Archive for 2月 2014

未来を模索するチャンスを子供たちに。

今日は午後から来客があった。本州の少年院の教官。とても熱心な方で、子供の未来を真剣に考えていらっしゃる方だった。朝6時の飛行機に乗って、わざわざ北海道まで来るのである。

北星余市には少年院を出院して入学する子供たちが少なくない数いる。その先生たちの少年院から、昨年度のこの入試の時期に北星余市を希望した者が一人、今年度中に入学した者が一人、そしてこの春も受験をする者が一人いる。それで、実際にこの目で確かめたいと少年院に申出てお越しになられたとのこと。申出る先生も、それを認める少年院も本当に素敵だと思う。

子供たちがどんな場所でどのように育っているのかをこの眼で確かめたいという思いに胸を打たれる。そういう思いを持って子供たちを見ている少年院の先生たちは、私の周りに多い。どこか別で書こうと思うけど、少年院に対する理解も、少年院を経験した子供たちに対する見方も、世間には本当に多くの思い込みがたくさんある。

少年院を出院した後の子供たちに与えられる機会は数少ない。高校生活を送りたいと思っても送れない子供が多い。受け入れてくれる先がない。今日おこしになられた先生もおっしゃっていた。

「中学生で少年院に入り、出院して高校を受験しようとしたとき、必ず長期欠席の理由を聞かれる。そうすると中学校も嘘はつけないから、「少年院に入っていました」と答えざるを得ない。すると、高校はだいたい不合格にしてくる。「リスクが高すぎますから」って。」

定時制もそういう傾向が強いといっていた。通信制の高校は受け入れてくれるところもあるけれど、続かないことも多い。だから、院内で高等学校卒業程度認定試験を受験し、資格を取得し、出院時には就職できるよう準備しているケースが多かったりする。

わからんでもない。わからんでもないが、そういう子供らに対して世知辛いなぁ、、、と思う。

尾崎豊の「15の夜」は意外と正確な数字で、統計上非行が最も多いのは15歳。犯罪白書を見ればわかる。15歳でそれだけ生きる選択肢を絞られてしまうのはいかがなものか。

「少年院を経験している子供」というブランド力が高すぎる。少年院を経験している子供の中にも、確かにそれを屁とも思っていない子、俺をこんなところにぶち込みやがって…と思っている子も確かにいる。しかし、真っ当に生きていきたいと思っている子供が多くいるのである。人を見ずして、何を見ているのか…と思う。

人には未来がある。その未来にかける機会を与えられるべきだ。経験の浅い子供たちにはなおさらである。

「今から頑張りたい!」そう思った10代後半の子供たちが、朝起きて、学校に通い、友達をつくり、勉強をし、様々な経験をし、思い出をつくり…我々が当たり前に過ごして来た時間、二度と手に入れることのできない一生に一度の時間を与えられる学校として、北星余市は存在していきたいと改めて考えさせていただいた出会いだった。

『学び』って感動だよね。

今日は北星余市を見学したいという来客があった。CORE+という大阪を中心にこどもや教育にかかわる人と“教育の未来”を創造するNPO団体の武田さんを中心としたメンバー。


武田さんと初めてお会いした。Facebookでつながっていただけ。しかも、いつ友達申請したかも、どっちからしたかも覚えていない。「申請ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」と挨拶したかもお互い覚えていないくらい。そんな、うっすーーーーい関係だった。まぁ、でも、Facebookって不思議よね。会ったらまるで以前からの知り合いかのように勝手な親近感でずけずけ話せちゃったりした。素敵な女性だった。

そのほかにも北大の院生さんから、大阪の公立高校で教員をされている方から、札幌の高校3年生まで幅広い方達が。一行の目的は、面白い取組をしている教育現場を視察するという感じ。大阪の先生、熱い方だった。そんな場に高校3年生が混ざっていることが素敵だと思ったし、混ざろうとする高校3年生はキラキラ素敵だった。

中でも、個人的に「たかまる!!!」と胸の内で叫んだのは、札幌オオドオリ大学の猪熊さんがいらっしゃったこと。校長に「CORE+さんが視察に来るから、飲み会に来る?」ってしか言われてなくて、武田さんに会うことだけを目的に来てたから、棚から牡丹餅。

ドリ大(って呼ぶことは昨日知ったけど)の取組って、すっごく興味があった。ちょっと思うところあって、色々と調べていたらドリ大にたどり着いて「おもしれーことやってんる!!すげーすげー!これこれ!」って大分前に思っていた、けれど忙しくてなかなか参加できないし、いつかどこかで…と思っていたから。

初対面、二言三言交わしてすぐに「今度、会ってもらえませんか」と怪しいアプローチをかけちゃいました。むふふふ。とても楽しみなことが出来た。

今日は気持ちよく寝れそうです。

『「やりたいこと」という論理』 を読んで

今日は午前中に東京からNPO法人Rightsの副代表理事・小林さんとそのお友達3名(うち2名は小樽市民!地域の人が来てくれてうれしかった!!)が北星余市に遊びにきてくれて、学校の説明をしたり、校内見学をしたり、ニッカで食事&工場見学したり楽しい時間を過ごした。また、遊びに来てほしいな。

そして、夕方からは余市テラス。訪問型フリースクール・漂流教室がやってる余市サンデースクールに30分だけお邪魔してキャット&チョコレート/幽霊屋敷編というカードゲーム。ひねさんもいて楽しかった。




サンデースクールが終わってから、漂流教室の相馬さんと相馬さんの引き合わせで初対面の登山さんとたわいもない大切な話。就職や離職や生き方や「やりたいこと」といった進路教育的な話題。色々考えさせてもらえました。

帰って来たら、登山さんからFacebookで下記のメッセージ。そして、返信。ちょっとメモ的に載せとこう。

(ここから)

今日話に出てきた「やりたいこと探し」の持つ難しさについては、一度これを読んでみてください。
※PDFなので読みにくい…

http://homepage3.nifty.com/kukimoto/pdf/yaritaikoto.pdf



読みました。ありがとうございます。

フリーターを基礎として、「やりたいこと」について語っていたので、僕の全体的な感想は、要はバランスなんだよね…という今日も何度も会話で出て来た言葉でした、笑。


ただ、登山さんが出してくれた「やりたいこと探しの持つ難しさについて」という観点、「やりたいこと」という部分に焦点を当てたときは、色々うなづくこと、ほほぉ、、、そういやそうだということがたくさんありました。

登山さんがこれを見せてくれた意図とずれてしまうかもしれませんが、こういう話題をしていて常々思うのが、「やりたいことを探すこと」自体は決して悪いことではないのに、すぐに「ヤリタイコト探しはよくない」みたいになってしまうのはいかがなものかということです。

ここには書ききれない複雑な様々なことが絡み合っている中で、いかにバランスをとるか…なんだと。

今の僕は根本的に「バランスだよ、バランス」でいつも片付けていて、そのときの持ち駒を駆使して最善の選択をし(そのためには「教養」はあったほうがいいと思っています)、その結果から何を導きだすか…が生き方の根本だと思っているので、「やりたいこと探し」自体はよくも悪くもなくて、良くないのだとすれば、複雑に絡み合った状況内における選択がバランスを欠いているのだと思います。

たぶん、そう考える僕の根本には、北星余市には不登校や非行といった世間一般的には「人生終わった」と自他ともに認める経験をした子供たちが、そういった人達からすれば「不死鳥のように蘇った姿」を何度も見て来ているからです。不登校や非行、そういう過去の経験が活かされている子供たちも大勢いる。そういえば…と思い、色々考えを張り巡らせると、偉人の中にも絶対に味わいたくないような不幸、それも個人の力では避けられないような運命的な不幸から、今の自分を作り上げている人もたくさんいるわけで、そういったことを考えると、行きている中で舞い降りてくる様々な場面に対して、どう考えてどう動いてその結果をどう受け止めてそこから何を感じ何を学ぶか、そしてどのようなものとして自分の人生にその出来事・経験を刻み、次ぎに活かして行くか…これが大切なんだと思っています。

そういった意味で、全てにおいて無難に行きている人も、やりたいことを探し続けている人も、自暴自棄になりすぎている人も、仕事ばかりしている人も、僕は全て同じで、バランスを欠いている。バランスを欠いている人は、つねに、遠く見えない幸せや希望に思いを馳せながら、どこかに不満足を感じながら、でも今の自分を無理にでも肯定しながら折り合いを付けて行きている。そして、社会的には、それが「よくないこと」とされて批判的に語られる。

もっと先も語りたいことはあるのですが、気がついたら2時半なので寝ます、笑汗。続きは、又お会いしたときにでも、語り合えたら嬉しいです。

ん、、、読み返して、なんだか意図がずれている気もしましたが、せっかく書いたのでお送りします。考える機会を与えていただいて、ありがとうございました!

おやすみなさい〜。


(ここまで)

Profile

北星学園余市高等学校で教員をしています。
Instagram