【教師だけでは教育はできない】
互いに手を取り合うことが、子供の豊かな成長につながる


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教師だけでは教育はできないと思っています。家庭、地域が一体となって、はじめて実り豊かな教育を展開できる。「家庭での躾がしっかりしていない、だからこんなこともできない子どもが学校に来るんだ」なんてことを言ったって始まらないんじゃないか。一方で「学校なんて勉強も中途半端、塾の方がまし。かといって、生活指導もしっかりしてくれるわけじゃない」なんてことをいっても意味がないんじゃないか。そう思います。それは、お互いが果たすべき責任とその責任を果たしていないことを非難し合うだけのやりとりにすぎなくて、そこには子供の姿が見えないような気がします。


教育は分業作業ではいけないと思います。工場の流れ作業のように、ある人はここを担い、別の人がここを担う、そしてその担当部署以外は関係がないという形態でなされることは、決してあってはならない。内田樹先生の「街場の教育論」に、この分業の危うさに関する記述があるのですが、これを読んだとき、まさにそういう危うさが今の教育にあると感じました。


教師への苦言、家庭への苦言、それはある種の期待ともいえるものではないかと、私は思います。それぞれがそれぞれに耳を貸し、互いに協力し合い、至らぬ点を支えあって、全体的な教育力を高めていく。それは、その子供にとって、足し算ではなく、掛け算の効果を生むことになります。僕の経験では、そうです。


北星余市高校の教育は、まさしくそれが体をなしている。


担任をしているとき、父さん・母さんにお願いすることは、やまほどあります。生徒の身近にいる大人の人にお願いすることも、その問題を乗り越えた先輩や友達にお願いすることもやまほどあります。逆に、お願いされることも多々ある。教師としての経験上、聞き入れることができないことがある場合は、きっちりとその理由も含めて説明して理解してもらい、別の手段を一緒に模索することもありますが、なるほど!と教師の視点からでは見えない、その子供にとって良い方策が与えられることのほうが、もっとたくさんあります。そうして、手を取り合って、一人の子供に向き合う。


それは、子供たちの豊かな成長に導く、最善の方法だと思うのです。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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