「悪さ」をしているという感覚はない 〜 「非行」を考える全国交流集会

それと、昨日の分散会でNOCA!のアリーさんが言っていた言葉。

「悪さをしているときも、悪さ感がないんですよね」

これ、とても興味深い発言だと思うんですよ。

実はこんなことは、アリーさんだけじゃなくて、僕らの知っているセカンドチャンス!のみなさんも同じようなこと言ってたんですね。全く、別の場で。ってか、飲み会で。

セカンドチャンス!の方達は、
「遊びの延長でしかないんですよ」ともいってました。
「楽しいか楽しくないかなんですよねー」って。

そう考えると、とても納得のいくことがあるんです。
それは「僕は悪いことをしたので、悪いことはもうしません」といってその行動をやめる子ってほとんどいないんですよ。実は。

そうすると反省させると犯罪者になります/岡本茂樹 これは子育てのバイブルだと思う。で書いたこと、この書籍に書いていることも俄然真理的なことをいっているんじゃないかって思えてきます。

  • 嫁さんができたから
  • 子どもができたから
  • 周りが真面目に働き出したから
  • 親がとても悲しんでいる姿を見たから
  • 自分を心配してくれる人に出会ったから
  • 何回も少年院に入っている時間が勿体無いと思ったから
  • 別の楽しみを見つけたから
  • その世界に疲れたから
  • 新しい生き方が見つかったから

などなどなど

僕が学校で出会った子どもたちも、こうしてつながりで出会った人たちも、よく考えてみたら誰一人として「悪いことをしたから」そういうことをやめたという人はいない。

人に迷惑をかけておいて、悪いことをしたと感じていないなんて、けしからん!

と怒るのは勝手ですけど、ひょっとしてそれはその人の価値観でしかなくて、そういう行動をする人はそうは感じていないものは感じていないので、いつまでもそんなことを言っていても(いってもいいですけど)、仕方がないような気がします。

僕らの学校でも問題が起きた時に「おまえ、そんな悪いことをしてどう考えているんだ?」「悪いことをしたんだから、反省しろ」と迫っても、「すみませんでした」という言葉はひねり出させることができても、本質的な部分に迫ることはできないですもんね。だって、感じ方が違うんだから。「こんな良いもの、なんでわからんのだ?」「え、だって良いと思わないもん、僕」ってのと質的には一緒。感じているもんが違うんですよ。

「悪い」ということを理解させようとばかりして、本質的な部分に迫ることができなければ、人は結局同じ行動をする。

「悪いことをして!」という発想から脱却することは、我々にとって大きな一歩なのかもしれないです。


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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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