教養とはなにか


橋本先生の3年間の『銀の匙』の授業について、いま、何を思われますか?
「改めて、素晴らしい授業だったんだなぁと思いますね。『銀の匙』で橋本先生がやってくださったのは、僕らが、例えば大学で原書講読をやる時のやり方と似ています。当時はもちろん気づきませんでしたが、改めて振り返ってそう思いました。ゆっくりとしたペースで、言葉や文章表現を丁寧に読み解いていきますよね。筋として何を言っているかということばかりじゃなく、ある一つの言葉にこだわることで、その背後に大きく広がっている概念や感覚や考え方と、つながってくるわけですよね。原書講読のスタイルを橋本先生は中学の授業でやってくれていたんだなあということを痛感しました。うまく鍛えていただいたなあ、と」
なるほど。そうした橋本流の読書法を我々は『スロウ・リーディング』と呼んでいるのですが。
「確かに、今は、速読をして大体の内容をつかめばいい、というような読み方も多いですね。まあ、それも必要なんですが…。よく『情報化時代』ってことが言われて、いろんな情報を知っていることが知識だというふうに、つい思っちゃうところがあります。だけど、そうじゃなくて、この『銀の匙』の言葉一つひとつ、これも確かに情報なんだけれども、その情報を知識に変えるというのは、その言葉が、社会の現実の中でどのような位置にあるのか、どう絡んでいるのか、それが例えば歴史的にどういう背景を、あるいは意味を持っているのか、そういう全体的な構造の中で情報をじっくり捉えていく。で、そこではじめて知識になってくると思うんですよね。断片的にいろんなことを、ただ知っているというだけじゃなくてね」
(奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち / 伊藤 氏貴 (著) )

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「教養」というのは、「生」の知識や情報のことではない。そうではなくて、知識や情報を整除したり、統御したり、操作したりする「仕方」のことである。
絵画的な比喩を使って言えば、「教養」とは、「古今東西すべての知識」を網羅した巨大な図書館があった場合(ヘーゲル=ボルヘス的な幻影だ)、自分の持っている知識や情報が、その巨大な図書館の、どの棟の、どの階の、どの書棚にどんな分類項目名をつけられて、どんな本と並んで置いてあるのかを想像することのできる能力のことである。
この「宇宙論的な図書館」の蔵書数と比べると、自分がそこに寄贈しうる書籍は多寡が知れている。けれども、自分の書籍が「どこに何冊配架されているか」を正確に把握できる人間は、その図書館の全蔵書を使いこなす潜在的な能力を持っているということができる。
私が「これから読む本」とは、「まだ読んだことがない本」のことである。図書館の利用のノウハウとは、ただ一つ「私がまだ読んだことがない本について、それがどこにあるのか、何の役に立つのかを知っている」ということである。
私はさきほど「教養」とは「知識についての知識」だと書いたけれど、この図書館の比喩を踏まえて、もっと正確にいえば、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことなのである。
(街場の現代思想 (文春文庫) /内田 樹 (著) 13p-14p)

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教養は情報ではない。
教養とはかたちのある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力である。
雑学は「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。教養とは「まだ知らないこと」へフライングする能力のことである。
(知に働けば蔵が建つ (文春文庫)/内田 樹 (著) 11p)

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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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