欲とモチベーションを高める取組をすること
○家庭や地域との連携を深めること
で、この状況はずいぶん変わると思います。

まぁ、でも、この4つが変わることは相当厳しいことだと思いますけど。

「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」雑誌『風の旅人』編集長・佐伯剛さんをお招きして。



2013年11月17日、品川区中小企業センターで北星余市の教育講演・相談会を開催した。その講演・相談会に先立って午前中に「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」というトークイベントを開催した。トークイベントを企画した意図は、風の旅人編集長・佐伯剛さんを訪問。を見てほしい。発案した時から時間が立つにつれ、色々な意図の色合いが濃くなったり薄くなったりした感があるが、最終的には佐伯さんのお話を通じて、3年間の子供たちの高校生活において大切なことが、ひとつ言語化できた。

佐伯さんは話の最後の方で子供たちに「強靭さ」を身につけることの必要性を言われていた。僕のアンテナにそこがピピッと触れた。

昨年から北星余市は進路教育の充実を考え始めていたところで、若者の就労の実態、就労支援の現状を見聞きするたび、彼らに何を育ててあげることが大切なのか…ということをずっと考えて来ていた。同じ不登校を経験して来ている子どもでも、北星余市で過ごした子どもたちでも、高校時代の後、強く生きている子とそうでない子の違いは一体なんなんだろう…どういうものを身につけさせてあげれば良いのだろうか…と考えて来ていた。それを僕は「人間関係で生きる力」のあるなし、、、という形で表現をしていただが、実はなんだかちょっと狭さと違和感を感じていたところだった。そして、今回の「強靭さ」という、しっくり来る言葉に出会うことができた。

「強靭さ」。まだ、自分の頭の中で十分整理は出来ていないけれど、別にそれは強い肉体と精神を持つとか、我慢に耐えうる忍耐強さをつけるとか、そんな単純な話ではない。人は生きていると辛いことが山ほどある。これに直面したときに、どういう考えをしてどういう行動をとるのか…といったことは、意外と生きて行く道の中で鍵となることが多かったりする。そこに耐えうる強靭さ。きっと、自分を振り返ればわかるだろう。僕も日々、学校で働いていて苦しみ、悩み、逃げ出してしまいたい、投げ出してしまいたいと思う局面はある。年に1度や2度は、自分の力ではどうしようもない大きな問題に打ち当たりその立ちはだかる壁の前で、足をわなわな震わせながら立ちすくむしかないような出来事だってある。けれど、それに負けないのは、僕の中で大切な物があるからである。こんなところで負けて入られないというものがある。守りたいものといったっていいかもしれない。僕は「強靭さ」といったって、肉体的にも精神的にも弱い人間だと自分で思っているけれど、それでもこうして頑張っていられるのは、そういうものがあるからである。そういう「強靭さ」を身につけることが生きる上では大切なんだろうと思う。この「強靭さ」は人によって違う。

そして、もうひとつ感じたこと。この時代の流れは早く5年後すらどうなるのかがわからないという認識をもってもいいんだ…ということ。

教師は学校という狭い世界にいて、(誰もが多忙の中そういう情報を集めているのだと思いますが)なかなかそういった情報に目を向ける機会がないし、本当に今は変化のはやい時代だ。そんな種々の状況を踏まえてみても、未来を見据えることの困難さを覚えていた。けれど、進路教育は子どもたちの10年後20年後のためにあると思ってもいる。単なる出口指導、つまり進学先や就職先を選ぶというそんな話ではない。そこの未来を見据える困難さと進路指導の目的のアンバランスさに、どうしたらいいのかとても迷っていた。

そして、今日佐伯さんの言葉をお聞きして「先のことはわからない、、、ああ、そう思っていていいんだ」と思った。いました。だからといって、先のことを考える必要がないとは思っていないし、社会の流れは当然知る必要があると思っている。しかし、間違いなく、そんな「こういう時代だから、こう育たなければならない」という感じで、時代と社会に合わせた画一的な教育ではなく、いつの時代もどういう変化がおきても、一人の人間が社会で生きていくために、人の根本的なこと、生きる土台となるものを育むことが大切だし、その内容的にそれがどういったものなのかを少し整理することができた。

先週、進路教育を考えるシンポジウムがあり、そこで司会をしていたが、法政大学の児美川先生が「キャリアンカーを育む」ことが進路教育では重要ではないかといっていた。世の中の風潮として「やりたいことをみつけなさい」といったり、キャリア教育の一環で職場体験なんか中心となっていて、それを通じてなりたい職業を探すという動きは強いが、そんなことをやっても意味がない、、、と。自分にあった、自分がしたいと思うこと、アンテナに触れる事柄に出会うことが大切だと。

保育所にボランティアに行くうちに、子どもたちが可愛いと感じ、子どもたちを育てたい、ふれあいたいという気持ちを抱く。そういう錨、アンカーが大切であって、職業はなんでもいいんだ…くらいの気持ちがちょうど良いんじゃないのか…という趣旨のことを言っていた。端的に言えば、そのためには色々な経験をさせることが大切なんだろう…と思う。きっと、そういうアンカーは、多少の時代・社会の変化に耐えうる強靭さのひとつなんだろうと思う。

「イキイキと生きる進路をひらくために」 ~親・学校・地域にできること~ に参加してきました。


さて、昨日のダンスフェスティバルの余韻を引きずりながら、今日は東京へ。「イキイキと生きる進路をひらくために」 ~親・学校・地域にできること~ というイベントで司会。

北星余市と懇意にさせていただいている、エルムアカデミー自由の森学園との共催。

コーディネーターは児美川孝一郎先生( 法政大学キャリアデザイン学部教授 )。

同企画の趣旨は下記の通り。
2013 年 1 月に開催され 100 名が参加した「イキイキと生きるための進路教育」シンポジウムの第 2 弾企画。今回は、じっくりと児美川先生のお話を聞きながら、事例報告では、各地域や学校が取り組んでいる様々な進路教育の実践や子ども・若者の状況、そして父母の話を聞きます。高校でやり直しを遂げた若者や社会に出た後、自ら起業した卒業生などの生の声をお届けします。
今回も大きなテーマは高校・大学・職業選択だけの進路指導ではなく、若者たちがこの社会で「どのように生きていくのか」ということ。 小・中・高校時代(あるいはそれ以後も)悩みを抱えて生きつつ、その後、社会人としてどう生きていくのか、そのための親や学校や地域はどうあるべきなのか。参加者を小グループに分けてグループ討論もおこない、より論議を深めていきたいと思っています。
進路教育なんて、どうあるべきか、自分の中でまとまっていない、ぜーんぜんまとまる気配すらないのに、司会だとか発表だとか。「ちょっといいの?」とか思いながら。

だいたい、進路教育なんて、とてつもなく遠大なテーマだと思う。個人の資質と社会の状況とご縁をベースに、どんな考え方をしてどんな選択をするか。単純化すれば、生きるってそういうことだと思うし、いわゆる学校における進路教育なんていうのはそのほんの一端を担っているだけで、生まれてから社会で自立するまでの家庭教育、学校教育、社会教育、出来事・経験、それら全てが進路教育なんだろうと思う。ローマは一日にしてならず、みたいな。

それを考えよう!というのだから、僕らも含めてエルムさんも自森さんもチャレンジャーだと思う、笑。でも、そういう姿勢が好きだし、大切だと思う。

進路教育に対して、自分の考えが定まっていないとはいえ、考えるところはある。

が、まぁ、それは今はいいとして、今日、児美川先生のお話から学び感じたことを一つ。

学校の先生になりたい、医者になりたい、弁護士になりたい、パイロットになりたい、大工になりたい…幼稚園や小学校の卒業誌には、決まって「将来の夢」のような欄があり、そこには職業が書かれている。けれど、中学生や高校生になると途端にそこが見えなくなる。それは子供たちが現実社会の厳しさを実感したからだと見ることもできるかもしれないが、僕が児美川先生の話から僕が感じたのは、それを大人がつぶしている可能性は大きいということだった。

子供たちが、将来の夢としてなりたい職業をあげていったとき、「おお、さすが我が子よ!」と両手を叩いて喜び、「さぁ、じゃぁ、それになるには何をしなければならないか考えなければならない」「そのためには勉強しなければならない」と考えるかもしれない。塾に通わせる親がいて、何かの専門的なスクールに通わせる親もいるだろう。「そんなものなれっこない」とはなっから流す人もいるだろう。

しかし、大切なことはそういうことではなく「この子がなぜ「学校の先生」に惹かれているのか、なぜ「医者」に惹かれているのかと考えること」なんだと。

そうしたとき、子供たちの興味が見えてくる。人に物ごとを教えること、自らの伝えることによって人がより良い人生を歩んでくれること、病気で困っている人を健康で幸せな生活へと導くこと、心の悩みに寄り添うこと、物を創ること、自分の創った物が社会の役に立っているという喜びを感じること。子供は言語化はしないしできないが、「なりたい!」というその職業の魅力を、きっと感じている。そこを大切にしてあげることが、きっと大切なことなのだと思う。

これらの『ある人物が自らのキャリアを選択する際に、最も大切な(どうしても犠牲にしたくない)価値観や欲求のこと』(Wikipediaより)をキャリア・アンカーという。

「やりたいことをみつけなさい」「なりたい職業を探しなさい」というヤリタイコト神話が、もはや強迫に近いレベルで子供たちの周りに押し寄せていると僕も思う。ずっと「なんか、違うんだよなぁ」と感じていたことが見えた気がした。

いつしか、医者になること、教師になること、アーティストになること、「なること」事態が目的となってしまう。なりたいものを見つけたって、それになれるのは実際は一部の人間でしかない。その目的が達成できないと察した途端に、自分はその点で負け組になり、努力が足りない、頭が悪い、自分は結局そんなもんだ…という意識になってしまう。いつしか、それでも社会で生きて行くためには、お金を稼ぎ飯を食って行かねばならないという現実が押し寄せて来て、そのことが働く目的となってしまう。夢は遠い彼方。

学校の先生にならなくたって、人に物を教える職業はいくらでもある。医者にならなくたって、人の健康に携わる職業はいくらでもある。大切なのは、その職業に就くことではなく、自分の中にある最も大切な価値観や欲求をいかにして実現していくのかということなのだろう。きっと、そこに基づいて生きている人というのは、イキイキとした生き方をしているに違いないと思う。

そして、もうひとつ。小さい頃に感じた興味や関心や使命を、大切に温めながら、大人になって実現する人も一部いるだろう。けれど、大半の人は、行ったり来たりしながら、それを見つけるものなのだということ。そうした価値観や欲求は、探しなさいといって見つかる物では、おそらくないのだろうということ。これは天からの贈り物のように、ふとした瞬間に舞い降りてくる物なのだと思う。ある日「あれ?なんか、オレ、こういうことに興味あるかも」と気がつく人もいれば、雷に打たれたような出来事に遭遇してそんな自分を見つける人もいるだろう。

そのためには、やはり、沢山の出来事、沢山の経験、それを生んでくれる沢山の人との出会いが、もっとも大切なことだと思う。職業人として働いている人で、今の自分のしていることに誇りを持っている人の中には、「最初はそのつもりはなかったんだけど…」という人は多いはず。そういうものなんだろうな…と児美川先生の話を聞いて思った。

うん、でも、だからといって「じゃ、沢山の出来事を経験させないと!沢山の人とふれあわせないと!」となってしまうことも、また違うような気がする。こういうことって「○○のためには、〜しなければならない」ということを強く意識された状態で、次の人に手渡された時点で、もはや強迫でしかなくなっていることが多い。

道端で見かけた猫は、人が意識をすると一目散に逃げ隠れてしまう。いくら猫がかわいらしくても、そばにいてほしいのなら、あえて興味がない雰囲気を醸し出しながら、見て見ぬ振りをするくらいの芸当ができないといけないのに似ていると思う。








SOPRATICO DANCE SCHOOL FESTIVAL VOL.14。


卒業生が株式会社ソプラティコ(http://www.sopratico.com)さんという会社のダンススクールでインストラクターをしている。ソプラティコさんには、北星余市の総合講座に協力してもらって、ダンス講座を開いてもらっている。

今日はそのダンススクールのイベント、SOPRATICO DANCE SCHOOL FESTIVAL VOL.14が小樽市のマリンホールで開催された。

きっと彼はこんなことを書かれてはいやがるだろうが、入学時の彼は本当に手の焼ける子だった。1年生のとき、僕は担任をもっていた。あまりに生生しい出来事なのでここには書かないが、♪おもいでぇ〜がぁ、いぃーっぱーい!♪である。

当時は本当に僕自身、どうしたらわかってくれるか悩みに悩んだ。が、こうして北星余市を卒業し、北星余市でした経験、学んだこと、身体と心ですーーーーっと吸収してくれたこと(それが全てではないだろうが)をもって、生きてくれているのが本当に嬉しい。

彼は北星余市でダンスに目覚めた。ド素人の私には彼も言われたくないだろうが、卒業するまで、お世辞にも上手いとは思えないダンスだった。あんなに練習していたのに、ぎこちない。しかし、その彼が、卒業後の進路はダンスの専門学校に行くという。3年生の時は僕の担任ではなかったので、うーん???と思いながらだったが、好きこそものの上手なれ…か、今は当時の面影もない。流れるように滑らかで、リズムが身体の動きに合わせているような気にさえなる。


今の彼はあのときの彼とは違うのはわかっているが、どうしても僕の中ではあのときの彼が見える。その彼の周りにこんなに沢山の人達が集っている。彼を慕い、彼からダンスを学び、またきっとダンス以外のことも学んでいる人達がいる。彼がそういうたくさんの人達の中で支えられながら生き、自分の好きなダンスを通じて生きている。北星余市での経験も含めた人生経験を、また下の世代へ伝えていっている姿に、少し目が霞んだ。ありがとう。

うん、でも、やっぱり、あいつと敬語で会話をするのは気持ちが悪い、笑。

子ども・若者支援地域ネットワーク形成のための研修会で講演。



静岡県立大学公認のサークル、若者エンパワメント委員会(以下、YEC)が主催する子ども・若者支援地域ネットワーク形成のための研修会の講師として依頼を受けて静岡県沼津市にお邪魔してきた。

YECとは…講演依頼を受けた担当者からのメールを抜粋。
YECは社会の流れに委ねてしまっている若者に対して、若者自身の「可能性」を発揮する機会や場づくりの手助けをするために発足された静岡県立大学公認サークルです。
http://ameblo.jp/youth-empowerment/
このYECは内閣府の講演事業の委託を受けたのだとか。
この講演会は、平成25年「子ども・若者支援地域ネットワーク形成のための研修会事業」という内閣府の研修会事業です。社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者への総合的な支援を、社会全体で重層的に実施していく必要があり、研修の実施を通じて、子ども・若者支援に関わる様々な関係者の資質向上を図り、子ども・若者地域支援ネットワークの形成に資することを目的としています。
その中で「学校教育における社会参加〜シティズンシップ教育と学校民主主義」というテーマでお話をさせていただいた。まぁ、話したことは、北星余市における生徒会執行部の思いと動き、それを学校としてどう考えているのか…といういつものお話。

学校という場での経験が、子供たちにその後の社会生活で大きな影響を及ぼすとするならば、その学校生活創りというものも、もちろん、社会の一構成員としての在り方に大きく影響することになる。これは、子供たちが社会に出たときに、どういう社会を創っていくかについて、非常に重要な要素である。YECの団体説明にもあるように「社会の流れに委ねてしまっている若者」は多い。自らが自立し、社会に参画し、住み良い社会を作り上げて行くのだということを学ぶことは、学校の存在意義の一つであると思う。

北星余市では、基本的に学校行事や日常の取組を生徒たちに取り組ませている。ひとつひとつの行事も、生徒会執行部が夜遅くまで残り議論をして、原案を立てる。それをクラス役員の集まる評議員会におろして、各クラスで議論して、意見集約をし成案とする。そして、ひとつの行事に向かって取組を始める。私たち教員は小間使いであって、時折、考える材料を適度にさらっと提供する程度の役割である。「先生、これってどうなの?」なんて質問に「ん?わからん、執行部に聞け」ということもしばしば(もちろん、臨機応変に)。だって、先生たちの取組じゃないもん。「わからないことをなんでも先生に聞くんじゃない」「自分たちで直接主催者に聞きなさい」「自分たちで考えなさい」そんな感じ。失敗?多いに結構。問題?それまた結構。教師にとっては面倒くさいことだけれど、そういう出来事が起これば、またみんなで考えればいいじゃないか。そうやって社会は創られていく。

他の高校の生徒会執行部と合同で行事を進めるときに、生徒が先生の顔色をうかがいながら発言をしていたり、生徒同士の話し合いでまとまりかけていたものを、教員の一言でひっくり返し教員がまとめてしまうという場面をみかけるが、そんなことは「社会の流れに委ねてしまっている若者」を生むだけだよな…と思う。

そんなことを思いながら、北星余市の生徒会執行部の動き、それを受けた各クラス、そしてそのクラスの中での各生徒たちの動きについて、話をさせてもらった。

しかし、この取組を大学生が行っていることが僕はすごいと思う。つい、こういう大学生を見ると、自分の大学時代が少し恥ずかしく思うくらい。実直に、でも楽しみながら、こういうことについて、真剣に取り組んでいる。いい刺激をうけた。

最後の全国のつどいin北海道の実行委員会。

今日は2013年8月に行われた登校拒否・不登校問題全国のつどいin北海道(http://zenkokunotudoi2013.jimdo.com)の最後の実行委員会だった。昨年の12月からほぼ毎月のように帯広に日帰りで通った。実行委員会といっても実際はほとんど準備はしていない。実行委員会は、現地で事務局をされていた不登校登校拒否と向き合う親の会・はるにれの会皆さんを中心に、帯広地域の皆さんが準備してきたものに対して、全国から集まる皆さんにとってそれが良い物となるかどうか、意見を出し合う時間がメインだった。事務局の皆さんにとっては、さぞかし大変な1年だったと思う。北星余市からは10名の教員が当日参加して、世話人という形でお手伝いをした。各分科会の司会や書記、連絡係などを担当し、全国から集まる方、不登校で悩んでいる方、そういった方たちを支援されている方達と有意義な時間を過ごさせてもらった。

深夜1時過ぎても事務局の皆さんが本部で笑いながら今日を振り返り、明日のためにニュースを書いていたことが、今でも思い出される。何かを決めるわけではない「つどい」。つどって、思い思いの時を過ごす。それは心地よい時間だった。


今日はそのつどいの最後の実行委員会。まぁ、企画をたくさんの人で運営するということは、それぞれの思い、まして全国で思いの集まっている人達ばかりだから、その強さもあって、そして文化もあって、それぞれ思ったことはあっただろう。けど、本当にいい集まりだったんじゃないかって思う。

今までは実行委員会が日曜日に開かれ、翌月曜日は学校があったので日帰りして懇親会に出席しなかったが、今回は最後ということで懇親会に参加させてもらった。実行委員会に参加したり、世話人をしていたとはいえ、こういう懇親会のような場で話すのとはまた違う。もう少し、近い距離で話すことができる懇親会は楽しい。

その中でとある方からありがたい言葉をいただいた。「私も色々あったけど、北星余市はやっぱり、ちょっと違う学校だって思った。不登校で悩んで苦しんでいるまっただ中の親の気持ちを理解しようとしてくれている『学校』はそうそうない。というか、他には見たことがない。唯一つながることができる学校だと思った」と。

北星余市はこれまで29年間、不登校や非行、高校中退で苦しい経験をしてきた子供たちを受け入れて来た。その多くの子供や保護者から、北星余市につながる前は、人生の道を外れ出口のない暗闇をさまよい続けているようなものだったと聞く。

安定した給料と職に就くこと、欲しい物を不自由無く買い求めることができる生活が幸せな生活で、そういう生活を送る者が成功者とされる価値観。そのためにお勉強をし、テストの点数をとり、部活に精を出し、いい高校に入り、いい大学に入ること、そういう価値観を一般的に植え付けられている人達が多い。そういう価値観を持っている人達からすると、不登校や非行というものは人生の道をはずれ、しかもそれは戻ることのできない失敗であるととらえるのもわかる。私も北星余市で教員を務めなければそう思い続けていただろう。

しかし、北星余市の生徒たち、卒業生たちを見ていて、不登校や非行、それ自体はなんの問題もないことだということがわかった。そういう経験をしている人達が、そのままの流れの中で、自分を否定し、世の中に受け入れられないままにいることで苦しい生を送っている傾向があることはある。しかし、それはそういう経験をした後に、適切な考え方ができなかっただけのことであって、不登校や非行をしたから人生が終わったわけではない。大丈夫、人生終わったわけではない。闇でもがいている苦しみを感じているかもしれないが、希望は必ずある。

長崎、奈良と過去2年間、このつどいに参加して来た。自らの土地、北海道で開催されるにあたって、僕はそういうことを、今不登校や非行で悩んでいる子供、それを支える家族の方たちに少しでも感じてほしいと思った。このつどいには沢山悩みを抱えてくる方もいるが、一方でそういった価値観を口で説教するとかそんなのではなく、出会い、語り合い、笑顔でふれあうことで、悩みを抱えている方達が、自然とそういうことを心と身体で感じて帰って行かれることの素晴らしさを感じていた。だから、そういう場で自分たち北星余市ができることはないか…ということを考えていた。

僕のそういう思いを、誰がどう感じてくれたかはわからない。けれど、飲み会も終盤、最後に酔っぱらった、半ばべらんめぇ口調で、温かい言葉を私に投げかけてくれたことで、僕のその思いを感じてくれていた人がいたのだと知った。その言葉が僕が心をとても温めてくれた。僕もまた元気と勇気をもらった、そんな素敵なつどいだった。

PTAOBが余市に。ありがたい余市町への思い。

今日は45期PTAOBがはるばる余市までやって来てくれた。2013年11月10日(日)に東京で開催される「イキイキと生きる進路をひらくために」~親・学校・地域にできること~というイベントで、余市町の果物などの物産を販売するために、余市町や農協を回って打合せ。そのためにきてくれた。わざわざ、北海道まで。

北星余市のPTAは、北星余市を愛してくれている。北星余市のみならず、3年間、子供たちを育んでくれた余市町という町まで愛してくれている。今回のイベントでの物産販売も、利益抜きでイベントに来てくれる人達に、余市の味覚を堪能してほしいという思いで動いてくれている。なんとありがたいことか。

不登校や非行を経験したり、そうでなくても進学校での勉強に疲れたり、部活動で故障してしまったり、一旦入った高校で目的が見つからず中退したりといった挫折を味わってから、やり直しをかけて来る子供たちの多い学校だが、そういった子供たちを育むには、地域の包容力なしにはなし得ない物がある。生徒減に悩まされる北星余市を思って「札幌等の都市部でこの教育をやってはどうか?」と提案してくれる人もいるが、この教育はこの土地だからできる面が大きい。そんな余市町で3年間の高校生活をし、子供たちの成長を与えてくれる土地への感謝と敬愛の念がこもっている。本州の百貨店やイベントなどの物産展で「余市」の文字をみるだけで、ついその商品を買ってしまうほどらしい。

夜は先日のブログで紹介した11月のイベントの打合せと称した飲み会。校長と松本さんも余市に合流して。楽しい時間だった。

風の旅人編集長・佐伯剛さんを訪問。

先週の土曜日、2013年9月14日、東京に行って来た。目的は11月17日(日)に開く「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」というイベントの打合せ。

上記イベントは、北星余市に長年広報物作成のために写真撮影に入ってくれている松本さんと本校PTAOBの武原さんからの提案で実施することになった。PTAOBからは長年写真撮影に入ってくれている松本さん、そしてTsunagaru Project開始後撮影に入ってくれている佑木瞬さんが、子供たちをどのような視点で撮影しているのか、北星余市の子供たちをどのように見ているのかを知りたいという思いからスタート。それであれば、せっかくだから…と松本さんの提案で、雑誌『風の旅人』の編集長・佐伯剛さんに来ていただいて、自分たちの思いを語りつつ、外の方がどう感じるのかも聞いてみたいということで、企画が成立した。ちょうど11月17日の期間に、松本さん、佑木さん、そしてマカオ出身の写真家、ラオ・シーズンさんで昨年の学校祭に撮影に入った時の写真を使った合同写真展を開いていることもあり、それにぶつけた企画ともなった。

企画詳細
http://www.hokusei-y-h.ed.jp/information/?c=1&s=14753#14753

その前打ち合わせで、佐伯さんの事務所を訪問させていただいた。目的は企画の打合せと事前に佑木さんとラオさんの写真を見ていただくことだったが、企画の打合せなどほとんどなく、佐伯さんの素敵な話が繰り広げられた。打合せにはなっていなかった気がするが、これはとても面白いお話が聞けそうな予感がした。

伝えるとは何かをとても考えさせられた。そして、これからの社会や教育の在り方なども考えさせられた。

学校は、今の基準や価値観、下手をすれば過去のそれらに基づいて動きがちだ。しかし、それでは限界が来ていることは社会が証明してくれている。我々教師はその困難な未来を見据えて、または未来が見据えることができなくとも、人が社会で生きていく上でどのような環境であろうとも必要であり、またそれがあれば自ら作り上げることのできる、そういう力を育んでいってあげるべきだと思っている。ただ、学校という閉鎖的な場所に日常的にいる教師は、過去や今に縛られがちであると自覚をすべきだと思っていて、そう自覚している私からすると、佐伯さんのおっしゃっていたことは子どもたちにとても必要な要素をたくさん含んだ事柄であると感じた。

佐伯さんのブログ、とても刺激を受けます。
風の旅人〜放浪のすすめ〜:http://kazetabi.weblogs.jp

その後、夜はPTAの方たちと。これまた、打合せと称した飲み会。



「好きなことを見つけなさい」の前に。

好きなことを見つけなさい。やりがいのあることを見つけなさい。興味のあることを見つけなさい。

そういう言葉があまりにもあふれている。

言いたいことはわかる。本当に好きなことを見つけ、そこに価値を見いだし生きている人には、輝いている人が多い。

しかし、子供達に安易にその言葉を浴びせる大人を私は信用しない。そういう大人の中 には、子供達に「好きなものを見つけられない自分はダメな自分だ」という強迫観念しか与えず、じゃぁ、どうすれば好きなことが見つかるのかといったことを一切与えることのない人が多い。

スポーツを全くしたことのない人間にいくつもの種類のスポーツの動画を見せて、この中から好きなスポーツを選びなさいといったって選ぶことはできないだろう。ゲームを全くしない人に対して、おもちゃ屋さんで、あなたの好きなゲームをなんでもいいから選んで下さいといったって、選ぶことはできないだろう。

それは大人であろうが、子供であろうが、そうである。

好きなこと、やりがいのあること、興味のあることというのは、全てその人の経験値にもとづいてはじき出される事柄である。

だから、経験値の少ない子供にそんなことをいっても無意味なのだと思う。

幼少期の頃は、ケーキ屋さんになりたい、おまわりさんになりたいと子供達は夢に期待を膨らます。しかし、ある一定の年齢になり、知識が増えていくに従って、そういった夢は儚くも消え去っていく。そして、そんな子供達に大人は「好きなことをみつけなさい」「興味のあることをみつけなさい」というシャワーを、焦ったかのように浴びせる。

僕は、そんなことを呪文のように唱えている暇があるならば、子供達に豊かな経験をさせてあげた方がよっぽどいいと思う。寄り添って、子供たちと色んな経験を大人自身もした方が良い。きっと、その経験の積み重ねが、わき上がるものを育ててくれるのだと思う。

子供たちに「好きなことを見つけなさい」というより先に、自分は仕事で忙しい、家事で、育児で忙しいといって、子供たちに寄り添うことなく豊かな経験をさせてあげることなく、呪文のように唱えている自分をまず見直す方が先なのかもしれない。

学びと育ちが子供達に必要なんだと思う。

子供達に必要なこと。それは、学びと育ちである。

学びと育ちは色々な形で表れて来るが、その底流に流れているものは、自分が何者であるのかということの一端を、ある一定程度見いだすことのできる経験をしているかどうかだと思う。
経験をすることというのは、言い換えれば、体で理解することであり心で感じること。これなしに教科書に書かれていることを、ただひたすら頭の中に詰め込んでも、それが活かされることはないだろう。

だから、高卒の資格だけを取得することだけを目標にした高校時代を過ごすことは、とんでもないことだと私は思っている。

簿記2級の資格試験は年に3回行われており、毎回1万人〜2万人の範囲内で合格者が出ている。私たちはまるで資格があればそれで社会で自立して生活していくことが出来る、食べていくことが出来るかのような幻想を抱いている人がいるが、それは大間違いである。子供達を資格ブームに乗せて一安心しているのは大間違いだ。それらは人格がある一定育っている人にとって、ある程度有効な武器となるものであって、それがあれば安心ということはない。まして、メディアに取り上げられる資格なんかは、そこに群がる人であふれかえり「ない人よりまし」なだけである。

『僕は君たちに武器を配りたい』という本を書いている著者・瀧本哲史氏は、この資本主義社会においていかにして生きていくべきかをこの本で説いている。私は昨今の原理的すぎる資本主義社会に嫌気がさしていて、この本もその土俵で書かれている。しかし、瀧本氏はとても大切なことを書いていると思う。

経済学には「コモディティ化」という言葉があるそうだ。コモディティとはもともと「日用品」を指す。市場に出回っている商品が個性を失ってしまい、消費者にとってみればメーカーのどの商品を買っても大差がない状態をいう。まさに、私たちの周りにあふれるものそのほとんどがコモディティ化されているといえる。スペックが明確に定義できるもの、材質、重さ、大きさ、数量など数値や言葉ではっきり定義できるもの、つまり個性のないものは全てコモディティ。それはどんなにそのものが優れていても、スペックが明確に定義でき、同じ商品を売る複数の供給者がいればコモディティというのだ。

資本主義においては、需要と供給が経済活動のベースとなる。その結果、コモディティ化した市場では、恒常的に商品が余っている状態となり、同じ質であるなら安いものが求められる。つまり、徹底的に買いたたかれるということである。

弁護士の資格をとったって、簿記2級の資格をとったって、資格を持っている人がたくさんいればコモディティ化は成立する。企業は、業務マニュアルが存在し「このとおりに作業できる人であれば誰でも良い」と思っている。だから、どんなに資格を持っていても、同じ資格を持っている人が多ければ、あとは安く雇える人を雇うだけ。そうして、今、国学歴ワーキングプアと呼ばれる人がわんさかあふれている。

このとき同じ資格を持っていても他にはないものを持つ人、つまりそのコモディティ化の流れから抜け出すことの出来る人間というのは、他の人には代えられない唯一の人間になるということ。瀧本氏はこれをスペシャリティになることという。

私はこの唯一の人間という言葉を、個性に置き換える。唯一の自分を磨く方法というのは、個性を育てるということだろう。それは、自らの経験にもとづいた学びと育ちから見いだされることだろうと思う。少なくとも教科書には載っていない事柄だと思う。

知識を身につけること、試験で点数をとること、資格を取ること、こういったことも大切だろう。しかし、それを下支えする人格形成が、今、とても軽んじられていると私は思う。






2013年度の学校案内パンフレットが完成。

やっとできた。2013年度の北星余市のパンフレット。僕が創ったわけではないけれど。

毎年、夏に出来上がる学校ってそうそうないみたい。ほとんどの高校が年度始めに作られる。もう、年が明けたら次年度の入試に向けて勝負ってことなんだろう。

北星余市は、今いる子供達の輝きをみんなに見てほしいから、入試のシーズンが来るギリギリまで子供達の写真を撮りためて、なんとか夏にお披露目できるようにしてる。

いろんな学校のパンフレットを見ると、カリキュラムや取組みや高校卒業後の進路や資格取得や面白そうな仕掛けを載せている学校が多い。なんとなく分かりやすくて違和感を感じる。パンフレットにはいいことが書かれている。「こんないいものが用意されています」ってずらーっと並んでいて、それを読む子供たちや親御さんは、そのガラス越しに未来の姿を見るわけだけれども、本当にそうなのかな?って思う。

ここに映っているのは、まぎれもなく北星余市の生徒達。いつも思うのは、この顔はこの空間で生まれている生きている子供達の本物の顔だということ。

手前味噌だけど、ほんと、いい顔するんだよなぁ。この子ら。このとき、何を考えてるのかな?と見入ってしまう。


学園の職員研修会で感じたこと。

今日は年に1回行われる北星学園の職員研修会の日だった。中学・高校3校・大学をもつ北星学園が総合的に力を発揮していくためにはどうしたらよいのか、各校10分ずつそんなお題で話すセクションがあり、私もお話をさせていただく機会をもった。

私が話した趣旨の概略は、
○総合的に力を発揮するということは、各校の良さ、教職員一人一人の良さを有機的につなげて、学生生徒のため良いものを作り上げていくこと
○フロアの一人一人が意識を持って進めていく必要があるということ
○北星余市はその中で何が出来るのかということ
○北星余市は何をしてほしいのかということ
だった。

このセクションの話を聞く中で、何度も何度も教育が資本主義経済に絡めとられていると感じる場面に出くわした。私の吐いた言葉は青臭い言葉にしかならなかったと思う。その青臭い言葉をはいた僕にこっそりと寄ってきて話をしてくれた先生もいた。話を進めていく中で、本当はそういう青臭い言葉を大切だと思っている先生もいた。けれど、大方の流れ、表面上の流れはそうでない方向に流れている。

時勢なのか。教育とはそういうものだっけかなぁ、と思う瞬間が多くあった一日だった。

第18回 登校拒否・不登校問題 全国のつどい in 北海道に参加してきた。

毎年行われている全国のつどい。今年は帯広でやるというので、1ヶ月に1度、12月から実行委員会にも参加してきた。地元、帯広のはるにれの会が事務局をやってたけど、本当に大変そうだった。

去年の奈良、一昨年の長崎と参加してきたが、色々な経験、思い、考え方を持った人が参加して来る。仲間、経験、再会、救い、癒し、学び、色々なことをそれぞれが求めて参加して来る。この出会いが自分の視野を広げてくれることは間違いない。素敵な人との出会いもあった。そうか、そうだよなと気づきも多い。

ただ、なんとなく、難しいなぁ…と感じる瞬間がある。僕が勝手に感じていることなのかもしれないけれど、困難があるんだよな。自分の中に。

法の溝、制度の溝、人の溝。

親権。

民法第820条には
「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」
とある。

けれど、子の利益のために子の監護及び教育をしていない人がいる。中には子の利益どころか、親の利益のためにしている人もいる。そういう人が親権を持ち、子供を手放さないことで、その子供がかごの中の鳥になっている例が世の中にある。

民法第834条には、
「父又は母による虐待又は悪意の遺棄があるときその他父又は母による親権の行使が著しく困難又は不適当であることにより子の利益を著しく害するときは、家庭裁判所は、子、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権喪失の審判をすることができる。」
とある。けど、だれが後見するのかということも問題になって来る。「親権の行使が著しく困難又は不適当であることにより子の利益を著しく害する」ことを証明することも難しいし、できても相当の時間がかかる。

狭い世界しか知らない僕でも、2人もの子供の例がある。世の中にはもっとたくさんのそういう子供がいる。とても心苦しい生を送っているのだろうなと思う。

でも、笑顔だったんだよな、あの子。緊張が体に表れていたけれど、笑顔だった。

なんとかならないものかな。

東日本、西日本支部PTAとの地区懇談会が終わった。

昨日、一昨日と東京と京都で楽しい時間を過ごす。地区懇談会でたくさんのPTA、卒業生の親御さんが集まっての地区懇談会に参加。久しぶりに会う面々、普段接しているあの子の親との会話は本当に楽しい。

卒業生もたくさん遊びにきてくれる。自分たちの関わった子ども達が、こうして生きていってくれているという勇姿を見せてくれる。上手くいっている子も、いっていない子もいるけれど、みんな必死で社会で生きている。中には、卒業生同士が結婚して、一緒に遊びにきてくれる子も。本当にうれしい。とても楽しい時間を過ごした。2学期から教育実習にくる子もいるし、来年教育実習に伺いますと教職を目指す子もいて、とても楽しみ。




同時開催の教育講演・相談会の担当者として参加。東京・京都ともに10組の参加者があった。いつも伝えたいことが山ほどで、時間という枠から溢れ出てしまうけれど、参加された方々にとって何か希望の光となって貰えたらと願っている。

第百八十三回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説について




『日本に「新たな可能性」をもたらすこれらのイノベーションを、省庁の縦割りを打破し、司令塔機能を強化して、力強く進めてまいります。世界の優れた企業は、日本に立地したいと考えるでしょうか。むしろ、我が国は、深刻な産業空洞化の課題に直面しています。長引くデフレからの早期脱却に加え、エネルギーの安定供給とエネルギーコストの低減に向けて、責任あるエネルギー政策を構築してまいります。東京電力福島第一原発事故の反省に立ち、原子力規制委員会の下で、妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します。』(施政方針演説2013年2月28日:http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement2/20130228siseuhousin.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter)



福島民報平成25年3月1日(金)朝刊の「再稼働明言」の記事はこの部分の切り取りだと思うけど、結局、「経済を重視した上での原発再稼働」ってことですね。自民党は、やっぱり、根本が変わっていない。この人たちの体質は変わっていない。間に「安全性うんぬん」とか挟めたりして、微妙に行間をずらしているけれど、結局は「エネルギー安定供給とエネルギーコストの低減のために、原発再稼働します」ってことでしょう。代替エネルギーも同時に開発しようが、それまでの当面の間であろうが、「経済性を重視した原発」の再稼働には変わらない。

仮に安倍首相の土俵にのって話をするとですよ、『日本に「新たな可能性」をもたらすこれらのイノベーションを、省庁の縦割りを打破し、司令塔機能を強化して、力強く進めてまいります』だとか『優れた人たちは、今、日本で能力を発揮したいと考えるでしょうか。日本での研究環境に満足できない研究者たちが、海外にどんどん流出しています。「世界で最もイノベーションに適した国」を創り上げます。総合科学技術会議が、その司令塔です。大胆な規制改革を含め、世界中の研究者が日本に集まるような環境を整備します。その萌(ほう)芽とも呼ぶべき「希望」に、私は、沖縄で出会いました。「非常に素晴らしい研究機会が与えられると考えて、沖縄にやってきた。」アメリカから来たこの学生は、かつてハーバード大学やイェール大学で研究に携わってきました。その上で、昨年開学した沖縄科学技術大学院大学で研究する道を選びました。最新の研究設備に加え、沖縄の美(ちゅ)ら海に面した素晴らしい雰囲気の中で、世界中から卓越した教授陣と優秀な学生たちが集まりつつあります。沖縄の地に、世界一のイノベーション拠点を創り上げます。』(同演説)とかいうのなら、そもそも、その『イノベーション』とやらで原発に頼らない『エネルギー安定供給とエネルギーコストの低減』を実現してみてほしいと思うのは、僕だけでしょうか。それこそ『イノベーション』に臨む姿勢ではないかと。誰もやってない方法、誰かがやっていても実用化まではたどり着けない、そんな原発にたよらないエネルギーの安定供給、コストの低減は、それこそ『イノベーション』ですよ。自民党の河野太郎氏は2012年11月23日のブログで『原発の再稼働には、まず、新しい安全基準の策定が必要です。そして新しい安全基準に適合するかどうかの確認が必要です。さらに活断層等の調査のように電力会社がいい加減にやってきたものの再調査も必要です。きちんとその作業をするためには時間が掛かります。それに3年ぐらいかかるだろうという目安をだしました。』(http://www.taro.org/2012/11/post-1287.php)と語っていますが、予算と労力を傾けた3年間じゃ、代替エネルギーの『イノベーション』を達成するのは無理でしょうかね。じゃ、日本経済の復興も、安倍政権では無理そうですね。

さて、いったんあがった土俵をおりますが、だいたい、政権公約で『原子力の安全性に関しては、「安全第一」の原則のもと、独立した規制委員会による専門的判断をいかなる事情よりも優先します。原発の再稼働の可否については、順次判断し、全ての原発について3年以内の結論を目指します。安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます。』(自民党政権公約:http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/seisaku_ichiban24.pdf)とかいっていますけど、『原子力』ってもともと「安全じゃないもの」ですよね。「安全じゃないものの安全性」って何なのかって話ですよ。

JISでは、安全性を〈人間の死傷又は資材に損失若しくは損傷を与えるような状態のないこと〉と定義している(JIS Z 8115(1981))らしいですが、自民党の河野太郎氏は同ブログで『福島に津波は来ないという想定がなされていたように、原発にはテロリストは来ないという想定で、再稼働などが行われています。自民党は、テロ対策も含む安全対策が行われねばならないということを明確にしました。』(http://www.taro.org/2012/11/post-1287.php)といってるわけで、そういう想定をしての『安全性』の『確保』を自民党として考えてるのなら、自民党は何がどうなったら『安全性』を『確保』したといえるのか、僕には見当もつかなくなります。自らが過去にしていた『福島に津波は来ないという想定』を非難し、『テロリストは来ないという想定』と、そういう想定をした民主党を非難している自民党は、つまり「○○はないだろう」という想定自体を非難している訳ですよね。いや、それでいいんです。そうあるべきだと思うんです。でも、「○○はないだろう」がない状態なんて作り出せるのでしょうか。「人が作り出した『安全性』、人が考えだした『安全性』の不確かさ、それに対する自然や運命の畏しさを学んでいないんでしょ、結局」そう思ってしまいます。「安全じゃないものの安全性」って結局、人智でしかなくて、その人智を超えた自然への畏れを、自民党は学んでないと僕は思うわけです。

と、ここまで書いて気がつきました。自民党はもうそれに既に気がついているんですね。なるほど。だから『安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます』っていうんですね。『委ね』るって、、、言葉の意味わかっていますよね、「すべてまかせる」という意味ですよ。『安全性については』「すべてをまかせる」。やり方がずるいですね。『安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます』って、自民党は『安全性について』は責任は持たないのですね。『自民党は、テロ対策も含む安全対策が行われねばならないということを明確にしました。』と語った舌の根も乾かないうちに。「専門的判断をもとに、あらゆることを想定し、自民党が責任を持って判断いたします」じゃない。「だって、あの専門家の人たちが大丈夫っていっているから、大丈夫です!」ってことでしょう。「誰かが下した自らの責任ではない安全性をもとにした安全対策」って何でしょう。びっくりします。「他人様に安全性の判断をゆだねておいて、安全性を確保しました!」ってどういうことかよくわかりません。これって何かあったときに「だって、あいつが大丈夫っていってたんだもん!専門家の人たちがいってたんだよ?」と言う感じで、いつもと同じ姿勢ですよ。

こういうことをいうと「じゃ、あなたはすべての安全性をあなたが検討し、あなたが判断するのですか?」といってくる人がいるけれど、僕は少なくとも「この人の言っている安全性を私自身が確信し、安全性が確保されていると判断しました」とならない限り、原発なんて再稼働しませんよ。飼い主に「うちのドーベルマン、賢くてね。絶対に噛まないの」とか言われたって、「うそつけ!どんなに賢かったとしても、絶対に噛まないなんて事はないだろ。初対面でしっぽ踏んで興奮したら噛むことだってあるでしょう」って考えるのが当然でしょう。「いやいや、安倍さんだってそういっているんですよ」という人は、何も今回の原発事故から学んでいない。何度も言うように「○○はないだろうという想定」が存在しない状況なんてありえないわけで、それを考えたらそういう言葉なんて、出てこないはずです。

『これまで原子力政策を推進してきたわが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする』(自民党選挙公約(案)政権公約Jーファイル2012:http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/j_file2012.pdf)とかいっているけれど、それで出た結論が「安全性の判断は、専門家の方々にまかせましょう」という、つまり「肝心なところには無責任でいく」ということでしょう。それが反省に立った新しい自民党の姿勢ですね。「自分たちは原発を「いいよ!いいよ!」といってきましたけれど、それが本当に良いかどうか、自分たちで判断するのが間違っていました」ということをいってるだけの話ですよ。『お詫び』している人の腹の底が見えます。どうしたら、東北で苦しんでいる人たちのことを思いながら、そういうことを考えることができるのか、私にはさっぱり見当もつきません。

そう考えたとき『今を懸命に生きる人たちに、復興を加速することで、応えていかねばなりません。解決すべき課題は、地域ごとに異なりますが、復興庁が、現場主義を徹底し、課題を具体的に整理して、一つひとつ解決します。福島は、今も、原発事故による被害に苦しんでいます。子どもたちは、屋外で十分に遊ぶことすらできません。除染、風評被害の防止、早期帰還に、行政の縦割りを排し、全力を尽くすべきは当然です。しかし、私たちは、その先にある「希望」を創らねばなりません。若者たちが、「希望」に胸を膨らませることができる東北を、私たちは創り上げます。それこそが、真の復興です。』(同演説)とかいう言葉の軽さに憤りを覚えます。
「『これまで原子力政策を推進してきた』自民党が、何をヒーロー気取りで語ってんだか」とその軽さにいらつきを覚えます。これが『わが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする』立場の党の総裁の物言いでしょうかね。僕にはそうは思えません。「あなたたちが進めてきたことの結果、苦しんでいる人が存在するようになって、子ども達が屋外で遊べない状況をつくり、みんなの日常を壊したんじゃないか」と怒りを覚えます。それでて原子力発電に対する姿勢がこれですから「ただ原発再稼働したいだけでしょうよ」と嫌悪感を覚えます。

どこをどうしたら『これまで原子力政策を推進してきたわが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする』立場の自民党が、経済を重視した『エネルギーの安定供給とエネルギーコストの低減に向けて』、人の限界や自然への畏れを無視した状態で、『安全性の確保を原子力委員会の専門的判断に委ね』る無責任な姿勢で『確保』する、無責任な『安全性』を前提に、『安全が確認された原発は再稼働します。』と語れるのか。やっぱり「ただ原発を再稼働したい」ということしかその理由は見つからない。

そんな無責任なことを語りながら、何の面下げて『若者たちが、「希望」に胸を膨らませることができる東北を、私たちは創り上げます。それこそが、真の復興です。』と語れるのでしょうか。これが、施政方針ですよ。これが政治を施す方針であることに、36歳の若者へ希望を与えるどころか、怒りと絶望を与えていることに、安倍首相は気がついていないのでしょうか。


Profile

北星学園余市高等学校で教員をしています。
Instagram