好きなことを見つけなさい。やりがいのあることを見つけなさい。興味のあることを見つけなさい。
そういう言葉があまりにもあふれている。
言いたいことはわかる。本当に好きなことを見つけ、そこに価値を見いだし生きている人には、輝いている人が多い。
しかし、子供達に安易にその言葉を浴びせる大人を私は信用しない。そういう大人の中 には、子供達に「好きなものを見つけられない自分はダメな自分だ」という強迫観念しか与えず、じゃぁ、どうすれば好きなことが見つかるのかといったことを一切与えることのない人が多い。
スポーツを全くしたことのない人間にいくつもの種類のスポーツの動画を見せて、この中から好きなスポーツを選びなさいといったって選ぶことはできないだろう。ゲームを全くしない人に対して、おもちゃ屋さんで、あなたの好きなゲームをなんでもいいから選んで下さいといったって、選ぶことはできないだろう。
それは大人であろうが、子供であろうが、そうである。
好きなこと、やりがいのあること、興味のあることというのは、全てその人の経験値にもとづいてはじき出される事柄である。
だから、経験値の少ない子供にそんなことをいっても無意味なのだと思う。
幼少期の頃は、ケーキ屋さんになりたい、おまわりさんになりたいと子供達は夢に期待を膨らます。しかし、ある一定の年齢になり、知識が増えていくに従って、そういった夢は儚くも消え去っていく。そして、そんな子供達に大人は「好きなことをみつけなさい」「興味のあることをみつけなさい」というシャワーを、焦ったかのように浴びせる。
僕は、そんなことを呪文のように唱えている暇があるならば、子供達に豊かな経験をさせてあげた方がよっぽどいいと思う。寄り添って、子供たちと色んな経験を大人自身もした方が良い。きっと、その経験の積み重ねが、わき上がるものを育ててくれるのだと思う。
子供たちに「好きなことを見つけなさい」というより先に、自分は仕事で忙しい、家事で、育児で忙しいといって、子供たちに寄り添うことなく豊かな経験をさせてあげることなく、呪文のように唱えている自分をまず見直す方が先なのかもしれない。