【将来は大人になると思っていた】
「何でも構わないの、何か限定しないで自由自在に考えることが大事」


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池田君 私は今、高校3年生なんですが、先生が高校3年生でいらっしゃった頃は、自分の将来に対して何をお考えだったんでしょうか。


團藤 どういうこと?


池田君 ご自分の将来、どんなものになりたいか、とか。


團藤 将来は大人になると思っていたね(笑)。


一同 (笑)。


團藤 本当だよ。大人にはなる、そこで何かはやるんだから、その中で好きなところを選んでいけばいい、というので初めは何も考えなかった。まあ、法学部でしたから、法律関係のことをやろうとは思っていた。だけど大学とか最高裁なんてことは全然考えてもみなかった。何でも構わないの、何か限定しないで自由自在に考えることが大事。


伊東 そういう意味では最近の若い人が、本当に早いうちから「専門」を絞って、これは自分とは関係ない、関係ないと切り捨てるのをよく見て、むしろかわいそうだと思うのですが、それはずいぶん違いますね。


團藤 大学に入って、真っ先に何を勉強したかといえば、さっき言った『洗心洞箚記』ね。でもあれだって革命思想でしょう。大人になって就く職業なんてことは考えもしなかった。


伊東 以前、先生に伺って、へえと思ったのは、我妻先生で民法のリポートをお書きになったのですよね? ドイツ語の論文を渡されて、一夏かけてリポートを200ページだか、まとめられたと。團藤先生イコール刑法と我々は考えやすいですが、我妻先生にも非常に将来を嘱望されて、民法も非常に早い時期に取り組まれた。


團藤 我妻先生は民法の大家だから、当時は若かったけどね。夏休みの始まる頃に行って、夏休みはどんな勉強をすればいいでしょうかと伺ったら、この雑誌を読んでみなさいと。新しく到着した『ツァイトシュリフト・フュア・ゾツィアレスレヒト』。ゾツィアレスレヒトはソーシャルローね、社会法。新しい号が到着して、それを君に貸してやるから好きなものを読んでみたらと。それを見たら、ゴルトシュミット(Goldschmidt)の経済法のことが書いてあって、それが面白くなって、経済法のことを一生懸命勉強してみようと思った。ところがその頃は大学も何も大したことなくて、参考書がない。上野図書館にもない。どこに行ってもないので、結局大したことにはならなくて、でもとにかく300ページぐらいのものにまとめて、先生に提出したの。


伊東 300ページでしたか、失礼しました。


團藤 我妻先生も読みもしなかったと思うんですよ、忙しいからね。そんな一学生の書いたそんなリポートを読んでいたりしたら、自分の仕事ができないからね。


伊東 いえいえ、とんでもない。


團藤 だいたいそういうことで、実は経済法から勉強を始めた。だけど、経済法もいいけど、そのうちに経済法には、民法の我妻先生のところに川島さん(川島武宜1909~1992)という方がおられて、それからその後もう1人別な人が来て、それから助手も来栖君(来栖三郎1912~1998)がいたから、結局、刑事法にしようということにした。それだけですよ。


A「何になろうとも思わなかった。テーマを絞らず面白いことは何でも一生懸命やった」


團藤 その頃はね、刑事法は牧野先生(牧野英一 1878~1970)と小野先生(小野清一郎 1891~1986)と、お2人がこう、チャンチャンバラバラで。大変だったんだよ。両方のお弟子ということは考えられないので、とにかく小野先生の方が若いから小野先生の方に行こうと思った。確かに仲が悪いんだね。正月に小野先生のところにお年賀に行って、それから牧野先生のところにも伺おうと思っていたら、小野先生は「あんなところには行かんでもいい」と。それですっかり小野先生に見切りをつけたの。立派な方だけど、いやしくも自分の恩師だろう、学生とは違う。「あんなところに行かんでいい」ということはないだろう、と思って。じゃあ、ぜひ行ってみようと思って小野先生には黙って牧野先生のところに遊びに行ったんです。面白かったよ。












團藤重光・高校生のための「裁判員反骨ゼミナール」より

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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