Archive for 1月 2014

3秒の動画に300枚の絵。

今日、帰宅したら「笑ってこらえて」が映っていた。スタジオジブリの最新作『かぐや姫の物語』の特集がやっていた。夕食をとりながら、ついつい見入ってしまう。

この映画の製作には8年の歳月がかかっている。3秒の動画に300枚の絵が使われているシーンがあった。やってきたことがたかだか3年でしかなく、ゴールが見えないことに焦りを覚えている自分に何かが落ちた感じがした。そういうものなんだろうな。精一杯、取り組むしかないという。

3秒の動画に300枚の絵。知らない人は、きっと同じような絵を何枚も描いている姿、しかも1枚1枚妥協せず、タッチの繊細な違いを嗅ぎ分け、書き直しを加えながら作業を進めている姿をみて「その行為に意味はあるのか?」と見えるはず。やっと300枚書き上がって、「よし、できた!」って繋げたって、たったの3秒だもんな。「えええ、、、たった、これだけのために?」「先が思いやられるな」って感じかな。それをあーだーこーだーいう人もいるけれど、きっと、いいものを創るにはそういうことしかないんだろうな。

それが積み重なって8年。8年。…8年か。
ま、やるしかないからなぁ。

その後のフレデリック・バック氏とのエピソードに涙した。

内容は、だいたいこんな感じ。

にんじ報告さんより:http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/35688106.html

高畑勲監督は、1981年に渡米したとき偶然に「クラック!」を映画館で鑑賞。高畑監督はその作品のストーリーや独自の優しいタッチに強い影響を受けて自分の作品に取り組んだということです。そして、高畑監督は新作「かぐや姫の物語」をフレデリック・バックさんに鑑賞してもらうためカナダへ行ったということです(他にも目的があったが、フレデリック・バックさんに会うのが最大の目的だった)。
高畑監督は「バックさんに啓発されて作った作品なんだから、彼に観ていただきたいとずっと言ってきた」「喜んでいただけるんじゃないかと、信じてるんですけどね」と語っていました。フレデリック・バックさんは重い病気(癌)を患っていたのですが、高畑監督が訪問した日は小康状態で、高畑監督の訪問を心待ちにしていたということです。
フレデリック・バックさんに会った高畑監督は「会えて本当に嬉しいです。無理を言いまして」「どうしても観ていただきたくて」などと感動した様子で話しかけ、フレデリック・バックさんも「長生きしてよかった。作品を見られるんだから」と応じ、高畑監督へのプレゼントとして「クラック!」の中から選んだという原画をプレゼントしていました。
当初、フレデリックさんの体調を考慮して6分間の予告編を観てもらう予定だったのですが、予告編を観たフレデリックさんは「綺麗だ。素晴らしい」「デッサンの軽やかさ、そして 描かれていない空間の素晴らしさ」と拍手、「できればもう少し観たいな」と希望し、予定になかった本編を上映することになりました。
本編の上映中、高畑監督とフレデリックさんは二人きりで、同じソファーに並んで座り、手を握り合っていました。
上映を終え、フレデリックさんは「観られて嬉しいよ。この作品は、私の長年の夢がかなったようなものだ」などと高畑監督に言葉を贈り、高畑監督は「どうもありがとうございました」と涙ながらに応じていました。
フレデリックさんは最後に「あなたは才能ある人たち恵まれている」「大好きな高畑さん、心からありがとう」「特別なお土産になりました。私にとっても世の中にとっても」と賛辞を贈り、そして「ブラボー」と言って拍手をしていました。
この二人きりの鑑賞会の8日後、フレデリック・バックさんは永眠されたということです。(享年89) 


なんていうのかな。こういうことってあるんだね。映像を観て8日後に亡くなった。8年の歳月をかけてつくったということは、ちょっとしたタイミングで『かぐや姫の物語』を観てもらうことが出来なかった可能性があるもんね。なんか、ギリギリの奇跡っていうのかな、そういうのって、あるのかもしれないな。思い続けていれば。そういうものかもしれないな。



やっぱり「発達障害」は取扱注意だなぁ。

今年の北星余市の冬の教師研修会1日目は、発達障害に関する学習会。

2011年8月に北星学園大学・障害児教育夏季セミナーに参加してきました。で覚えた同じ感想が頭に浮かぶ。ん〜、どっかで感じたなぁ〜と振り返るとブログに書いてた。

今回は親しくさせてもらっているエルムアカデミーの中塚先生に来てもらっての学習会。中塚先生は教育サポートセンターNIREの代表でもあり、日本LD学会員でもある。僕らとも何度も付き合いがあり、信頼のおける先生。発達障害についても、バランスよく広い視野をお持ちだった。

話を聞いていてやっぱり思うのは、安易に断定することの危険さ。教育はその子の可能性を追求する営みであることを考えたとき、安易に「発達障害である」と断定することで、その子の可能性を狭めてしまう場合がある。まして、昨今の「この子、ちょっと、おかしい?」「原因は?」「発達障害かも?」「ああ、その傾向ありますね?」「検査?」「ああ、その傾向が出ています」「じゃ、特別支援学級かしら?」なんて潮流にのってしまったらなおさら。

北星余市で面接試験をしていると「過去に発達障害と診断されたんです」「その可能性があると言われたんです」というかなりの人数の親御さんに出くわす。確かに落ち着きなかったり、表現をストレートに受け取りがちで例え話なんかが通用しなかったり、感情のコントロールが苦手だったり、授業内容が理解できなかったり…。まぁ、過去にそう言われて来たそれなりの理由はあるんだけど、3年たったら「前のおまえはなんだったの?」っていうほど、成長することが多い。もちろん、僕ら教師を始め、親御さんや寮下宿の管理人さん、他の生徒の力が必要だけど。多くは変わる。発達障害は基本的に脳の機能障害だから回復することはない…と言われてたりするけれど、「じゃぁ、僕の目の前にあるのはなんじゃらほい?」と思う。

大切なのは見立てだ!と改めて考えさせてもらった一日。


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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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