北星学園大学・障害児教育夏季セミナーに参加してきました。

今日は、北星学園大学が主催する障害児教育夏季セミナーに参加してきました。

テーマは「発達障害、特にアスペルガー症候群の教育と支援を考える」。

ここ数年、特に1年2年ほど、発達障害がメディアでも取りあげられて、その「言葉」を知っている人が増えてきている。けれど、それがなんなのかということに関しては、教育の現場においても、福祉の現場においても、医療の現場においても、混沌としている現状があると私は見ている。結果的に、発達障害は、それを従前たる「障害児教育」の考え方の枠からパラダイムシフトを経験し、抱えた人の特性を知り、社会として受容する形を求める方向でまとまるような気がするが、それが教育・福祉・医療の世界において、縦割りの垣根が取り払われ、連帯しながら共通認識を持っていくには、まだまだまだ時間がかかるだろうし、まして、それが社会一般の認識となるには、相当な時間がかかると予想される。

発達障害はの原因は「先天性の脳の機能障害である」という人と「育ちの中で経験しなかった、あるいは経験してしまったことによって、育っていない」という人とがいる。いやいや、その両方だよという人もいる。その見分けがつく人はいない。個々の人間の出生にさかのぼり、成育歴を把握しなければならない。場合によっては、保護者のそれも知る必要がある。そんなの必要ないという人もいる。
診断だって、そもそも発達障害の定義も学者によって微妙に違う部分もあるし、診断方法も様々である。いわゆる発達障害本を読めば、「こんな傾向が発達障害の人にはあります」なんて書いてあるけれど、そんな特性は多かれ少なかれ僕だって持ってるし、彼だって持っているし、それを私は「発達障害かも・・・」という人もいれば、「それは個性だ」という人もいるし、それが発達障害だという人もいれば、障害は社会生活において支障をきたすレベルに達して障害という…という人もいる。

こういうことをいうと「それはあなたの勉強が足りないから、その程度の認識しかできていないし、混乱するのですよ」という人もいるが、「いやいや、しかし、あなたが正しいということはだれが証明してくれるのですか」という人もいる。

そんな混沌とした現状における発達障害の取り扱いは、「厳重注意」であるべきだと私は思っている。なぜなら、それが一人の人生に大きな影響を与えるからである。「あなたは発達障害を抱えています」といわれ、中学・高校時代を過ごし、10年後、「あれは間違いでした」ではすまされないからである。

私たちが発達「障害」と呼ぶものに触れるときには、そのことを重々認識したうえで接しなければならないと、私は強く思うのである。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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