風の旅人 復刊3号。

先日2013年11月17日(日)に北星余市主催で開催した「2+1 写SHIN展 コラボ・トーク 伝えたいこと」(http://www.hokusei-y-h.ed.jp/information/?c=1&s=14753#14753)でご縁があった佐伯剛さんが編集長を務める『風の旅人』の復刊3号をやっと読むことができた。

素敵な紫色の表紙に包まれた雑誌が届いてから、2週間はたったんじゃないか。私の机の上で紫色が誘惑してきたが、舞い降りて来るものたちに追われ「ちょっと、まっててね」と声をかけて来た。帯広から帰って来て、むさぼるように読んだ。

読み終わって、不思議な世界を見た。、前もそうだったが、この余韻が僕にとっては良い。

『風の旅人』は復刊2号も読んだし、復刊前のものも1冊読んだ。僕にとっては、この雑誌、、、雑誌?はよくわからない。なんとも不思議。佐伯さんは「雑誌」というが、雑誌と言えば雑誌なんだろう。けれど、写真家の方々に愛好されているようで、あの鋭い写真、そして写真の量からしても、写真誌ともいえるのだろうが、俗にいう写真誌や写真集とはまた違う気がする。

形態もよくわからないが、書かれていることもよくわからない。個別の作家さんが書いていることの中で、特に文学作品的な、空想的で時空を超えたような作品を理解するには、僕の想像力では足りないらしい。読解力が足りないという問題を感じつつ、でも、これは読解力の問題じゃない、経験の豊かさから湧き出る想像力の問題のような気もする。ルポルタージュ的な作品は、比較的、理解しやすく、すーっと入ってくるが、今度は、その底流に流れているものがわからない。感じるんだけど、見えない。そんな読み物。

今号は「妣の国へ 〜来し方 行く末〜」とタイトルがついている。生と死の根源を「感じる」だけ。

ただ、僕が『風の旅人』から感じるのは
彫刻家ブランクーシは言った。「実在を表現するということは、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ること。」確かにその石は言われてみれば新幹線にそっくりで、ひとしりき私を笑わせてくれた。しかし見る人によっては家鴨であり、靴なのである。石は石だと言い張る人もいるのにちがいない。それでも孫はその石に、風を切る速さを見たのだろう。一瞬にして走り去る憧れのはやさを。天晴れ、孫も芸術家であったのか。
『風の旅人復刊3号〜とこしえの波・望月通陽』102ページ

ということ。写真を見て、読み物を読んで。

読んでいる自分が、外形をなぞることではなく、内に宿る本質に迫ろうとさせられていることに気がつく。自分の世界のあちら側の世界のような気がする。まったく必要性のない、読まなくたって日常に支障のないものなんだけど、不思議と惹かれる。読まなきゃいけない気がするし、誘われるし、わからないけど読みたいと思う。

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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