子どもを支える立場の人間が結んだらいい関係

「私は、子どもがなにか問題を起こしたとき、学校が子どもに理不尽と思える対応をしていても、言いたいことが言えなかったんです」とおっしゃっている親御さんがいました。

いやぁ、親は、そりゃそうなるよね・・・と思うと同時に、なんなんだ?その仕組みは・・・と思ったわけです。

どうも、学校の先生って上からになりがちだよね。いや、学校の先生だけじゃないかな。

親御さんや本人が「いやー、悪いのはこっちだけどさぁ、だからってそれ理不尽じゃね?」って思うことって、意外と要求している側は理不尽だと思っていないんだよね。本気で「おまえ、それくらいしろよ!」って思ってる。「悪いことしたんだからさ」って。

そういう状態って、結局、何も生まないことが多い。だって、理解し合えていないもの。「しゃーねーから、こなすわ」ってなるか「こっちも問題だけど、そっちも問題だろ?」くらいにしかならない。

たぶん、教員、、、いや、子どもの育ちに関わることを生業としている人間は、「立場」という役割分担をしながら、ともに育てていくんだという感覚を持つべきなんだろうな。

「母さん、困ったね〜、どうしようか〜」って一緒に頭付き合わせて悩めるくらいの姿勢。「専門性」っていう武器をもってして、自分が指導すべき立場って奢ってしまうと、見過ごしちゃいそう。

教師のそれが「専門性」だとすれば、10数年子どもを育ててきた親御さんのそれだって「専門性」だわな、親っていう。その他の「業」として子どもに関わる人もそう。でも、どれもその立場によったもので、片手落ちなんだよ。狭い世界でしかない。

僕らは、自分以外の教師たち、親、寮の管理人さん、その子の友達、先輩、後輩が、その子をどう見ているかってことを僕らは知りながら「じゃぁ、どうしようか?」って考えている。

だから、親御さんに要求するというより、一緒に「また、やっちゃいましたねぇ〜、いやぁ、、、どうしましょ?僕らは、学校で見てたら、こうだと思うんですよ」って考える事が多い気がするな。そうやって、理解しあって、協力しあって、一人の子どもを見ていくっていう感覚って、大切なんだなぁ、と。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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