【教師はただの人間】
一人で教育をするには限界がある


Photo by Brandon Godfrey

教師は集団でもって機能する。チームプレーがとても大切です。一人で教育を営むことのできる人間は、存在しないと僕は思っています。こういう話をすると「いるじゃないか、カリスマ教師が」といわれることもありますが、あれは私からすると教育であっても、教育の中のほんの一部ができているだけのことなんです。ひとつの方向性を向いて、教師が集団となってそのことに取り組む。生徒の活動を発展させる動きであっても、生徒が起こす問題行動への対処にだって、それは集団に対してだって、個人に対してだって、そのことはとても大切なんです。
 一昔前は、教師は一目置かれていました。僕の母親の世代は、先生と言えば絶対的に正しい存在であり、「今日、先生に殴られた」と祖母に報告したら「あんた、なにやったのさ」と無条件に先生が正しいことが前提となっていたといいます。昔は、社会的にそうだった。母親は戦後の団塊の世代の人間で、戦前の名残もあったのでしょうけれど、社会全体的に先生は正しいものという考え方があった。そういう支えがあったから、教師一人一人の力は保障されていたのだと思います。もちろん、戦前の教師たちの中には、しっかりとした思想の持ち主が多かったこともあるでしょうけれど。その思想が良いか悪いか、自らのものかどうかは別として。


今の時代、つまり価値観がこれだけ多様化し、ややもすれば「人様に迷惑さえかけなければ私は何をやっても良い」という言い分に、何も言い返せなくなるような、それほど価値観が多様化している世の中においては、教師は教育理念のもとに一致団結してそこに向き合う必要が、特にあると思います。


それができていないとき、たくさんの弊害が起きてくるのだと私は思うのです。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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