Archive for 3月 2010

【教育講演対話集会】
発達障害と育ちの関係


Photo by saoreal-life



今、僕は名古屋にいます。北星余市には全国から生徒がきており、愛知県からもたくさんの生徒が毎年のようにきています。昨日は、タイトルにもある「教育講演対話集会」に講師として参加させていただいたのですが、その前に名古屋駅前にある名鉄百貨店のなかをうろついていたら、「あーーーーー」という声が。


34期生、9年前に卒業した生徒でした。うーーーーん、ご縁ですね。なんてお互いに驚く。別になんの用事があって入ったわけでもない、ただなんとなく入った名鉄百貨店だが、これこそまさに「ご縁」という瞬間を肌で感じる。そういうのってあるんですよね。これ不思議。


彼女は現在27歳。愛知県の定時制の高校で非常勤の先生をしているとのことでした。「今の仕事をして、とても楽しい、充実した生活を送れている」と笑顔で語ってくれました。そして、小学校の教員を目指して、今は通信制の大学で勉強中とか。とても生き生きした顔に、教師にしか味わうことのできない喜びをかみしめる。


しかし、全国に生徒がいるということは、悪いことはできないですね。


「教育講演対話集会」。こちらは東京にあるNPO法人不登校情報センターと名古屋にある木村登校拒否相談室の主催で開催。講師は私のほかに黄柳野高校(愛知県)の校長・辻田先生とどんぐり向方学園理事長・天龍興譲高校校長である中野先生がおられて、それぞれのテーマで30分ほどお話をさせていただく。そのあと会場の人たちからの声も交えながら語り合うという趣旨の集会でした。


どんぐり向方学園の中野先生は名古屋経済大学の教授をされており、大脳生理学者でいらっしゃる。その先生がおっしゃるには人間は前頭葉を鍛えることがとても大切で、この働きが鈍くなるとキレやすくなったり、物事に固執しやすくなる、柔軟性がなくなる、自分で考える行動ができなくなるという。この前頭葉を鍛えるためには、「計画・実行・反省」、PDSを実行することが大切で、こちらの学校ではそれの手段として体験学習を中心に据えて、教育されている。


ふーむ、、、と考えながら拝聴していると、シナプスのお話が。人間の脳細胞は1千億個とも1兆個とも言われているようだが、この脳細胞の数よりも大切なのは、その脳細胞と脳細胞をつなぐシナプスであるという。


ここ2~3年、本校の面接試験において「発達障害と診断された」というカミングアウトをされる方が非常に増えている。「【特別に育てられた子供の行く先は?】特殊支援教育への懸念」でも書かせていただいているのだが、私は個人的に「本当にすべてのそれは障害なのですかね」という疑問をもっている。要は、なんでもかんでも「発達障害だ」で片付けるのは危険だという意味である。発達障害の存在や、実際にそれを抱えている方がいること、そういう方々への特別な支援を否定するものではない。


中野先生のどんぐり向方学園でも、発達障害という診断を受けてこられる方がいらっしゃるようなのだが、この体験学習を通じて、その症状がなくなっていく子供がほとんどだという。中村先生は、前頭葉の育つべき部分が育っていないために、発達障害と同じ症状がでている、そして体験学習を通じ脳の発達すべき部分が育つことでそれが改善されていく、具体的にはシナプスの活動が活発になった結果である、という趣旨のことをおっしゃる。


育ちの問題に目を向けることも重要なのである。発達障害というのは先天性のもの、つまり「生まれつき」のものであるという定義がなされているので、一般的には育ちの問題、つまり後天性のものはそれに含まれないという考え方である。これだけ多くの子供が生まれつきそういう障害を抱えているという診断、そういう子供が増えているという考え方に私は納得がいかないのである。


本校にくるそういった生徒たちも、入学当初はあたかも発達障害かのようなそぶりを見せる。しかし、その大部分は学校生活を送り、時間がたつにつれてそういったものがなくなっていく。もちろん、そうでない子もいる。


「育ちの問題」という言い方は、「親の育て方が悪い」というのとはイコールではない。そういう要素もあるかもしれないけれど、学校教育の関わり方だって、育つ環境だって、社会一般の流れだって教育には深く影響を及ぼす。親の育て方だって、それらの影響を強く受ける。一分一秒、その人間の目の前に現れる出来事が人間の育ちには影響する。微細な話だが、昨日、私が百貨店で偶然にも卒業生に出会い、ご縁を再認識させてもらいながら、素敵な気分でそのあとの人と接することが出来た事が、またその日に合った人との出来事の上にも影響してくる。その出来事がまた明日の私を作っている。そういう事の積み重ねが時間的感覚を持って熟成されていくのが育ちであり、教育だからである。


「こういう行動をする子供はADHDという発達障害です」「こういう症状を表わす子供はアスペルガーです」というまるで占い本かのような書籍が本屋さんにずらーっとならんでいて、「この行動の原因は、先天的な脳の発達遅延、つまり発達障害である」という一言で片付ける本が巷ではあふれている。そろそろそうじゃない書籍というものに出会いたい気がする。

【現在87名】
北星余市を支える皆さんの力があってこそ

年度末も近づき、北星余市の入試も大詰めを迎えています。北星余市では、筆記試験のある入試とは別に「不登校などの理由で今まで勉強に向き合ってこなかった、でも高校からは頑張りたい」という意欲を組んであげたいという思いで、本人と保護者の方の面接による『予約面接試験』という受験方法を用意しています。


2010年度入試に向けては、予約面接Ⅱ期が3月25日(木)まで。Ⅲ期が3月26日(金)と4月1日(月)の2日間設けて、新年度開始のギリギリまで受験の機会を用意して、北星余市の門をたたく生徒たちを待っています。毎年数名、公立高校の結果を受けて、はたまたいよいよ意を決して、この時期に受験を決意する子供たちがいます。


そんな大詰めを迎えている北星余市の入試ですが、全国から「高校生活を頑張りたい」という生徒を募るうえで欠かせないのが北星余市を支えてくださっている皆さんの力です。全国四十数か所で開催される教育相談会の準備を担ってくださっているPTA、PTAOB。北星余市の教育を理解し「あの高校でがんばれ」と勧めてくださる中学校や高校の先生、フリースクールの先生、その他教育関係者の方々、施設の方々。影に日向に北星余市の行く末を案じ、さまざまな助言をくださる方々。余市町、地域の方々、広報活動で応援して下さる方、たった20名の教師ではやりきれない募集活動のそのほとんどを、そういった皆さんのおかげさまで、我々が「成長させてあげたい」と思う子供たちをここに導いてくださっていると、そう感じております。


3月19日(金)時点での新1年生受験者は87名という数字になっております。2年生から頑張りたいという受験者は7名。3年生からという受験者は3名です。

【うれしい電話】
分かち合える喜び

joy

先週の金曜日に学年末の修了式を迎え、今週に入ってから追試・補修期間が始まっています。教員は追試・補修をやり、次年度の分掌に向けての準備に取り掛かる時期。入試も大詰めを迎えつつあるわけですが、今週の頭から予約面接試験がぽつぽつと入っています。試験と追試・補修の合間を縫って、私もそれまでの入試委員会の資料を整理して、次年度利用しやすいようにカスタマイズしています。


掃除を始めると、結構、泥沼にはまるタイプの人間でして、2003年からの画像ファイルがCD-Rに焼かれて、棚からあふれんばかりの状態になっている。目が行ってしまった僕の負けでした。外付けHDDにそれらをコピーしてあふれるCD-Rはお蔵にインさせてしまおうと思い立ったが、、、吉日(?)。


CD-Rという文明の利器も、出始めのころは「手軽でいいね!」「大量の画像をこの一枚に保存できるし!」なんて言っていたはずですが、気がつけば100枚を超え、目的のものを探すのに一苦労。使わないものはしまってしまいます。その作業もすでに終え、明日からは何をしようかわくわくしている状態です。


今日はそんなことをしていた私に嬉しい電話が。19:00頃、学校の電話が鳴り、喜び勇んで受話器を取ったところ、栃木県にある適応指導教室の方から。


先頃、卒業を迎えた生徒が適応指導教室の方のところに、卒業の報告に伺って、北星余市での生活や思い出を語り、その成長を嬉しく思ってお電話下さったとのこと。昨年度に私自身がその子の学校の様子を伝えにお伺いさせてもらったときにお会いしていて、その風景が。とても素敵な適応指導教室だったんです。田んぼの真ん中にあるんですけど、昔ながらの家で(かやぶき屋根だったかな)、囲炉裏があって、とにかく暖かい。人も場所も。


そのお電話は、本当にうれしい電話でした。彼自身が3年前に比して、たくましく成長した、と。3年前以前の彼の姿を我々は見ていないわけですが、当時を知る先生はその3年後の姿をそう評価して下さった。


僕がうれしいのは「我々教員のして来た事がうんぬん、、、」というのではなく、「北星余市」という場が、つまり仲間、クラスメイト、先輩、後輩、下宿の管理人さん、PTA、教師、地域の方々、この土地柄など、全てのものがうまく機能して、その中で彼自身が頑張って成長したこと。そして、その喜びを、彼を知る人と分かち合えた事。




心がとても喜んだ一日の終盤でした。

【私の書棚より】
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉

内田 樹 (著)
文庫: 280ページ
出版社: 講談社 (2009/7/15)
発売日: 2009/7/15


 
『下流志向』というと「格差社会の話か?」と思うのですが、〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 というサブタイトルが中身です。
 
学ぶということはどういうことか。内田先生の深い洞察は、長年違和感を感じながらも閉じていた僕の眼を開いてくださいました。
 
『起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えないというところから始まるものなのです。というよりむしろ、自分が何を学んでいるのか知らず、その価値や意味や有用性を言えないという当の事実こそが学びを動機づけているのです』
 
 
「先生、これは何のために学ぶんですか?」「なんのために、こんなことしなきゃいけないんだよ」そういう風に言われた経験のあるお父さん、お母さん、そして僕の仲間である先生たちには、ぜひぜひ読んでほしい本です。そうでない人にも是非。
 
自由、そして自己決定と自己責任。「格差」の正体ってなんなのか。勉強になった一冊です。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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