BRUTUS 2011 1/1・15合併号 日本語と英語 斎藤孝


僕は漱石の『坊っちゃん』を、1日6時間かけて、全文音読で読破するという教室を小学生相手に開いています。音読すると、漱石が体の中に入ってくるんですよ。感想を聞くと、「はなはだ」面白かったとか、「すこぶる」良かったという。スッとそんな言葉が出るほどに、体の中に入るんですね。

英知を求める意欲がある人が、世界の共通言語である英語に力を注ぐあまり、読む本も、話す言葉もすべて英語になったとしましょう。果ては考えることすら日本語を使わず、頭の中では英語で思考するようになる。こうなったら、それは日本的な思考様式を持った日本人とは違ってくるんです。
外国人同士から生まれた子供であっても、日本で育ち日本語を母語としていたなら、感覚もしゃべり方もなにもかも日本的なんですね。曖昧で緩い言葉に、YES/NOをはっきり言えない感じとか、その強さや弱さ。すべて含めて日本人という。もっと言えば、私たちが何かを見て美しいと思う感性もまた、日本語によって継承されているんですね。
俳句や短歌というものは大切なんですよ。そういうものを覚えていると、セミの声を聞いたときや、桜の花を見たときに、先人たちの感性が詩句を通じて蘇ってくる。こうして感性が継承されていくんですね。いわゆる情緒です。情緒が継承されていくのは日本語を通してであって、私たちが「日本の心」と思っているものの多くは日本語に拠っているんです。桜を見て、月を見て先人は何を想ったのか。とりわけ優れた人が書いた日本語には、情緒、価値観、倫理観、すべてが入っているものなのです。

(BRUTUS 2011 1/1・15合併号 日本語と英語 共存共栄を実現する方策はどこに。 斎藤孝 30p-31p)



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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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