【正しくあらねばならない】
教師の強迫観念が人間の幅を狭くするのかもしれない

その教育が目指すところはどこか。学校によっても、時代によっても違いがあって、たくさんあります。が、いずれにしても、共通しているところは、理想の人間像に向けて教え育てるということ。それが教育の目的の原点です。

理想の人間像に育て上げるためには、自分がその理想の人間像でなければならないと我々教育者は考えます。子供に教えるからには、自分がお手本としてそういう人間でなければ、子供たちにも語ることはできない、、、たいていの教師は、そういう考え方を意識、無意識に関わらずしている。強迫観念にも似た、そういう感覚ともいえると思います。

「完璧な人間はいない」

教師もまた人間である以上、完璧であるはずがないと思います。しかし、少なくとも子供たちの前では完璧でなければいけない。理想像に近い正しい人間でなければいけないという感覚に陥ることが多い。

これは「完璧になんかなれっこない、すべてにおいて正しい人間になんてなれない。けれど、そこを目指したい」という考え方とは、まったく異なる質のものだと僕は思います。自分は教師であるが、人間としての身の程を知っている人は、人間教育ができる。

その子供を理想像に近づけたいがために、指導する。指導するからには、自分は少なくともその点に関しては完璧にならねばならない。そういう脅迫観念にかられた教師は、やがて自分の枠の中に入る子供たちしか相手にできない教師になっていくのだと思います。

Profile

北星学園余市高等学校で教員をしています。
Instagram